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Feb 20, 2006
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カテゴリ:田中将大

 ◇幼少期◇ 昆陽里タイガース

 
 田中将大の野球人生は、兵庫県伊丹市にある昆陽里タイガースへの入部から始まる。

 現在も指導を続ける山崎三孝氏が今でもはっきり覚えていることがある。

 それは、見学に来た田中にティーバッティングをさせた時のことだ。

 普通、小学1年あたりでは手元でボールを打つことが多く、打球も上がりがち。

 ところが田中は左足の前でしっかりボールをとらえ、ネットに打ち返したという。

 同チームで6年間、学年で区切った各段階のチームで4番に座り続けた。

 少し首を傾けながら打ちにいくフォームは、今も面影を残す。

 守りの方は6年間キャッチャー一筋で肩が強かった。キャッチングについては、

 12,3メートルの距離から、ライナーやショートバウンドのボールを受ける特訓

 で鍛えた。

 小学3年の時からこの練習をよくやっていたが、体にいくら当たっても田中は

 泣かなかったという。

 また、少年野球では必要以上に自軍のベンチを見るキャッチャーも多い中、田中は

 ほとんどそうゆう素振りを見せなかったという。

 5年生大会の決勝戦に、4年生だった田中君がキャッチャーで出ていた。

 その試合の最終回のピンチで相手バッターに12球粘られた場面。

 とにかくインコースを続けて、そして最後に打たれてサヨナラ負けだったという。

 こんな場面からも当時からの強気の気持ちが垣間見える。ただ、

 20年来チームを見ている山崎氏によると「バッターとしてはトップクラス」

 「キャッチャーとしては3番目か4番目」だったという。

 まだこの頃には“怪物”のイメージは湧いてこない。





    





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最終更新日  Mar 13, 2006 04:09:01 PM



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