「生き方を確立した人」は、生きやすくなる
◎おかしさに気付かなかった人ほど大きかったショック
前項では、何も当てにするな、自給自足の覚悟をせよ、などといったので、驚き、あきれた人もいるだろう。が、私は、これから先の世の中が、必ずしも「お先真っ暗」だとは考えていない。
少なくとも、これまでのように「すべてを一本調子、ワンパターンで考えること」は危険だ、といっているのである。
そして、前項であげたような覚悟ができ、また、これから後で述べるような条件を備えた一握りの人々にとっては、むしろ「明るい展望が開ける」--と確信するものである。
一方、このようなことが分からず、右往左往する人、無責任、怠惰、あるいは、お金や権力や地位だけに頼ろうとする人々--つまり、一口にいってしまえば、
●心が荒んだ人々は、ますます窮地に追い詰められ、もがき、苦しみ、傷つけ合うようになるだろう
ということである。
この中には、心が空《うつ》ろになってしまった人、本質が見えず、目先の利害、打算だけで動こうとする人々も含まれる。
これに対して、「本質の見える人」「生き方を確立した人」は、時にはあるプロセスにおいて心の荒んだ人のとばっちりを受けて悩まされることはあるかも知れないが、大筋においては、これまでにくらべて、「生きていくことがやさしく、楽しく感じられる」世の中になっていくのではないか。
そんなふうに、私は、希望的観測をしている。
というのは、ここ一、二年の間に、私はずい分楽しい思いもしたし、生きる素晴らしさを、いっそう経験することができたからである。これは、これから先のさらに混沌とした時代の幕明けを示唆していると私は考えている。
私は、現代がいかにおかしい社会であるかを提起し、来たるべき近未来を予測した。そして、その予測は、意外に早く現実となって姿を現わした。
私たちのまわりには、うろたえ戸惑う人も多かった。本質が見えず、有頂天になっていた人ほどショックは大きかったようである。
私自身も、このような世の中の動きと全く無縁ではあり得なかった。クライエント会社の売上げが減ったり、経営不振に陥ったために、仕事がキャンセルになったこともあった。
◎バブルに浮かれていなかった人は被害ゼロ
しかし、私自身の受けたダメージは意外に少なく、むしろ、予定通りにすべてが運んだ、といってもよかった。
私の許には、大損害、大幅減収、減益、赤字転落、倒産の危機、失業の不安等々のよくない情報が頻繁に入るようになった。むしろ入ってくる周辺の情報は、悪い情報ばかりといってもよい状態だった。
だが、私と私が密接に関与してきた企業、団体、私の生き方に賛同して下さった方々に関する限り、悪い情報は、一つもなかったといってよい。
これは実に「不思議」といってもよいほど見事な対照をなしていた。
「なぜだろう」と私は考えた。
財テク、バブル--そういうトレンドに乗った人、会社ほど、ダメージは大きかったようである。
それにひきかえ、私と私に近い企業や人は、トレンドに乗ろうとしなかったため、被害も比較的少なかったようである。
以上の対照は、財テク、バブルに限定した話のようにも思われる。
が、実は、そうではない。
●モノの考え方、生き方のちがい
が、「差」となって表われたのだと思う。
私は、「今こそ、生き方を見直し、変えるべきだ。そうすることが幸せをもたらし、そうしないと、不幸になる」と考え、そのことを拙著『「生き方を変える」17の視点』の中で提唱した。
この提言は、今なお有効だと思うので、後でご紹介する機会をもちたいと思っている。
が、「生き方」はなかなか変えられるものではないようだ。
前掲の本を読んで、自分たちのモノの考え方や生き方に問題があると「気付いた人」は何パーセントかいたにちがいない。
そして、気付いた人のうち、また何パーセントかは生き方を変えたかも知れない。
こうして、ホンの一握りの人だけが、自分の生き方の問題点に気付き、修正をした。その結果、ここでいうこれからの世の中で明るい展望が開ける人たちになったかも知れないのである。
つまり、
〔●これからの世の中においては、心のもち方、モノの考え方を「ホンのちょっと変える」ことができたら、生き生きと暮らすことができるようになるのである。〕
それは、いつの世でもいえたことだが、これから先、混迷の度を深める世紀末の社会では、特に顕著となるだろう。