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kishiymの日記 [全378件]

2012.05.22楽天プロフィール Add to Google XML

自分を守る経済学(感想)

 徳川家広さん、徳川宗家19代目当主で、翻訳家、政治経済評論家です。

 ”自分を守る経済学”(2010年12月 筑摩書房刊 徳川 家広著)を読みました。

 経済の仕組みと現在へ至る歴史を説きながら日本経済の未来を展望して、身を守るためのヒントを提供しようとしています。

 具体的には、関が原からバブルまで日本経済400年の歩みを説き、日本経済が現在のように停滞するに至った歴史的理由とそこから導き出される近未来図を描こうとしています。

 徳川家広さんは、1965年に東京都で生まれ、父親は、徳川家18代目当主で、元日本郵船副社長、徳川記念財団理事長の徳川恆孝氏です。

 父親の仕事の関係で、小学校1年から3年までをアメリカで過ごしたそうです。

 学習院高等科を経て、慶応義塾大学経済学部に進学し、卒業後、ミシガン大学大学院で経済学修士号、コロンビア大学で政治学修士号を取得しました。

 今日の日本文明の原型は、江戸時代に形成されたと言います。

 古今東西の知識を集めた徳川家康のブレーン集団は、日本が二度と戦乱の世に戻らないようにするにはどうしたらよいかを考えて、幕藩体制の統治哲学を作りました。

 江戸時代の日本は大いに経済を発展させましたが、綱吉の時代に金銀山が枯渇して財政危機に陥り、大改革に着手することになりました。

 その後も、日本人は、東アジアにおける清の覇権の終焉や石炭火力エネルギーに依拠する新しい経済システムの浸透という危機に直面して、明治維新という政治と社会の根本的な変革を実現しました。

 その後、第二次世界大戦に敗北して、日本は生まれ変わることになりました。

 日本は超大国となったアメリカをモデルとしてモノ作りに励み、1980年頃国民全体が豊かな暮らしを得たと実感できるようになりました。

 その豊かな暮らしを、中国やインドを初めアジアの国々が獲得しようとしています。

 しかし、この豊かさは大量のエネルギー、特に石油に依存していますが、石油は必ず枯渇するものであり、近い将来、エネルギー価格が高騰し、世界の人々が今のように自由にガスや電気を使えなくなる日が来るでしょう。

 現在の日本は世界中のどこの先進国でも見られる先進国病にかかっていて、低成長、国際化、情報化、少子高齢化、子どもの学力低下などの問題に直面しています。

 これから日本で起こることは、明治維新や終戦と同様の、新しい環境に適応するための変化になるでしょう。

 その過程では、当然ながら、敗者も勝者も出ることになります。

 これからの10年間は、おそらく現在、現役の日本人の全員にとって、まったく経験したことのないような激変の時代になると思われると言われます。

 日本政府の財政破綻はもはや不可避であるように思われ、アメリカの世界覇権の終焉とエネルギー価格の高騰と、ほぼ同時に発生するものと思われます。

 低成長によって収入が落ち込む一方で、医療保険と年金支出、国債の利子払いと償還のために政府の支出は増加し続けます。

 日本は、過去、明治維新時と、第二次大戦後に財政破綻していますが、10年後に日本の財政が破綻すると思われると言われます。

 財政が破綻すれば、今の豊かな生活を維持するのは難しくなります。

 そこで、いかにして自分を守るか、生活防衛のヒントを提供するとしています。

 予測がその通りになるかは分かりませんが、内容はとても興味深いものでした。

第1章 人間と経済
第2章 「分業のジレンマ」と国家の誕生
第3章 お金と国家
第4章 景気、景気対策、バブル
第5章 語られざる生産要素―略奪された富とエネルギー
第6章 関ヶ原からバブルまで―日本経済400年の歩み
第7章 平成「大停滞」の解明
第8章 これから何が起こるのか
第9章 何をすれば、自分を守れるのか




Last updated 2012.05.22 19:01:22
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2012.05.15

JAL崩壊(感想)

