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カテゴリ:レース
今年もいよいよ残すところあと1ヶ月ほどになりました。 そんな冬の風物詩のモータースポーツイベントというと パリダカールラリーです。 1979年に始まり『世界で一番過酷なラリー』と称するように さらさらの砂のアフリカの広大な砂漠、そして一瞬の隙を見せるとパンクに追いやる まるでグランドキャニオンのようながれ場など時に死傷者も出す過酷なラリーである。 一昨年には過去2度の優勝経験を持つF.メオニ(イタリア)が優勝争いの上位に 付けながらも転倒によりこの世を去っている。 そして日本の三菱自動車が1985年より毎年参戦している。 1984年に登場した『パジェロ』シリーズのプロモーション的な参戦であったが 1985年は初優勝を飾り以降8度の優勝を飾っている。 1997年には篠塚健次郎が日本人で初の総合優勝を飾り、 2002年-2003年には増岡浩が二年連続総合優勝を飾っている。 そして今回しているのは2002年よりワークス参戦した 日産ラリーレイドチームの『日産ナバラピックアップ02'』である。 欧州で発売されているピックアップトラックのナバラ(日本未発売)のイメージ を残しているが中身は別物。 マシンはパイプフレームで組まれ、エンジンは日産自慢のVQ35DEエンジンを 重量バランスをよくするためにボンネット奥に配置している、これは日産の市販車でも スカイラインやフーガ、フェアレディZなどに用いられている 『フロントミッドシップ』と呼ばれるものである。 このマシンは日本や欧州ではなく南アフリカ日産のファクトリーで製作され、 南アフリカオフロード選手権にも参戦している。 日本のニスモは直接タッチしておらず『部品供給』の支援という形のみになっている。 WRCドライバーで『砂漠の王者』の異名を持つアリ・バタネンや元WRC王者コリン・マクレー 、三菱から電撃移籍した篠塚健次郎などを擁したがあと一歩の結果に結び付かず 3ヵ年計画の参戦で05年大会で撤退した。 現在は日産としての活動はナバラのワークスカーをフランス、イタリア、スペインの ファクトリーチームにマシンを供給し、部品供給など後方支援の形で活動を継続している。 上記の画像のマシンは2002年大会のG.ドゥビリエ(南アフリカ)&P.メモン(フランス)組 のマシンである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006.11.29 17:46:45
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