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縄文土器と言うと、どんな土器を思い出しますか??
昨日、沢山の土器が発掘されている西会津町にて 「西会津町歴史文化講演会・シンポジウム」が開催されました。 ![]() 西会津町には、7万㎡の広大な面積の集落跡・遺跡があります。 遺跡からは、縄文土器の代表的とも言える 火焔型土器や王冠型土器など、「会津タイプ」と呼ばれる土器の破片が多数発掘されており、 ほんの一部でのみの発掘でさえ、ダンボール2000個分の土器の破片が発掘、収蔵されているのだとか! ![]() その縄文土器の代表格とも言える「火焔型土器」のルーツが 会津にあるのでは!? という内容のシンポジウムです。 國學院大學文学部名誉教授で、縄文研究の第一人者の小林達雄氏を始めとする、その道の方々を迎え、 昨日のシンポジウムで、「火焔型土器」のルーツが会津であったことが正式に認められ、これまでの縄文史を覆す発表が行われたのです!!! これまで、火焔型土器は新潟県や長野県で多く出土され、 ルーツは新潟県エリアと考えられてきました。 国宝である火焔型土器は、新潟県十日町の物であり、 2020年のオリンピックの聖火台デザインに提案中とのことで 日本のルーツであり、誇るべき縄文時代の文化を世に出されるかもしれないこのタイミングでの発表! 会津に生まれた私たちにとっては、 誇るべき事実かと思います! その裏側には、一人の長い研究の努力がありました。 西会津に生まれ、全国の様々な土器研究に携わり 西会津で出土された土器を何十年も研究に人生を注いだ 佐藤光義さんの努力された結果、 このような発表に至りました。 ![]() ![]() とは言え、実際に優美で装飾性の高い火焔型土器は、いずれにせよ北陸から出土された土器であることは間違いありません。 会津タイプと新潟タイプの違いにおいても、シンポジウムの中で説明がありましたが、 新潟の土器は、より立体的であったり、精密な造りで 会津にルーツがありながらも、新潟でより一層発展していった歴史の流れのようです。 土器を抜いては語れない縄文史がまた1ページ書き換えられた発表ではありましたが、一番興味深いことは、その地域性と、縄文時代の交流を追った“人の動き”だと思います。 縄文時代、かなり多くの集落が点在し、 共に交流し、情報を交換していた暮らしぶりがある、ということに是非焦点を当てて、 日本人のルーツを知るきかっけになればと願っております☆ 福島県と新潟県は、東北と北陸ということで 異なる文化圏のような印象もありますが 同じ雪国同士、更には食文化においては 古くから新潟県からの水路、阿賀川(大川)を利用した交流は、 伝統的な会津の食文化を語る上で、どうしたって切り離せません。 例えば、代表的な郷土料理、「こづゆ」、「鰊の山椒漬け」はまさに、新潟からの海の恩恵を受けた証です。 更に昭和村の特産品、苧(からむし)は山を超えて新潟十日町で越後上布となり、地域資源を共に活用して発展しました。 このような縄文時代からあった交流は、 一見、聞けば当たり前のようですが 相互の地域の特性の関係があった上で、様々な発展をしてきたのだと思うと、実に興味深い話だと思います。 西会津の「ふるさと自慢館」で 出土された土器の一部を見ることができますので是非ご覧になってみてください(。◕‿◕。) 更に、もっとたくさんの土器が見たい! という方は、西会津町役場生涯学習課に前もって連絡を入れれば 見せていただけるので、本気で見たい!という方は是非「事前に」連絡をしてみてください♪ 多くの方に、会津タイプの土器に興味を持ってもらえたら嬉しいです☆ ■ふるさと自慢館 ■〒969-4406 福島県耶麻郡西会津町野沢原町乙2147 ■電話: 0241-45-3235 ■定休日 火曜日、年末年始 午前10時~午後4時 ■生涯学習課:0241-45-3244 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017.10.17 11:47:21
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