 日本航空(JAL)の2011年3月期の営業利益は1884億円、2012年3月期は2000億円規模となりました。

 予想を大幅に上回り、2年連続で過去最高益を更新しました。

 会社更生手続きを通じた巨額の債権放棄や不採算路線・大型機の廃止によりコスト削減が進んだほか、国際線の収益が好調に推移したのが主因のようです。

 ”JAL崩壊”(2010年3月 文藝春秋社刊 日本航空・グループ2010著)を読みました。

 経営再建中で連結営業利益が2期連続で黒字となったJALが、2010年に墜落したときのJALの現役・OBによる内部告発書です。

 国際線は、アジア、欧米を中心とし、国内線は羽田空港や伊丹空港、新千歳空港などを拠点に、幹線からローカル線まで幅広い路線網を持っています。

 1951年に、戦後初の日本における民間航空会社として日本航空が設立され、東京-大阪-福岡線が開設されました。

 1953年に日本航空株式会社法が公布、施行されました。

 1954年に、初の国際線となる東京-ホノルル-サンフランシスコ線が開設されました。

 1981年に、日本航空株式会社法の改正法が公布、施行されました。

 1987年に、日本航空株式会社が廃止され、完全民営化されました。

 2002年に、日本エアシステム(JAS)と経営統合し、持株会社株式会社日本航空システムが設立されました。

 本書では、JALが苦境に陥った最大の原因はJASとの合弁であるといいます。

 JASは、かつての日本の三大航空の一翼を担っていた会社で、1988年までは東亜国内航空といいました。

 2004年に、株式会社日本航空ジャパンに商号変更し、日本航空ブランドの国内航路会社に転換され、2006年に、株式会社日本航空インターナショナルに吸収合併されました。

 合弁話が持ち上がったとき、JASは負債が3000億円~3500億円を抱え、放置していると倒産する可能性が大だったので、首脳部がなぜ合弁を決定したのか、合理的理由が見つからないといいます。

 しかし、合弁によって国内線のシェアで全日本空輸(ANA)を上回る55%のシェアを獲得したのも事実です。

 ただし、当初の国内線網の強化や余剰資産の売却など、合併効果による収益構造の強化、安定の目的は、合併以降の元JALとJASの社員の間の対立、サービス上の混乱、航空機の整備不良、反会社側組合による社内事情の意図的なリークなどの不祥事もあって、客離れを起こしました。

 吸収合併したJASの高コスト、低効率体制、イラク戦争以降の航空燃料の高騰、SARS渦などの要因が重なり、急速に業績は悪化しました。

 そして、2010年に、日本航空、ジャルキャピタルと共に、東京地裁に会社更生法の適用を申請し、2011年に会社更生を終了して民間企業に復帰し、商号を日本航空株式会社に戻しました。

 このような中にあって、著者は複数の日本航空客室乗務員で、これまでJAL社員として誇りをもって仕事をしてきて、これからも同じ気持ちで仕事に邁進していく覚悟だといいます。

 社内にはいい人材が残っているので、かつて輸送実績世界一になったこともある過去の栄光を取り戻すべく、最大限の努力をしたい。

 そして、この際、溜まりに溜まったウミを、きれいさっぱり出し切りたい。

 JAL崩壊の原因は様々な議論が繰り返されてきましたが、マクロの視点だけでなく、実際に社内で起きていた問題の数々は、なかなかリアルには伝わらなかったため、ミクロの視点から、悲惨な状況を招いたプロセスを綴ったといいます。

第1章 悪夢の始まりはJASとの合併―の巻。
第2章 わがままパイロットの「金・女・組合」―の巻。
第3章 「負け犬スッチー」と「魔女の館」―の巻
第4章 うるさいうるさいうるさい客―の巻
第5章 労働組合は裁判がお好き―の巻




Last updated 2012.05.15 18:55:17
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2012.05.06

歴史を学ぶということ(感想)

 歴史学をどう学ぶのがベストなのでしょうか。

 ”歴史を学ぶということ”(2005年10月 講談社刊 入江 昭著)を読みました。

 シカゴ大学、ハーヴァード大学で長年教鞭をとってきた歴史家の今日までの学問との関わりを紹介しています。

 軍国少年として終戦を迎え、成蹊中学校・高等学校卒業後、1953年にグルー基金奨学生として渡米し、1957年にハヴァフォード大学卒業、1961年にハーバード大学大学院歴史学部を修了し博士号を取得したという経歴の持ち主です。

