竹入義勝元委員長、自分まで詐称
2006年4月25日 18:17:44 公明党の元委員長にして、党と創価学会を裏切った学歴詐称の金満政治家(に憧れていたw)、竹入義勝。ついに「自分まで詐称」記念。 竹入は「学歴詐称」で政治家をしながら、「勲一等旭日大綬章(日本最高位の勲章)」をもらっているw もちろん、返すつもりなどない。 ちなみに、政治家を辞めた後に発覚したとはいえ、政治家の「学歴詐称」は犯罪ですw『聖教新聞』2006年4月25日付自分まで詐称佐藤 そういえば最近、その竹入の息子が住んでいる文京区(東京)の婦人部の方が偶然、買い物帰りに竹いと会ったそうだ。竹内 それは僕も聞いたよ。 その方は道ばたで竹入に会った。「失礼ですが、元公明党委員長の竹入さんですよね」と丁寧に呼びかけた。佐藤 ところが竹入は「いいえ、ちがいます」(爆笑)。竹内 あまりにも人をバカにした態度に、その婦人の方は力強く「創価学会を裏切りましたね」とピシッと言われた。佐藤 すると竹入は突然、喚き散らした。天下の公道、多くの人々が動いている、その街の真ん中でだよ(爆笑)。青木 要するに、恥を知らないんだな。あの見栄っ張りのバカな、学歴訴訟の最低のやつは(笑い)。藤原 なんだ、やっぱり竹入本人だったんじゃないか(大笑い)。秋谷 学歴詐称だけじゃ足らなくて、とうとう、自分のことまで「詐称」しはじめたわけだ(爆笑)。 どこまで哀れなやつか!竹入の悪事―経歴詐称―「陸軍航空士官学校出身」のウソ(昭和37年ごろから多数)「重爆機の機長だった」のウソ(昭和41年7月)「特攻隊だった」のウソ(昭和46年)本当は終戦直前まで国鉄勤務。終戦時は所沢で作業兵「旧制高千穂中学卒」のウソ(昭和55年)卒業名簿に名前なし。実際は軽井沢尋常小学校高等科卒「弟子」まで詐称(昭和37年~)「聖教グラフ」(昭和40年6月号)で「(今の自分があるのは)ぜんぶ、池田先生のおかげ」と断言。政治記者にも「私はね、池田会長の弟子」と公言。他にも同様の発言が多数ある。下劣な正体が暴かれると「戸田先生の弟子」と言い出した。―蓄財と遊興―日中友好を食い物に日中友好関係を利用し大散財。議員引退後も家族で放蕩旅行。中国側に招待させていた。浅草で芸者遊び遊んでは芸者衆に「金を取りに来い」と威張り散らし、大金を渡していた。乱れた女性関係(昭和45年ごろ~)帽子、付けひげなどで変装し、都内の一流ホテルで、女性と密会。また、自宅で女性と会っていたところを女房に見つかった。2千万円菓子折り事件(昭和49年3月)京都府知事選の立候補者から、現金2千万円入りの「菓子折り」を受け取った。渋谷の豪邸(昭和46年12月)、軽井沢の別荘を購入(昭和61年5月)渋谷・恵比寿に屋上付の豪邸、軽井沢に土地500坪以上の豪華別荘を取得。異常な宝石、盆栽漁り(昭和40年代~)海外訪問のたびに、ヒスイなど高額の宝石を買い漁っていた。盆栽漁りも有名。渋谷の自宅屋上には時価数百万円の盆栽が数十鉢も置かれ、ガラス張りの観賞用スペースまであった。京都の高級料亭で大豪遊(昭和50年代)20数人もの一族を引き連れて、一晩で200万円以上の散財。伊豆の高級料亭旅館で大豪遊(昭和63年5月)ニセ法主・日顕も使っていた会員制の超高級旅館などで豪遊。佐川急便から6億円の寄付を受ける(昭和61年ごろ)理事長を務める財団に、佐川急便から6億円もの寄付を受け取る。―その他―日顕と結託(平成2年~)大2次宗門事件の際、日顕宛に手紙を出し、宗門側につく意思を伝えていた。今では日顕宗の檀徒に成り下がった。大新聞に大ウソだらけの“回顧録”を掲載(平成10年8月)自慢話や事実のわい曲だらけの回顧録を掲載。大恩ある支持者を裏切った。竹入喜久の悪事一覧「高等学校卒」のウソ岩手の尋常小学校高等科を卒業後、高等学校に進学した形跡はない。にもかかわらず、竹入夫婦は人事興信録の喜久の学歴について、昭和44年~平成15年版まで「高女卒」と表記していた。それを、平成17年以降になって突然「高女卒」の表記を削除した。「杉並美容女学院卒」のウソそんな学校自体がない。存在が確認できない。無免許美容師の疑惑美容学校を出た形跡がないのに、美容師業務を行っていた。くるくる代わる経歴竹入が党に提出した履歴カードの喜久の学歴は、昭和40年以降「女学院卒」「杉並美容女学院卒」「岩手市立職業学校」「女高卒」「女学校卒」「女学卒」と、クルクル変わっている。このうち「女高」「女学校」「女学院」の名称は「当時の学校の類型として考えられない」(文部省、当時)という。竹入・長男の疑惑一覧医学部不正入学昭和49年4月、私立T大学医学部に入学したが、2年後の昭和51年、週刊誌が2度にわたって「医学部裏口不正入学疑惑」について報道。竹入が公的立場を使って長男を不正に入学させていた、と報じた。竹入親子は出版社と編集発行人を提訴したが、昭和53年、コッソリ取り下げた。選挙と裏口入学を「バーター取引」の疑惑入学の3カ月後、その大学の総長の子息が熊本地方区から参院選に立候補。その際、選挙区の公明党公認候補が急きょ、おろされた。委員長だった竹入の差し金。裏口入学との「バーター取引」を疑われる。卒業時にも重大疑惑昭和55年に卒業予定だったが、落第。翌年も落第した。竹入が大学関係者に働きかけ、その年の9月に強引に卒業させた。