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「何人くらい、男の人とつきあったこと、あるの?」
知人と呑んでいて、いきなり訊かれて焼酎をこぼしそうになった。 そんな質問、何年ぶりだろう(苦笑)。 「最初のひとは高校時代? 以前日記に書いていた、岡田有希子の?」 うわー、忘れてた、そんなこと、書いたっけ? 名前出してWEB公開日記なんかしてると、こういうのが恥ずかしい。 知り合いに読まれちゃうもんなあ。 そういえば、ずいぶん前に、そんなことを書いたことがある。 高校2年生のとき、某学習雑誌で読者モデルのようなことをして、そのときに、 カメラマンのアルバイトをしていた大学生とちょっとつきあったこと。 その人は岡田有希子の大ファンで、彼女が自殺してひどく落ちこみ、 「ゴメン、君とはもうつきあえない」と電話でふられてしまったこと……。 アイドルが自殺したくらいで、と思われそうだけど、当時、現場に連日全国から 何百人もファンが押し寄せて泣き、27人も後追い自殺しちゃうくらい、 ちょっとした社会現象になったのだ。 1986年。 彼のおかげで、私はあの年のことをとてもよく思い出せる。 雪がたくさん降った寒い年だった。時ならぬ春の大雪で、電車が止まってしまって、 東横線で二駅くらい、雪道を歩いたこともある。 雪が解けてやっと春が来て、岡田有希子が死んだ。4月8日だった。 ちょうど、『「おたく」の精神史-一九八〇年代論』(大塚英志)を読んでいたら、 岡田有希子の死のことが考察されていた。 「だが80年代的な少女論が問題なのは、彼女たちの側が男たちの言説に 抗する言語を獲得できないままに、この男たちの語りに半ば身を委ねざるを 得なかったことにある。男たちが少女やアイドルを語り、女たちは少女や アイドルであることを強いられた。しかもその違和を彼女たちは言葉にする術を もたなかった。岡田有希子というアイドルの死から、今、読みとるべきなのは、 80年代半ばにおけるそのような男女の間のディスコミュニケーションなのである。」 大塚が岡田の死因を、シュミレーショニズムの鋳型に自らをはめ込もうとするその内側で、 肥大化する自意識を言語化することができなかった、その苦しみゆえ死を選んだと分析する。 内面とはげしく乖離した身体を破壊しようとしたというのだ。 岡田がなんで死んだかなんて、とっくに考えなくなっていたけれど、 いわれてみると、そうだったかもしれないなあという気もする。 いつの時代でもそうかもしれないが、あの時代のアイドルは、 本当にキャラクターらしいキャラクターだった。 おにゃんこクラブが全盛期だった。 キョンキョンが「なんてったってアイドル!」を歌った。 「モモコ!」と、男の子たちが絶叫した。 カチューシャ、フリルのふくらんだスカート、段カット、くるんと内巻きになった前髪、 丸文字、少女マンガちっくな自画像……。 美人でも、きれいねでもなく、「カワイイ」といわれることが最大の賛辞だった。 当時の女の子たちはこぞって、「カワイく」なろうとした。 私も、そんな女の子のひとりで、カワイくしてデートに行った。 思えば、彼が好きになったのは、そういう女子高生な私。 そして私が好きになったのは、たぶん、大学生な彼。 「カメラマンで、クルマに乗っている大学生」 もうそれだけで、すごくかっこよく思えた。 アホだなあ。 ハーゲンダッツは何が好きかとかユーミンが好きだとか、舌の上にのせたとたん 消えてしまう綿菓子のような切れ切れのおしゃべりを繰り返しながら、 私たちは本当はなにも語り合っていなかった。 互いの間に言葉が介在していなかったから、 コミュニケーションがないのだから、関係とさえいえない。 恋愛ごっこ。 だから、彼は大ファンだったアイドルが死んだ痛みを私と共有しようとは しなかったのだし、ぷち岡田だった私とこれ以上恋愛ごっこを続けるのが つらくなってしまったのだろう。 そんな恋愛ごっこは、岡田が死ななかったとしても、早々に 続かなくなったにちがいない。 岡田有希子がなぜ死んだか。 86年の私がなぜふられなくちゃならなかったか。 ふうん。 ちょっと、ほったらかしにしていた宿題が解けたような気分で、 まあ多少はすっきりしたけど、でもだからなんなの?と思ったりする、 もはや少女でもカワイくもない、自意識ばかり肥大したひねこびた私なのだった。 ★ごあいさつ 引越ししたり身体をこわしたりしていて、しばらくお休みしました。 またぼちぼちつづっていきます、どうぞよろしく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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