 1945年の日記には、米国や占領軍についてほとんど触れられてなく、日本を占領した米兵を憎いと思った記憶も記録もないといいます。

 それは、多くの日本人がそうであったように、善かれ悪しかれ敗戦を受け入れ、日常の生活にはげんだということだったのではないかということです。

 入江昭さんは1934年に東京で生まれ、1961年にハーバード大学大学院終了後同大学講師、その後、カリフォルニア大学サンタクルーズ校助教授、1968年ロチェスター大学准教授、1969年シカゴ大学歴史学部准教授、1971年同教授、1989年ハーバード大学歴史学部教授、同大歴史学部学部長、早稲田大学、立命館大学等で客員教授を歴任しました。

 専攻はアメリカ外交史で、1988年にアメリカ歴史学会会長を務め、2005年に瑞宝重光章、吉野作造賞、吉田茂賞を受賞しました。

 父は国際法学者で早大法学部客員教授等を務めた入江啓四郎さんで、妻は比較文学研究者で東京大学教養学部教授等を務めた前田陽一さんの長女です。

 日本や米国で受けた教育、長い間教師をつとめてきた米国の大学の雰囲気、学問に対する姿勢、専門分野での研究に従事する過程で形或された歴史認識などに触れながら、現在の世界をどう理解しているかを、とくに若い世代の人たちに伝えています。

 詳細な自叙伝でも時事問題の解説書でもなく、歴史を学び、歴史と向かいあうということは何を意味するのか、なぜ現在の世界を理解するにあたって、歴史的な視野が重要な鍵を与えてくれるのかなどについてまとめています。

第1部 歴史と出会う
 1945年8月/1930年代と戦時中の生い立ち/戦後の歴史教育/米国留学の4年間/大学院での修行/学生との出会い/歴史学者の世界
第2部 歴史研究の軌跡
 出会いの蓄積としての歴史/私の歴史研究
第3部 過去と現在とのつながり
 学問と政治/歴史認識問題の根底にあるもの/地域共同体のゆくえ/9.11以降世界は変わったのか/結論:文明間の対話




Last updated 2012.05.06 08:56:59
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2012.05.01

解体されるニッポン(感想)

 広がる格差、年金問題、放置される地方など、日本はいまバラバラに解体されつつあるのでしょうか。

 自己責任の名のもとに責任は個人に押しつけられ、いくら働いても生活は苦しく、人々が絶望に喘いでいるのでしょうか。

 このような状況は日本に限らず、グローバル化が進んだ国々の現状でもあります。

 実はその裏には、日本の勢力が弱くなることを望んでいる大きな力がアメリカに存在するそうです。

 グローバル化が最も進んだアメリカに倣っていては、日本には悲惨な未来が待つばかりだと言います。

 ”解体されるニッポン”(2008年3月 青春出版社刊 ベンジャミン・フルフォード著)を読みました。

 解体されつつある日本の現状と原因を追究し、背後にある独裁国家アメリカの闇の権力者の動向を紹介しています。

 ベンジャミン・フルフォードさんは、1961年カナダ生まれで1980年代に来日し、上智大学比較文化学科を経てカナダのブリティッシュ・コロンビア大学を卒業し、その後再来日して、日経ウィークリー記者、米経済誌フォーブス・アジア太平洋支局長などを歴任し、現在、フリージャーナリスト、ノンフィクション作家として活躍しています。

