女子校の29歳の同窓会
BSNHKで「29歳の同窓会 東京・ある女子校の卒業生たち」と言う番組を見た。なかなかおもしろかった。品川女子学院 とのことだった。1994年頃に卒業だったんだってすると この失われた30年にドンピシャ生まれてきて過ごした女性たちだ と思う。転勤族だった関係で 生粋の首都圏人ではなかったから そういう有名私立校のことなど知らなかった。私の青年時期は 公立 都立の方が普通の進学先であったろうというか 疎かったから 大学でそういう私立女子校卒の方々がいるのを知った。桜蔭学園なのよとかも言われても・・・知らないくらい田舎者だったか・・番組の品川女子学院は 自立した女性の育成を目指す と今HPを改めて見て そうなのかぁ と知った品川女子学院は 社会で働く女性の育成を目指しているんだそうだそういう高校で過ごしたかったなぁ与謝野晶子が校歌の作詞をしたそうだそうだったのかぁ なんも知らんで 普通に女子校に行かされるのだったら品川女子学院に進めてくれたらよかったのにィ と思った。父もあんまり詳しくなかったんだね生徒会長も 男女差なしに 必ず女性がなれる 女性がなにも忖度せず高校生活を過ごせるってそうか・・・私は 共学校へ行かせてもらえなかったことで つまらなくてつまらなくて 女子だけなんて ゾッとする なんじゃそれ?って思いこんでいたけれど品川女子学院の生徒は自由で楽しそうだった確かに・・男子の目が無かったから あぐらもかけたし スカートでパンツが見えそうな動きも平気だったし冬にはスカートの下に みんなジャージや あったかズボンはいていたし 早弁もがっついてたし 先生にも嫌味な質問したり それに豪傑もいた 天才もいた 絶世の美女もいた 男性的なイケメンもいた(みんなキャーキャー言ってた)きっと共学だったら遭遇できない連中だったのかも・・たった3年間だったんだから もっと満喫すればよかったのか私は国公立・理系クラスだった。受験のためのカリキュラムの関係で選択したクラスだったが勉強しない私は劣等生だと思い知らされるクラスだった。今から50年以上前だけど みんなバリバリに勉強していた。卒業旅行も一緒に行った親友が 早稲田政経に入ったもっと上だって狙えたような人だったでも 卒業しての就職は 思うところには行けず中小企業だったまあ なんのコネもないような家庭だったのかもしれないが 友人たちも あんなにすごいと思った人たちが すごい成功をおさめているとは聞かなかった家庭の事情で就職する友人も少なからずいて 疎い自分はびっくりしたものだったそれくらい 今から思えば女性の 社会へのスタートは難儀だったのだろう昨日の72時間ドキュメントでも南房総の桟橋でのロケ内で インタビューに答えた58歳という女性二人その頃にはめずらしい女性の大学受験浪人で 予備校で知り合って それからの親友だそうだ片方の女性の話で結婚以来 3人の子育てしながら夫の両親の介護をずっとしてきて やっとそれがなくなりこの友人と出かけてきたという3人の子をおぶったり 手を引いて家出もしたことがあったって 家出と呼べないほどで「ばあちゃんのオムツ替えなきゃ」と帰ったそうだ。浪人をしたということは 大学で何かを学ぼうとしていた または働いた女性でも結婚し3人の子供を持てば 人生 やっと動ける時には50も半ば ということかでも私も結局 結婚してからすぐ子供を産んで それからは正社員にはなれないまま 50代半ばでそれまで自分に貯めてきた資金と主人の協力で 事業を始めたんだから50代半ばだって ぜんぜん大丈夫なにか自分のために生きてみれるよ!!まだなにやら迷い子だった息子らに「これからやっと母さん 自己実現するつもり」なんて宣言して呆れられたり にらまれたりしたけど 突っ走って 気が済んだ頃に息子らの大混乱があったけど 逆に 乗り越えられた。思い残すことはない。男性だって大変なんだ それはわかるだけれども ただ女性というスタートラインは 男性よりずっと後ろから始まるどんな女性にも ハンデがくっついているだから女性を見ると 知らない人も 戦友のように思える時がある