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☆★終わりなき旅★☆~世界の旅行記~★☆   ☆☆~Endless Journey~☆☆     

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~瀋陽と大連~

『中国・旧満州国周辺旅行記』 ~瀋陽と大連~


図們からの列車は、翌朝、瀋陽北駅に着いた。早速、駅前の『東横イン』を目指した。現地の表記では『東陽閣IT飯店』である。中国系のホテルとは違って、朝早くのチェックインは出来なかった。とりあえず、バックパックを預かってもらった。

そして、駅前からバスに乗り、『9.18事変博物館』に向かった。

今回の旅に出る前に、この旧満州国エリアの歴史的背景を少し勉強しておいた。

簡単に言えば、
『日本が昭和初期(1930年代)に、帝国主義に基づいて中国(先んじてはこのエリア)を武力で一方的に乗っ取ろうとしたのである。

http://www.tabiken.com/history/doc/R/R240L100.HTM(満州国)
http://www.tabiken.com/history/doc/R/R241L100.HTM(満州事変)

そして、この『9.18事変』は未だに、中国人が最も屈辱的な事件として根に持っている。

そんな博物館へ、事件前日に当たる、9月17日に行って来た。

混雑を予想して、開館時間前に行ったが、既に大勢の中国人がいた。テレビ局も取材に来ていた。
開館時間になったが、一向にチケットが販売されない。何かあったのか。。
背景は分からなかったが、1時間後位にようやく開館となった。

9.18事変博物館

どう見ても外国人は自分一人だった。ツアーの団体や、小学生・中学生の団体。その団体に説明する若い女性ガイド。観光や歴史の勉強(反日教育?)といった目的であろうが、館内は混雑していた。

展示に夢中になる学生達

そんな中、日本人の自分が一人。恐らく、日本人だとは気づいていなかったであろうが、もし気づかれたら、どうなっていただろうか。それは、想像出来ない。

今回の旅の前では、日中関係の歴史詳細については、それほど興味がなかったが、改めて過去を振り返ると、反日運動が起きても全く不思議ではないことを、日本が中国に対してやっていた、ということに気づかされた。

9.18事変の爆弾着弾碑

そして、この博物館が訴えたいことが分かったような気がする。

・中国は今さら別に、日本に復讐したいとは思っていない。(本心は不明だが)
・ただ、あの屈辱を忘れるなということ。
・日本には、中日関係の歴史についてしっかりと謝罪して欲しい。
・そして、小泉首相の『靖国参拝』という行為から、日本の帝国主義復活を恐れている。

そのへんの認識が不足している我々は、やはり『平和ボケ』していると言わざるを得ないだろう。そんなことを、思わずにはいられなかった。



ところで、瀋陽の『東横イン』は快適だった。運良く、最上階の角部屋になり、瀋陽北駅と市街地が見下ろせた。NHKも見れたし、部屋は綺麗でお湯もタップリ出た。もちろん、バスタブ一杯にお湯を張り湯船に浸かった。そして、朝食つき。1階には無料の洗濯機があった。
これで、150元。日本円で2200円位だ。コストパフォーマンスは最高だった。200元位出しても、ハズレなホテルもあるだろうし、従業員の態度も悪いことも多い。ちなみに『東横イン』のフロントは20代前半の女性が2人いて、日本語も通じた。そういえば、延吉の駅で念のため、予約の電話をしておいた。


瀋陽には1泊だけして、大連に戻った。

次の夕方、大連の駅に着くと、市内の地図を買った。大連にはユースホステルがあるらしいとのことだったが、地図を見る限り不明だった。重いバックパックを背負って都会の人込みの中を歩くのもかったるいので、歩いて10分弱の大連飯店を目指した。フロントの女性は珍しく愛想が良く、英語と片言の日本語が話せた。言い値は180元だったが、歩き方に載っている最低料金の150元まで値切った。

部屋はエレベータから遠い一番端だったが、静かで綺麗だった。洗面所には何と、色んな避妊具や立派な髭剃り、洗面用具セットが置いてあったが、しっかり有料と書かれていた。
そういえば、日本語の無料情報誌には、日本人向けスナックやマッサージ屋の広告が多数掲載されていて、マッサージ嬢はホテルまで出張可と書かかれていた。

大連飯店の有料備品

大連ってそんな街なのか??と思わずにいられなかった。
確かに日本人の駐在員が多数いるが。

次の日は、ユースホステルを探しに行った。情報を集めると、場所と行き方が分かった。駅近くからバスで約20分ほど南の老虎灘へ向かった。市街地からは遠く離れたベイエリアである。
バスを降り、水族館があったが、その辺で道を聞くと、海に浮かぶ船の方を指差していた。船に向かって歩いて行き周囲を見渡すと、ユースらしきものは見当たらなかった。
もしかして?と思い船に近づいた。

すると、船の見学用切符売り場の隣に、青年旅舎OOと書いてあった。そこには、
六人間 25元/床 四人間 30元/床 二人間 45元/床 
とあった。

試しに、売り場の女性に聞くと、ここがユースホステルだと言う。

まさか、船がユースホステルなんて。。。

大連のユースホステルは船の中!!

部屋を見せて欲しいと頼んだ。何か臭う。暗くて湿っぽいし、部屋は監獄のようでベッドは小さい。トイレも公衆便所並だ。
「外国人は泊まってるの?」「今は中国人しかいませんよ。」
そもそも大連に来る外国人バックパッカーは少ないだろうし、こんな所に来る訳ないだろう。彼女に泊まる意志を問われたが、「友達と相談して、泊まることになったらまた来ます」と嘘をついて、お茶を濁した。せっかく案内してもらったのに、断りづらかったのだ。

船内の部屋

世界に一つだけ。海に浮かぶ船内ユースホステルin大連。

凄い発見をしてしまった。

結局、大連飯店に4泊した。中山広場や駅に近く、繁華街・ネットカフェもすぐそこにあり、立地条件は抜群だ。おまけに部屋のテレビではロシアの番組が見られた。

大連では、旧ロシア人街に行ったり、大連港や星海公園、餃子の王将や民航大履に行った。民航大履には、中国国際航空の帰国便の変更をしてもらいに行った。26日の予定を22日に変更してもらった。東北地方を一通り周遊し、満足していたし資金の節約にもなる。

大連は、市バスやトラムが発達していて、しかもそれほど規模の大きい都市ではないので行動しやすかった。日本食も至る所で食べれるし、治安も良い。駐在員にとっては暮らしやすそうな街だった。

大連駅前を走るトラム

いよいよ最終日。8時50分のフライトだったので、中山広場から朝一番の空港方面行き市バスに乗り込んだ。大きなバックパックを抱えていたが、途中から満員になり、ちょっと苦労したが30分ほどで、空港近くのバス停に到着。たったの1元だ。

日本から直行便が飛んでいる世界中の都市で、空港と市街地まで15円で移動出来てしまう都市なんて皆無だろう。

こう思いながら、結構余った中国元は11月の次回の旅用に再両替せずに持ち帰った。



追伸:この日、成田空港に着くと、千葉マリンスタジアムに直行し、ロッテ対ソフトバンクの首位攻防戦+ミスターロッテ・初芝選手の引退セレモニーを見に行った。幸いデカいバックパックは、海浜幕張駅のコインロッカーに納まった。











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