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風邪をひいてしまいました。 咳がひどくて胸が痛くなるほどでした。 咳止めと抗生剤など薬を飲み始めて少し落ち着いてきましたが、薬の大量摂取のせいもありボーっとして集中力が欠けてしまって・・なかなかはかどりません ヽ(ー_ー )ノ マイッタネ ブリュッセル(Brussels) 12 (漫画センターとオルタとタンタン) ベルギー漫画センター (Centre Belge de la Bande Dessinée) ヴィクトール・オルタ(Victor Horta) バンド・デシネ(Bande Dessinée) エルジェ(Hergé)(1907年~1983年) タンタンの冒険(Les Aventures de Tintin) 旧ウォーケーズデパート(現 ベルギー漫画センター)(1906) 建物は1906年にヴィクトール・オルタ(Victor Horta)によって設計されたアールヌーボー(Art Nouveau)様式の建物。それ自体に見るべき価値のある建物です。 ヴィクトール・オルタ(Victor Horta)(1861年~1947年) ベルギーの建築家にしてアールヌーボー様式建築の旗手。 今まで家具や食器、テキスタイルなどにとどまっていたアールヌーボーの様式を彼は鉄とガラスを組み合わせた建築の世界に広げた。 2000年 「建築家ヴィクトール・オルタの主な都市邸宅群」としてタッセル邸、ソルヴェイ邸、ヴァン・エトヴェルド邸、そして現在オルタ美術館となっているオルタ邸の4件がユネスコ世界文化遺産に登録されている。 残念ながらこの建物は登録されている物件ではないが、登録されているオルタ邸(Maison & Atelier Horta)は内部の撮影が禁止されているのだ。 ベルギーが国家として生まれた1830年以降はちょうど産業革命のまっただ中にあり、新興勢力の富裕層は革新的な物を好んだそうだ。 近代化により誕生した鉄とガラスのコラボこそが新しい芸術の創作につながった。 生まれるべくして生まれたのが新しいアート「アールヌーボー(Art Nouveau)」だったのだろう。 しかしレオポルド2世が都市計画をした頃、ブリュッセルには100を越えるアールヌーボーの様式の邸宅が建設されたと言うが、ブームが去るとオルタの作品でさえ多くが取り壊されてしまい今は数えるほどしかない。 オルタ作品はたいてい建物の中央部に大きなガラス天井と吹き抜けの階段が設置されている。それらは暗くなりがちの建物にいかに採光を取り入れるか・・と言う配慮だ。 ここでは吹き抜け階段の代わりに各階の回廊で囲われている。いずれにせよこの天井から差し込む光を各階が取り込めるようになっている。 エントランスの階段 一階から中2階をつなぐこの階段は数々のマンガ作品の中に登場している。 タンタン(Tintin)の胸像とエルジェ(Hergé)の写真 ここの一番の目玉がエルジェ(Hergé)の創作した「タンタンの冒険(Les Aventures de Tintin)」である事は言うまでもない。 エルジェ(Hergé)は日本の「手塚治虫」氏のような存在だ。 ベルギー漫画センター (Centre Belge de la Bande Dessinée)はもともと毛織物の卸売店「ウォーケーズデパート(Waucquez Department Store)」だったところ。 創業当初は多くの貴婦人で賑わっていたようだ。 現在上階はパルネなどでベルギーの主要なコミックを紹介している。 日本人からすると、ぶっちゃけどこが漫画センター? なのか? 解説はほぼフランス語。漫画も知らないものばかり。 現代のコミックと言うよりは四コマ漫画の活劇のようなものが展示され、それに伴う関連世界観がちょこっと展示されていると言う程度のものだ。 日本のガイドブックに解説が載せにくいのがうなづけた。 それでも目玉のエルジェ(Hergé)の創作したタンタン(Tintin)の世界にふれるのには良いかもしれない。 (知っている人なら・・。もっとも若い世代の人は知らないだろう。) エントランスの階段を使ったマンガ バンド・デシネ(Bande Dessinée) 略してBD。ベルギー漫画センター(Centre Belge de la Bande Dessinée)にも使われているバンド・デシネとは? 帯上のマンガ、あるいは コマ割りマンガ、英語でコミックの意。 