 改革者だと叫んでいた小泉純一郎と竹中平蔵が行った数々の規制緩和と民営化は、レーガン政権以降にアメリカで進められてきたいわゆる改革と似通っています。

 生活コストが下がり、暮らしが良くなったと喜んでいる隙に、潤沢なマネーを持つ富裕層が活発な投資を始めています。

 アメリカには、世界支配を狙うエリート層によって結成された秘密結社があって、自分たちに有利にルール変更を行ない、不公正なグローバル化を推し進めているのだそうです。

 石油産業、国際金融資本、軍産複合体に強い影響力を持ち、政治家、官僚、学者、メディアにもネットワークを広げています。

 その中核は、ロックフェラー、ブッシュ、ハリマン、ウォーカーなどの一族で、世界の経済、金融を操り、政治を動かしています。

 ドルの発行権を握っているFRMというのは、実は一部の大資本が運営する一企業だそうです。

 アメリカ政府は何度かFRBを公的な機関に作り替えようと働きかけてきましたが、うまくいきませんでした。

 アメリカの通貨政策は、民意とまったく関係ない巨大資本の代表者たちの会合によって決められています。

 一方、一般市民は生活に追われ、政治に関心を持ったり、連帯を深めて政治献金するというような時間的余裕は失われています。

 政治資金の多くは、数少ない大資産家から主要な政党に流れ込んでおり、民主主義は形骸化しつつあります。

 新自由主義による経済のグローバル化、ネオコンと軍産複合体による軍事的な世界支配に対して、世界中の人々がノーという意思表示を始めています。

 世界の動向から見て、次にやってくるのは間違いなくアジアの時代です。

 アメリカのアジアに対しての基本戦略は分断して統治するというものなので、日本はアジアのリーダーとして世界を変えていく気概を持つべきだと言います。

プロローグ デイヴィッド・ロックフェラーと対峙した日
第1章 断末魔のアメリカが日本をバラバラにする
第2章 世界を駆けめぐるグローバリズムという疫病
第3章 惜しみなく搾取される日本の労働者たち
第4章 舞台裏でうごめく「闇の権力者」の実態
第5章 アメリカが仕組んできた「自作自演」の歴史
第6章 誰がアジアの分裂を目論んでいるのか
エピローグ いま日本は国家衰退の瀬戸際にいる




Last updated 2012.05.01 19:16:10
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2012.04.24

私小説のすすめ(感想)

 私小説は日本の近代小説に見られた、作者が直接に経験したことがらを素材にして書かれた小説です。

 これまでにも、多くの有名作家が私小説からスタートしました。

 ”私小説のすすめ”(2009年7月 平凡社刊 小谷野 敦著)を読みました。

 プロを目指す人というより、ともかく小説を書かたいと思っている人に、私小説を勧めています。

 文学的才能がなくても誰もが一生のうち一冊は書きうる私小説の魅力を説き、形式は決して日本独自のいびつな文学ではないとして私小説の擁護を宣言しています。

 小谷野敦さんは、1962年茨城県生まれ、1987年東京大学文学部英文学科卒業、1997年同大学院比較文学比較文化専攻博士課程修了、学術博士、大阪大学言語文化部助教授、国際日本文化研究センター客員助教授などを経て文筆業に従事し、2002年にサントリー学藝賞を受賞しました。

 私小説については、1907年の田山花袋の「蒲団」を私小説の始まりとする説が有力ですが、別の考え方もあるようです。

 私小説は、身の回りや自分自身のことを芸術として描き、内面描写を中心に語られる事が多いようです。

 1935年の小林秀雄の「私小説論」に始まり、1950年の中村光夫の「風俗小説論」を経て、1960年代以後、私小説批判が長く続き、1980年前後に村上春樹などのファンタジー風の純文学が隆盛を迎えて、私小説は低調となりました。

 その後、車谷長吉、佐伯一麦などのような新しい私小説作家が現れて、私小説を再評価すべきだとしています。

 西洋にも、ゲーテ「若きウェルテルの悩み」、トルストイ「幼年時代」「少年時代」「青年時代」、ラディゲ「肉体の悪魔」、プルースト、アンドレ・ジッド「一粒の麦もし死なずば」、ヘッセ「車輪の下」、ヘンリー・ミラー、ハンス・カロッサのほぼ全作品など、自身の経験に基づいた小説が多いそうです。

 私小説は、決して日本独自のダメな文学ではありません。

 小説の書き方について書かれたのは、1909年の田山花袋の「小説作法」が最初です。

 主として身辺スケッチを勧め、実を書くことを主眼として教えています。

 その後、1934年の広津和郎の「小説作法講義」、1941年の武田麟太郎の「小説作法」、1955年の丹羽文雄の「小説作法」などが書かれました。

 現在では、昔のように小説家に弟子入りするというようなことはなくなりましたが、カルチャースクールなどで小説教室が聞かれたりしていて、そこで学んだ人が作家デビューするというようなことが起こっています。

