創価学会は何か悪いことを企んでいるのではないか(デマ)、という人に限って国家主義的な傾向がある。という法則があるよな。
これは、まさに自己投影だと言える。
ちょっとむずかしいが、自身の中の悪を投影しているのだな。自分の中に、妄信、狂信的な部分があるからこそ投影してしまう。
例えば、今どき国家の権威を侵すべからず、国家の判断は常に正しい、という人はいない。戦争、戦後を経験した老齢の人ほどそうだろう。
しかし、自分に権威主義、国家主義的な傾向があるものは、それを他者に投影してしまいやすい。だから、他者が権威などに盲目に見えてしまう。
いわゆる右翼だけでなく、共産主義者にも国家主義的な傾向がある。共産主義者は共産主義国を信じているからだ。
国家主義に対して反論として言わせてもらえば、宗教団体は(過去から)いくつでもある。いくつもある分、宗教は相対化されている。客観視されている。
国家主義のほうが(近代は特に)絶対視されただろう。多様な宗教のように相対化されてないためだ。
そもそも、国家は直接的な権力を持っている。宗教の権力はあくまでも間接的。民主主義国家であればと有権者と同じだ。
国家主義者が宗教に警鐘を鳴らす(多くは間違い)というのは、そう簡単に納得できる論ではない。ずるいのだ。相対化されていないから。
世の中には良い思想(宗教、国家、主義)と悪い思想(宗教、国家、主義)がある。良い人と悪い人がいるように。これでやっと相対化されたな。
善悪を伴わない絶対視は許されない。