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2015.02.01
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テーマ:教育問題(256)
カテゴリ:おすすめ
早期英語教育の弊害(3/3)

《3》
 人間は赤ん坊のときから小学6年・中学2年(思春期)までに感情が育つものであるらしい。
 その大事な時期に、秀才になった人間は感情が育たないように教育されてしまう。その最たるものが算数であり、早期の英語教育になっている。

 たとえば、みなさんがサッカーに関心があるとして。
 2002年の日韓W杯に出場したカメルーンの選手の名前を、全部覚えろと言われたら、どうします? TVドラマ「HERO」(木村拓哉、松たか子主演)で、そういう場面があった。木村拓哉演じる検事が、松たか子にその選手名を全部言わせるシーンがあった。
 カメルーン選手一人ひとりに、よほどの縁故でもないかぎり、全員の名前を覚えようという気にはなるまい。普通はどうでもいいからだ。感情が湧かない。当時、カメルーン代表が合宿した大分県の村びとならば、現実の実体ある選手に関心も湧き、友情も育って名前を覚えただろうが…。そうなるのは感情が起きるからだ。

 無理に名前を覚えろと言われたら、まずはそうした面倒だなとか嫌だなとかの感情を抑えて、無味乾燥なものとして暗記するよう努力するだろう。暗記できたとしても、3ヶ月したら忘れてしまう。
 それがなんとスラスラ出来てしまい、忘れないのが、天下の秀才なのだ。

 それは感情が育っていないから出来るのである。感情がまともに育っていれば、関係ない、一生縁もないカメルーンの選手の名前など知ったことではない。覚えたくもない。

 ドラマ「HERO」の木村拓哉は検事役であったが、検事とは普通は天下の大秀才がさらに勉強してなるものだから、ドラマの場面の設定ではキムタクがカメルーン選手は何でも知っている設定であったけれど、実際の検事で趣味がサッカーなら、ああいうややこしい名前(たとえばHenri Patrick Mboma Dem アンリ・パトリック・エムボマ・デム)を全部覚えるような離れ業は楽々できそうである。
 感情抜きに、あるいはあまりない感情で記憶できてしまう恐ろしいアタマ、それが判事や検事などになる。だから警察がでっち上げる自白調書だけで誰でも有罪にして、冤罪が起きる。
 
 受験勉強では現実を五感器官全部を通してではなく、目だけつかって文字だけで覚える。知識を強烈に吸い込む。人生、ココロ豊かになることが大事なのに、大人になって感性薄い人間になってしまう。
 
 その歪んだ認識を起死回生、立て直すことができるのがわが流派の空手、ということになるのだが、次善の策として若者を徴兵して軍隊に入れてシゴクことであるが、アホどもが軍国主義復活だ、などと騒ぐから実現不可能だ。

 本来は対象の構造に見合うように、像の形成過程を経て育たなければならない。それが教育だ。
 一歳児には一歳児の教育がなされる。きちんと目的意識的に。
 ところが幼児期の算数や英語の学習は、像の形成がデタラメ、しかも感情が薄く、そのうえ過剰である。たしかに子どもは、強いれば覚えはするだろうが、メチャクチャである。

 本来の人間があるべき、対象の構造に見合うように像の形成過程がなされるのは、社会関係で決まる。社会が創ってくれる。
 そうした社会関係で創られる認識にも二重構造がある。それは大人になったときにいかなる像が必要かであり、もう一つは一歳児なら一歳児の、中学生なら中学生の、家庭や友人関係という社会関係で必要な像である。

 大人になったときに必要な像とは、例えば困難に立ち向かう勇気とか、弱者や異性に優しいココロとか、挫折に負けない闘魂だとか、そういう像であろう。そういう像がしっかりと中学生なら中学生の時点で現実または実体で教育されていなければならないのである。大人になってから学べばいい、では遅い。
 また中学生なら中学生の家庭や友人関係で必要な像とは、いわずもがな、同級生への友情とか感情豊かにする文学とかで創る像である。

 そういうしっかりした像を形成するには、像が厚みを持ったものにならなければならない。
 師弟愛とか友情とかであれば人間関係が深まり、像に厚みが出てくる。像の厚みが五感情として育っていくべきものである。
 ところが、今はそういう教育環境にない。テレビは毎日流れている。マンガ雑誌は毎週流れてくる。テレビゲームもひっきりなしに新発売だ。薄い知識ばかりが感情の深まりもないまま、蓄積されていく。それも過剰に。

 昔は、子どもが読む雑誌といっても月刊だったから、同じマンガや小説をくり返し読んだものであった。とりわけ戦前の「少年倶楽部」では。その同じもののくり返しで像が厚みを帯び、量質転化してその人間の深い教養となっていく。
 そういう過程が今の子どもたちは持てていない。

 したがって、いわゆる公●式なる算数の上達法がどれほどまずいか、である。あれは次々に問題を解いていくものだそうだ。同じ問題をあきるほどくり返すならいいのに、次々に数字を変えて、それ応用、また応用、もっともっと応用を、とやってしまう。
 
 英語でもおそらくそうだ。
 「This is a pen」とやったら、つぎは目的語を入れ替えて「cat」にし、「desk」にし…とやって応用していく。だから像が深まらないし、深まらない像を駆使するようなアタマになってしまうのだ。
 幼児早期英語教育もそうなっているだろう。
 
 幼いときから、こうやって、像が薄っぺらになる教育をせっせとやる。そして子どもは薄っぺらな像を創るアタマにと量質転化していく。だからじっくり恋愛でも友情でも育てていくことができない。ちょっと嫌なことがあると、即別れる。会社にも定着できずに転々と職を変える。癒されることばかり望んで、自分から難局を克服していこうという闘志がわいてこない。
 …とこうなる。で、引きこもったり欝になったりして同情を引こうとする。

 今後はこういう人間がますます増えるだろう。なぜなら幼児期から英語教育を本格化させるからというのが、一つの理由である。

ブログ心に青雲より
転載終





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最終更新日  2015.02.01 16:13:43
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