 また、20年ほど前から自分史を書く人か増えており、その際、自分の名前を変えて書いて私小説になるはずです。

 最近では、私小説の救世主と言われる西村賢太のような作家が登場しています。

 小説を書きたいとが何を書いていいか分からない、あるいはフィクションを作れないという人に、私小説を書くことを勧めています。

第一章 私小説とは何か
第二章 私小説作家の精神
第三章 私小説批判について
第四章 現代の私小説批判
第五章 私小説を書く覚悟




Last updated 2012.04.24 18:46:31
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2012.04.17

上海で働く(感想)

 上海はいま活気が全市に漲っていて、住んで働くのに非常に魅力的な都市です。

 上海での成功のカギは、言葉より行動だといいます。

 ”上海で働く”(2004年10月 めこん社刊 須藤 みか著)を読みました。

 上海で暮らし働いてきた18人の日本人にインタビューして、成長著しい上海での働くことになったきっかけと働き方を紹介しています。

 18人のほとんどが20~30代の若者たちですが、40~50代の人も若干います。

 上海はどのような職でも受け入れるそうですが、働き暮らすのに日本のように平穏無事ではないそうです。

 須藤みかさんは、1965年熊本県生まれ、出版社勤務を経て、1994年に中国へ語学留学し、北京の国営出版社勤務ののち、フリーランスになり、上海の社会や暮らし、出版事情、在中日本人の労働事情などに関する記事を発表し、仕事のかたわら、復旦大学大学院修士課程を修了しました。

 上海は中華人民共和国の直轄市で、2007年末の人口は1858万人です。

 このうち、上海市戸籍を持つ人が1378万人、上海市居住証、暫住証を持つ中国人と香港、マカオ、台湾以外の外国人が479万人、それ以外の出稼ぎ労働者が660万人以上で、合わせて総人口は2500万人です。

 世界有数の世界都市で、中国の商業・金融・工業・交通などの中心の一つです。

 1842年の南京条約により、上海は条約港として開港しました。

 これを契機として、イギリス、フランスなどの租界が形成され、後に日本やアメリカも租界を開きました。

 1920~1930年代にかけて、上海は中国最大の都市として発展し、イギリス系金融機関の香港上海銀行を中心に、中国金融の中心となりました。

 1978年の改革開放政策により、外国資本が流入して目覚ましい発展を遂げました。

 現在も、1992年以降本格的に開発された浦東新区が牽引役となって、高度経済成長を続けています。

 そのような中にあって、現地採用の労働条件、上海の就職状況、仕事の探し方のノウハウ、いま上海で求められている人材がどのようなものかなどがよく分かるように紹介しています。

 登場する18人は、多かれ少なかれ向こう見ずな人たちです。

 疾走するかのように変化を続ける様に魅せられて、世界中から上海に人と資本が集まってきています。

 中国人・外国人を問わず、夢を語り、つかもうと奮闘しています。

 中国語全くできないままに上海に飛び込んで仕事を見つけた人、OLから一転して異業種で起業した人、駐在帰任の辞令が出たと同時に退社して新たな夢に挑戦する人などなどです。

 職種も世代も上海へ来ることになるいきさつもさまざまですが、みな新しい世界にためらわずに挑戦する冒険心を持っています。

 社会体制の違うこの街で働く以上リスクも大きいですが、異文化のなかで戸惑い怒りへこんだりするうちに、日本では常識と思っていたさまざまな伽がはずれて、自由になっていくのかも知れないようです。

 その先には、リスクや苦労があるだけに大きなリターンがあるのではないかと感じ取れます。

前半:インタビュー
 不動産営業、フローリスト、ホテルウーマン、印刷会社営業、日本語教師、カメラマン、アパレル副資材メーカー営業、CMプロデューサー、商品企画デザイナー、雑誌マーケティングディレクター、シュークリーム店経営、イベント会社経営、服飾デザイナー、日本料理店主、人材紹介会社共同経営、電子部品メーカーエ場統括部長、植物組織培養業、オリジナル化粧品販売・卸業、衣料雑貨店経営
後半:インフォメーション
 旅立つ前に、就職活動、働く、住居を探す、暮らす、学ぶ、関係機関ほか




Last updated 2012.04.17 19:32:16
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2012.04.10

パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い(感想)