タンタンのモデルは軍人だったエルジェの弟ポールらしい・・。 フランス語圏で、漫画は「9番目の芸術」(le neuvième art)と言われているらしい。日本人が思う以上にマンガに対する評価は高いようだ。 バンド・デシネの発祥は19世紀スイスのロドルフ・テプフェール(Rodolphe Töpffer)と言われるが、とにかくここベルギーにも世界的なマンガの神様がいる。 先ほども紹介したエルジェ(Hergé)である。 エルジェ(Hergé)(1907年~1983年) 本名はジョルジュ・プロスペル・レミ(Georges Prosper Remi) ブリュッセルの中流家庭に生まれた彼は中学生の頃からイラストを描き始め就職した「20世紀新聞」で月刊誌ボーイスカウトの中、「コガネムシ隊長トトールの奇妙な冒険(Les extraordinaires aventures de Totor, C.P. des Hannetons)」を連載。(1926年7月~1930年7月) このトトール(Totor)がタンタンの前身だそうだ。 「タンタンの冒険(Les Aventures de Tintin)」 1929年1月より連載が始まったタンタン(Tintin)とスノーウィ(Milou)の世界旅行の物語はエルジェの名を一躍有名にした。 80か国語以上で翻訳されシリーズ発行部数(全世界)3億5,000万部以上と言うから驚く。 第二次大戦中も掲載紙を変えて連載は続きラストは「タンタン・マガジン」で1976年まで続いた。 (1986年エルジェの死後に刊行された未完作品あり) タンタン(Tintin)とスノーウィ (Milou)のフィギュア 実は私がタンタンの冒険(Les Aventures de Tintin)を知ったの割と近年。ベトナム旅行の時である。 ベトナムではあちこちの土産物屋にタンタンの描かれた漆のボードが売られていた。 タンタンは知らないが、絵柄が可愛いので漆のボードを3枚購入。 これが買ってビックリ。1枚1kg。3枚3kgもしたのだ。 ベトナムはフランスが植民地にしていたからなのだろう。 タンタンは80ヶ国で翻訳されてもやはりフランス語圏が一番知られている。 さて、ブリュッセルまだまだ紹介したいところもありますが、とりあえず次回ブルージュに移ろうかと思います。 back number リンク ブリュッセル(Brussels) 1 (グラン・プラス 1 中世) リンク ブリュッセル(Brussels) 2 (グラン・プラス 2 北東面ギルドハウス) リンク ブリュッセル(Brussels) 3 (グラン・プラス 3 西面ギルドハウス) リンク ブリュッセル(Brussels) 4 (グラン・プラス 4 西面ギルドハウス 2) リンク ブリュッセル(Brussels) 5 (グラン・プラス 5 市庁舎 ガーゴイル) リンク ブリュッセル(Brussels) 6 (グラン・プラス 6 ブラバント公の館) リンク ブリュッセル(Brussels) 7 (EU とサンカントネール公園) リンク ブリュッセル(Brussels) 8 (サンカントネール公園とフェスタ) リンク ブリュッセル(Brussels) 9 (芸術の丘・ Mont des Arts) リンク ブリュッセル(Brussels) 10 (ロワイヤル広場界隈) リンク ブリュッセル(Brussels) 11 (王宮) リンク ブリュッセル(Brussels) 12 (漫画センターとオルタとタンタン) ブリュッセルその他 リンク サンカントネール美術館 1 (ローマン・グラス 他) リンク サンカントネール美術館 2 (フランドルのタペストリー 他) リンク ダヴィッド&アリス・ヴァン・ビューレン美術館(Musée David et Alice van Buuren) リンク 小便小僧(Manneken Pis) le Petit Julien リンク イロ・サクレ(Ilot Sacre)のレストラン 1 リンク イロ・サクレ(Ilot Sacre)のレストラン 2 (オー・ザルム・ド・ブリュッセル) リンク ブリュッセルのコイン・ランドリー(苦戦物語) リンク ブリュッセル中央駅(Brussels Central) リンク ブリュッセルのメトロとプレメトロ 1 (メトロとプレメトロ) リンク ブリュッセルのメトロとプレメトロ 2 (プレメトロのトラム)
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