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千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が今よみがえる

千三百年の間、藤原氏に消されてきた伯耆国(鳥取県中西部)の真実の歴史が今よみがえる

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2014.10.10
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 安来市の佐々布久神社の祭神は孝霊天皇である。

1 安来市の佐々布久(ささふく)神社の祭神は大己貴尊(大国主命)であるとする。

 この祭神は改ざんされていると解する。

 藤原氏は、713年から733年の間20年で出雲国の大改造をしている。その時に祭神と神社の漢字表記を変えたものと思われる。

 藤原氏は9世紀に始皇帝の子孫であると言っていたくらいだから、秦王国(出雲国)をよほど気に入っていたのだろう。そのような秦王国(出雲国)を平定した孝霊天皇を出雲国の神社の祭神にしたくなかった。

 藤原氏は、713年に出雲風土記を提出させたときに、出雲に秦王国があったが倭国に平定されたことを知って、出雲国を大改造し、最初の出雲風土記を廃棄し新たに20年後に出雲風土記を作成した。

2 鳥取県にある楽楽福(ささふく)神社のうち、日野郡日南町宮内の楽楽福神社(通称・東楽々福神社)と西楽楽福神社、西伯郡伯耆町の楽々福神社、西伯郡南部町の楽々福神社、米子市安曇の楽々福神社ががあるが、いずれも祭神として大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)を祀っている。
 「ささふく」の名称由来
 ある夜、孝霊天皇の枕元で「笹の葉刈りにて、山の如くせよ。風吹きて鬼降らむ。」と、天津神のお告げがあった。そのようにすると鬼は降参した。
この伝承に基づいて名付けられた名称である。
 神社の屋根を笹で葺いて造ったから「ささふく」神社というとする説があるが、伝承に基づいて笹で屋根を葺いたものと思われる。
  「ささふく」神社の祭神は、大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)であり、島根県野義郡広瀬町石原の佐々布久神社の祭神も大日本根子彦太瓊命(孝霊天皇)であると解される。倭大乱を平定するためにここまで来られて拠点とされた。

3 佐々布久神社は安来市広瀬町石原にある。

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おまけ

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石段の途中の踊り場から足立美術館が見える。足立美術館の日本庭園の借景の一部になっているのかもしれない。






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Last updated  2015.10.10 10:05:16
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☆ 「である」調と「です、ます」調について
 真実は一つなので学説の羅列はしていません。真実だと思われるものを「である」調で断定して書いています。読みづらいかもしれませんが、よろしくお願いします。

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サイの尾・猿田彦

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