 かつて、売文社という会社がありました。

 冬の時代に生活の糧を得るためのパンとペンの会社でした。

 この組織をつくった人物は、日本にいち早くマルクスの思想を紹介した日本社会主義運動の父と呼ばれる堺利彦です。

 ”パンとペン 社会主義者・堺利彦と「売文社」の闘い”(2010年10月 講談社刊 黒岩 比佐子著)を読みました。

 今から100年以上前の1910年に創業された売文社を中心に、そのリーダーである堺利彦の人生を紹介しています。

 黒岩比佐子さんは、1958年に東京で生まれ、慶應義塾大学部文学部卒業のノンフィクション作家です。

 国会図書館にも所蔵されていない書籍を古書の山から見つけ出し、新しい事実を貴重な資料から発掘してきました。

 これまでに、第26回サントリー学芸賞、第6回角川財団学芸賞を受賞しています。

 堺利彦は、1871年に没落士族の3男として豊前国仲津郡長井手永大坂村松坂に生まれ、豊津中学校を首席で卒業、上京後、進学予備校であった共立学校で受験英語を学び、第一高等中学校入学しましたが、学費滞納により一高から除籍処分を受け、大阪や福岡で新聞記者や教員として勤めながら、文学の世界で身を立てようとして小説の執筆を始めました。

 その後、萬朝報記者として活躍し、社会改良を主張する論説や言文一致体の普及を図り、社主の黒岩涙香、同僚の内村鑑三、幸徳秋水らと理想団を結成しました。

 萬朝報は当初非戦論でしたが、日露戦争に際し主戦論に路線転換したため、内村鑑三、幸徳秋水とともに退社し、1903年に幸徳秋水と共に平民社を創設し、週刊”平民新聞”を発行して、戦時下で反戦運動を続けました。

 1906年に日本社会党を結成して評議員となり、日本の社会主義運動の指導者として活躍をはじめ、1908年の赤旗事件により2年の重禁固刑を受けて入獄しました。

 そのとき大逆事件が起きましたが、獄中にいたため連座を免れて出獄しました。

 1910年に代筆・文章代理を業とする売文社を設立して、雑誌”へちまの花”、”新社会”の編集、発行をはじめ、いろいろな事業を行って生活の糧とし、1919年に解散されるまで全国の社会主義者との連絡を維持しました。

 売文社はその名の示す通り”文を売る会社”で、依頼があれば財界人の自伝から学生の卒論、子供の命名まで何にでも腕をふるいました。

 日本初の編集プロダクションで翻訳会社でもあり、今日的な新しさを感じます。

 1920年に日本社会主義同盟が結成されましたが、翌年に禁止されました。

 1922年に日本共産党の結成に山川均、荒畑寒村らとともに参加しましたが、山川らに同調して共産党を離脱し、後に労農派に与しました。

 その後、東京無産党を結成して活動を続け、1929年に東京市会議員に当選しました。

 1932年に発狂し、翌年に脳溢血で亡くなりました。

 社会主義者で投獄された第一号で、女性解放運動に取り組んだフェミニスト、海外文学の紹介者、翻訳の名手、言文一致体の推進者、平易明快巧妙な文章の達人、そして、軍人に暗殺されかけ、関東大震災では憲兵隊に命を狙われたなど、実に複雑で多面的な顔をもつ人物でした。

 また、18歳で作家としてデビューし、尾崎紅葉の硯友社一派、夏目漱石門下の人々、白樺派の有島武郎など、多くの作家と交友していました。

 堺利彦については、これまで平民社のことは多くの歴史書が取り上げられてきましたが、売文社のことはほとんど無視されてきました。

 この本では、弾圧の時代に社会主義者たちがユーモアと筆の力で生き抜いた素顔が紹介されていて、とても興味深かったです。

序 章 1910年、絶望のなかに活路を求めて
第1章 文士・堺枯川
第2章 日露戦争と非戦論
第3章 理想郷としての平民社
第4章 冬の時代前夜
第5章 大逆事件
第6章 売文社創業
第7章 へちまの花
第8章 多彩な出版活動
第9章 高畠素之との対立から解散へ
終 章 1923年、そして1933年の死




Last updated 2012.04.10 21:10:08
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