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テーマ:政治について(19783)
カテゴリ:創価学会ニュース
2006年6月16日 13:38:37 中国や韓国の人々に対し、平気で人種的な「差別」発言をする、ごく一部の「極右」論者が、好きになれない。 そもそも、人間を「国」や「民族」で囲って、「人種差別」発言して、何になるのかw だれが得するw 意味ネェw 「人間」があって、「国」があり、「民族」「宗教」がある。「人間」の“基盤”は、どんな「民族」にも「共通」するものだ。「小差(民族、思想、宗教)」で、「大同(人間、人類)」を破壊して、どうするか。だれだって、人間である以上、そんなに「差」はないだろw そんな「極右」が、「自分こそ、立派な日本人だ」みたいな顔をしているのが、憤まんやるかたない!! ぶっちゃけ、「差別主義者」と同じ日本人ってのが、ヘコむw 日本(極右)は「戦争責任」があいまいに思う。「国民全員が悪かった」とは、最悪な「幕引き」では?w “分散”しすぎw しかも、「思想統制」、「言論弾圧」しながら、「国民全員」はないだろとw もっと、ドイツのように「法律」で規定するとか、分かりやすい「戦争責任」の取り方はないんかね。他国にもだけど、何より、まず、日本国民に対して。 数十、数百万もの人を死なせ、国土を焼き、天皇制まで廃止されかねなかった「責任」は、どこにあるのかと。 「A級戦犯」も、「東京裁判が不当」とか、今さら“無罪放免”みたいに言われ始めてるし。いやいや、せめて「最高指導者」なら、「責任」取れよw この、“あやふやさ”も、ヘコむw 日本人(極右)、いさぎワルすぎw 『聖教新聞』2006年6月15日付 「サッカーがもつ国際性――ワールドカップ開催に寄せて 田村光彰」より抜粋 ヘイゼルの悲劇 サッカーのもつ国際性に対し、その対極にあるものがフーリガンの存在です。彼らはワールドカップだけでなく、欧州チャンピオンカップなどの国際試合が行われると、開催国を必ず悩ませます。対戦国を蔑視し、人種差別そのもののヤジを飛ばし、さらには対戦国のサポーターと乱闘を引き起こします。 1970~80年代にかけては、とりわけイングランドのフーリガンが有名でした。ユベントス(イタリア)との対戦の際に、リバプール(イングランド)のフーリガンがユベントスのファンに殴りかかり、39人が死亡した「ヘイゼル(スタジアム)の悲劇」は今も語り継がれています。 ドイツの場合、他国のフーリガンと異なる点があります。それは、ヒトラーを礼賛し、極右政党に集まるネオナチ(新しい装いを凝らしたナチス)がフーリガンを扇動している点です。 ドイツは今回のワールドカップ開催に備え、昨年、取り締まりの強化をめざし、極右デモの規制法を下院で可決しました。また、憲法裁判所は、ヒトラーをたたえ、外国人排斥を歌詞に織り込むネオナチバンドを「犯罪組織」と認定しました。 異文化の尊重 東西ドイツの統一後、ネオナチの極端な排外主義に反対する人々は、1993年に異文化と、異なる文明の尊重を掲げて、ドイツ中の駅や公共の建物に次のようなポスターを張りました。 「君のキリストはユダヤ人/君の車は日本製/君のピザはイタリア製/君の民主主義はギリシャ製/君のコーヒーはブラジル製……なのに君の隣はただのガイジン?」 対戦国のブラジルを敵視するフーリガンが飲んでいるコーヒーもまたブラジル製! 文化も文明も相互依存の関係にあり、人は狭い国境の壁の中に孤立して生活しているのではありません。 国家の枠組みを超えた人間の友好、連帯を訴えた人の中に、治安維持法違反と不敬罪で逮捕され、信念を曲げずに獄中死した牧口常三郎氏がいます。ポスターに先立つ90年前に出版された『人生地理学』で牧口氏は次のように述べています。 「私の履いている靴も靴底は米国産で……ランプの明かりのもとはロシア・カスピ海の油田から……眼鏡のレンズはドイツ人の精巧さと熟練のお陰……綿衣はインド人の栽培した綿花」と。 1965年に国連で採択された「人種差別撤廃条約」は出自や生まれを蔑視するのは「社会的に不正かつ危険」であり、人種間の優劣は「科学的に誤り」であると宣言しています。 人を遺伝子レベルで差別し、残虐な犯罪DNAをもつ中国人を排除せよ、などといわんばかりの政治家の発言は、先のドイツの憲法裁判所によれば、表現の自由ではなく、犯罪視されるでしょう。 また、排除すれば、友好関係、文化、文明など失うものが多すぎることをサッカーも牧口氏も教えているようです。 北陸大学教授 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年06月16日 13時38分52秒
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