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空海と伏見稲荷大社・空海は稲荷大学で2年間自然科学を学んでいた。神泉苑の雨乞いでスーパースターになった空海
平安京遷都まであと数年となったころ長岡京の桓武天皇の皇子の伊予親王が一人の若者を連れて稲荷神社に参拝にきていた。そして15歳のその青年を稲荷神社で修行させてほしいといっている。その青年は空海といい2年後には比叡山の延暦寺に修行に入るというが、その前に稲荷神社で神道の勉強もしたいという。当時は仏教も神道もそんなに垣根はなく宗教という枠の中のことでそんなに珍しいことでもなかった。 稲荷神社二代目の宮司荷田生成(いなり)はこれを快く歓迎して稲荷大学の入学を許している。当時はこの15歳という年から親元を離れて修行するのが当たり前だった。生成も15歳から20年間も土木と造園の修行をしている。この生成の男子の子供二人も親元を離れて長男は宮大工、次男は菅原家で貴族の勉強をしていた。これは初代の伊呂具の教えで「100年先の子孫の繁栄を願うならなにもしなくてもいい、ただ、1000年後の子孫の繁栄を願うなら家業以外の技術や思想を勉強しなくてはならない」という教えからだった。 昨今、日本を代表する会社でそろそろ創業100年を迎える企業の業績が悪くて社会問題化しているが、それは伊呂具がいう「家業以外の技術や思想」を取り入れなかったのが原因ともいえる。これは人間にもいえることで仕事一筋でやってきたが退職すれば何もできない人でやがて痴呆症になるのが関の山だ。つまり、1000年先のために今何をするかになる。 稲荷大学に入学した空海は稲荷山の四辻にある教室から毎日雲の動きを勉強していた。ここからは南は奈良の山、西南には大阪湾、そして西には六甲山、さらに北西には愛宕山と風と雲が京都盆地に入ってくるのがよくわかる。奈良方面からくる雲は枚方辺りの山で遮られてここで雨になる場合が多い。四国からの雲は六甲山と天王山から西山連峰、丹波からの雲は愛宕山とそれぞれ特色があった。しかし、この稲荷山は標高300mほどでたとえこれらを参考にして雨や嵐の予報をしても12時間後程度のことでは空海は満足していなかった。 そこで空海は京都で一番高い愛宕山に稲荷大学の自然科学部の開設を生成に進言していた。生成はその話を桓武天皇にいうと天皇は「この愛宕山にある愛宕権現白雲寺は征夷大将軍の坂上田村麻呂が勝軍地蔵を奉納した寺で坂上田村麻呂の許可がいる」というので空海は田村麻呂に会いにいった。この坂上田村麻呂こそがその昔に狐に助けられて新宮稲荷神社を建立した人物だった。 これが縁で愛宕山に稲荷大学愛宕山自然科学部を設立していた。ここからは瀬戸内海や四国の上空と思われる雲の動きがよくわかる。それに丹波、丹後は地面もわかる。つまり、台風、大風の雲の動きを記録してその動きの癖と確率で京都盆地に雨や嵐が来る予報も2日~4日ほど前からわかるようになっていた。この自然科学部には稲荷山の学生狐10匹が選ばれて毎日雲と風の動きを記録していた。 この狐らは空海にもし沢の水が枯れていた場合にどこに湧き出る水の水脈があるかの見つけ出し方も教えていた。これは狐が沢蟹が大好物で沢の水が枯れたら沢蟹が石の下に潜んでいる場所を見つければそこが水が湧き出る水脈になるというものだ、空海は試しに杖で沢蟹が隠れていた場所を突くとそこから水が噴き出してきた。空海はこの狐の話をヒントに地質学も学び水脈と温泉源の因果関係の理論を確立していた。 空海は2年で稲荷大学を卒業して神官の免許を得ていた。そして17歳の春に比叡山延暦寺の最澄の弟子になった。その後、修行のために全国を旅するがそのあちこちで水脈や温泉を発見して「空海が見つけた湧き水、温泉」というのは1000か所は下らない。さらに空海は官寺の東寺の住職を任命されていた。そのころ都は雨が降らない飢餓寸前になっていた。そして東寺の空海、西寺の守敏との雨乞い合戦になったが、守敏はただただ金堂で護摩木を焚いて祈祷するのみで2日目には熱中症で倒れてしまった。 空海は愛宕山の狐が瀬戸内海の雨雲を見つけてそれが京都盆地に来る時間を計算してそれを愛宕山からのろしで知らせて来るのを待っていた。そして空海は神泉苑の龍神を祀るお堂で一応西寺の守敏と同じように護摩木を焚いて祈祷の振りをして一心に拝んだ…もちろんこの雨乞いのパフオーマンスは雨を待つ農民どころか皇族、貴族までに宣伝されており、観衆は1000名を超えていた。やがて雲一つなかった空が真っ黒になり竜が暴れるごときの雨が降ってきた。この瞬間に空海は全国ネットのスーパースターになった。
神泉苑、東寺など、2016年8月3日撮影 新電子書籍…このブログの記事をまとめた無料の書籍になります。
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最終更新日
2023年02月15日 14時49分13秒
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