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こけだまのつぶやき がんになって今思うこと

こけだまのつぶやき がんになって今思うこと

発病まで(顆粒膜細胞腫)

私は高校を卒業した後 コンピュータの専門学校へ進み、

信販会社を経てN市のソフト開発会社に就職しました。

当時はまだ女性の技術者は少なかったので、結構いい思いもさせていただいたりして。

「給料倍にするからウチにこないか?」と引き抜きにあったり、(若かったせいもあって?)

高級すきやきを食べさせてもらったり、回ってないおすしやさんにつれてもらったりしました。

引き抜きの誘いはさすがに辞退したけど そういう話に乗って会社を渡り歩いて行くSEも数多くいました。

今はどうなのか良く知らないけど当時はコンピュータ技術者の世界は結構狭くて、

昔一緒に仕事をした人と別の仕事で(会社も別客先も別という状況)

一緒になるということもザラでした。

フリーの人もいましたし、会社には外注先から技術者が派遣されてきてもいました。

ダンナとはその会社で知り合って、私たちは3年ほど付き合った後、私が24才の時
結婚したのでした。(ありきたりな話ですみません)

結婚を機に正社員としては退職したのですが プログラマという仕事の特質を生かし

「仕事があるときだけ出勤」という恵まれた条件で「嘱託」社員として同じ会社で働かせて
もらっていました。

月に二回給料日があるんですよ。交通費は実費。しかも一回で貰う給料は 普通のOLさん
に比べるとうんと額が多い。

必要悪である残業などやろうものならもっと多くなる。

家族の一人や二人食べさせて行けそうなくらいでした。

そのお金を貯金しておけば良かったと後でどれだけ後悔したことか…。

とにかくそれなりに生活も仕事も楽しみながら1年くらいはすぐに過ぎていきました。

でも、私には大きな問題があったのです。

独身時代から私の生理はストレスの為か非常に不順で

結婚し妊娠を望むようになってもその兆候は全くありませんでした。

このままではやはり良くないと考え思い切って市内にある総合病院の婦人科を

受診したのです。(今も通院している病院)

婦人科という科は本当に敷居が高いです。

結婚をしていたから行く勇気が出たけれど独身の頃は絶対に行こうとは

思わなかった。

いくら早期発見早期治療が大切と叫ばれても、どれだけ内診台が最新になっても、

綺麗で明るい雰囲気になっても、オンナノコが越えるハードルは高い。

最初の治療は ホルモン剤の服用だったと思います。

それに「ヒステロ」と呼ばれる非常に苦痛を伴う卵管造影検査もしました。

卵管の通りが悪くてもこの検査で通ってしまう、という

オソロシイ検査で、ホルモンのバランスが崩れていて 卵管の通りも悪いのでは?

という診断でした。

数ヵ月後、デスクで仕事をしていた私は急に右の下腹部に痛みを感じて動けなくなってしまいました。

すぐに早退し、翌日病院へ行きました。

すると 医師から「右の卵巣が腫れてしまっている。

卵巣は普通は小指の先ほどの大きさのものなのに9センチ大になっているよ。

これはね、薬では治らないよ。手術しなきゃね」

と 初めての「薬ではなおらないよ。手術するしかないよ」という言葉を聞いたのでした。

検査は超音波のみ。当時はCTもMRIもなかったのです。

当初の入院期間は2週間、私はその後のことなど知る由もなく会社に「2週間休みますから」と

軽く伝えて入院しました。

だって、本当に2週間後には仕事ができると思っていたから・
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