10月17日、岡山にてかなり久しぶりの対面プレイをすることが出来ました。
学生時代のサークルのOB会ということで、会場を借りてボードゲームをやったのですが、その場でこの関ヶ原戦役の話題になり、「なら、やってみよう」ということで近くのゲームショップ(ボードウォークさん)に行ってゲームを買ってプレイしました。
対戦相手は「西軍圧倒的有利ではないか」と言っておられたのですが、私はこれまでの対戦から考えて「東軍やや有利」と主張し、その検証のためにそれぞれが有利と思う陣営を担当することになりました。なお、対戦相手は戦闘後前進のルールを間違えていたため「西軍圧倒的有利」と主張していたことを記しておきます(正しいルールを理解すると、「西軍圧倒的有利とはいえない」と即座に理解していました)。
1戦目
東軍の序盤は、まず関ヶ原を確保してから上田城を徳川家主力で「落ちるまで殴り続ける」というぺいぱ氏直伝(笑)の作戦を実行。対する西軍は定石ともいえる大津を抜いて佐和山に主力を持っていくという作戦をとります。
東軍としては、佐和山から関ヶ原に攻撃を受ける前に徳川家主力を関ヶ原まで進めたいところ。「侍大将の仕官」で家康のスタックの戦力を4まで上げ、真田(戦力4、星付の最強ユニット)とイーブンにまで持っていき、あとは落ちるまで殴り続けます。この日はダイスがさえて2ターンの始めごろに上田城が落ちました。
対する西軍は順調に伏見城→大津城と落としていきますが、このゲームは軍隊の移動にかなり手間をとるので佐和山に主力を集結したころには上田城がすでに落ちており、しかも徳川本体が岐阜を落としてあと少しで関ヶ原に到着するという状態でした。しかし、先じて関ヶ原を強襲し、関ヶ原の奪取に成功します。
中盤、関ヶ原に進出した西軍と、清洲-岐阜ラインで様子を伺う東軍で殴り合いが始まります。この対戦では全体的に東軍のダイスが好調で、西軍の武将がどんどん討ち取られていきます。東軍も退却を強いられますが、清洲と岐阜の間を行ったりきたりするだけで戦力がほとんど落ちず、九州大名の帰国などもあって西軍の戦力ダウンのほうが東軍のそれよりも大きくなっていきます。
後半、西軍は乾坤一擲の攻撃を清洲に行いこれを奪取、掛川まで支配の手を伸ばします。しかし東軍は細川幽斎が田辺城から出撃、敦賀を守る脇坂と小松城の丹羽を調略します。田辺城は一時小野木に奪われますが、幽斎が奪還します。こうなると武将の削られていた西軍は厳しく、関ヶ原-清洲ラインの維持が精一杯となって膠着、そのままゲームエンドとなりました。得点的には東軍の勝利となりました。
2戦目
食事のあと、同じ陣営を担当してもう一度プレイしました。
この回も両軍同じ戦略を取りましたが、西軍はさらに思い切った手を打ってきました。
エリア支配のために大名を置くことなく、ひたすら戦闘正面にユニットを集めて西方の東軍側大名を駆逐するという作戦に出ます。
中盤で関ヶ原を西軍が奪取すると中央は膠着し、西軍の後方は着々と東軍側大名を駆逐します。私はこの時点でようやく西軍の戦略に気づきましたが後の祭りでした。西軍は「冠位叙任」で勝つ算段だったのです。
最終ターンには秀頼公にも出陣され、東軍は攻めるも利なく、あとは「忍者」カードを引くことだけに望みを賭けますが・・・引くことかなわず。大差で負けました(しかも、引いていても「軍師の助言」も持っていたのでほんとうにどうしようもない状態でした)。
プレイ後の感想は「東軍やや有利ではないか」「序盤はカードの引きがかなり重要だが、膠着すると単純にカード枚数の多いほうが有利ではないか」「なんかこう、ぱっとしない・・・(←おい)」といった意見が出ました。
ゲームとしては破綻もして無いですし、短時間で終わるいいゲームとは思うのですが、何かすこし物足りないような感じがあります。関ヶ原で西軍武将が裏切ることがまず無い、という現状は私のプレイスタイルに問題があるんでしょうか・・・?