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2023年04月24日
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カテゴリ:歴史の旅
今回は、パナマ地峡を開拓して大西洋と太平洋をつないだ航路、パナマ運河の紹介です。
パナマ地峡の通過は経済的に非常に活気的な事です。

​​​​​​​2019年11月にパナマ運河クルーズの船に乗った友人の写真を提供してもらいました。
航海写真に加え、各種資料を送付いたたぎ、かつ何度も電話で応対いただき感謝しています。
m(_ _)m
写真、たくさん載せています。


さて、前回、「マゼラン隊の世界周航とオーサグラフ世界地図」の中で「サラゴサ条約線と教皇勅書スブリミス・デウス(Sublimis Deu)」ですでに書いていますが、
1537年、「スブリミス・デウス(Sublimis Deu)」の公布をもって、1493年公布の「インテル・カエテラ(Inter caetera)」で決められた教皇子午線は無効となった。​

​​​​​​つまり、「東方面がポルトガルの領地」、「西方面がスペインの領地」と言う教皇裁定は1537年に事実上消滅し、以降、スペインとポルトガルの国以外の欧州各国が早い者勝ちにアメリカ大陸やアジアを植民地にする事が可能になったのである。
リンク ​マゼラン隊の世界周航とオーサグラフ世界地図

欧州からアメリカへ、アジアへ、各国の船が向かった。
航海の利便性の向上は重要案件である。造船、航海術に加え、特に寄港地の問題があるので航路は特に個性が出たかもしれない。
いかに最短のコースをとれるか? 各国の航海士らの航路の開拓は進んだはずだ。
当然潮流の問題があるから直線での航海は不可能。
途中に自国の補給や整備の為の船舶寄港地が持てるか?
あるいはどこかの港を定期便に利用できるか?

英国は北海航路やロシア航路も試して失敗している。
やはり前回触れたが、マゼラン隊が太平洋(東→西)を初横断してから(西→東)の太平洋航路が発見されるまでに40年を要した。それは帆船ならではの問題であった。
​​
1565年のスペインによる太平洋横断航路「マニラ←→アカプルコ航路」の発見はアジアと新大陸をつなぐ合理的な航海路となり定期便となった。
が、アカプルコは太平洋側。​​​​​​​​その後、いかに大陸を越え大西洋に荷を運んだのか? 南米を回るには距離がありすぎる。
スペインはパナマ地峡をラバに荷積みして大西洋岸に運び、そこで再び船に荷積みして本国に輸送していたそうだ。

余談だが、パナマ地峡を陸路行くスペインのラバ隊を襲って金銀を強奪していたのがフランシス・ドレイク(Sir Francis Drake)(1543年頃~1596年)である。

奴隷商人だったドレイクは港の利権問題から生じた恨みから? スペインを敢えて狙って金品を強奪。
何しろカリブ海は最初に発見したスペインが大きく権利を持っていたし、港のほとんどはスペインが建設していた(スペインの領有)と思われる。
※ カリブ海域はコロンブスが発見してからドレイクが現れるまで、すでに50年はスペインの統治下にあった。

ドレイクはフランスの盗賊と協力して太平洋岸のパナマから大西洋岸のノンブレ・デ・ディオス(Nombre de Dios)に金銀を運ぶスペインのラバ隊を襲撃しては大量の財宝を奪い、自分の船に載せて英国に逃げ帰っていたから、海賊ドレイクと呼ばれるようになった。

しかし、陸路を襲っていたのに海賊??  
海から現れ襲って来る部外者の盗賊はすべて海賊だったのかも・・。

そもそもスペインの商船には艦隊の護衛船が付いていた。しかもスペインの無敵艦隊と恐れられていた最先端の護衛艦を振り切って海上で強奪できたとは思えない。実際、ドレイクは小さな港湾を奇襲して盗賊しているほうが多い。
そんなドレイクの成功にあやかり、英国からの海賊が増えたと言うのもこの時代だ。
つまりスペインが支配していたカリブ海域での海賊の出没。ほぼ英国からの出稼ぎだったのかもしれない。
戦利品は全て本国(英国)に運んで換金していたと思われるからだ。

英国にとってドレイクは宿敵スペインを打ちのめすヒーロー。金銀を強奪して来る盗人でも自国の利益になる。「サー(Sir)」の称号までもらっているし・・。
実際、敵国の足を引っ張る為には何をしても合法と考えられていた時代らしい。


話がそれたが、スペインにとってパナマ地峡の問題は、当然、その発見当初からあった。
結局、彼らの夢がかない、16世紀からの悲願だった「パナマ運河」が完成するのは近年の事。10年の歳月をかけて1914年に開通した。​​​
でも、建設したのはスペインではないのです。ぽっ
​​

アジアと欧州を結ぶ交易路 20 パナマ運河(Panama Canal)

パナマ運河とパナマ地峡問題
パナマ地峡はなぜこんな不思議な地形をしているのか?
パナマックス(Panamax)と複数の閘門(こうもん)

パナマ運河建設の歴史
パナマ地峡鉄道(Panama Canal Railway)​
フランスによるパナマ運河建設
アメリカによるパナマ運河建設
返還されてからの値上げ問題
パナマ運河(Panama Canal)

ココリ閘門(Cocoli locks)​​​
ミラ・フローレス閘門(Miraflores locks)​
船の牽引(けんいん)するラバ(mule)
運河の通行時間と制限
世界最大の人造湖ガトゥン湖(Gatun Lake)
ガトゥン閘門(Gatun Locks)​​
アグラクララ閘門 (Agua Clara locks)​

今回はセレブリティクルーズ社のミレニアムクラスの船。セレブリティ インフィニティ(Celebrity Infinity)でのカリブ海とパナマ運河のクルーズから写真を持ってきています。
COVID-19 のパンデミックが始まる前年(2019年11月)に乗船した友人から提供された写真です。

サンディエゴ発 → マイアミ着 15泊16日 コース
下はカリフォルニア州サンディェゴ港から出港する直前の写真です。​

写真上下 カリフォルニア(California)のサンディエゴ湾(San Diego Bay)に停泊中の豪華客船セレブリティ インフィニティ(Celebrity Infinity)。
2000年6月にフランスで造船され進水。就航2001年。

このセレブリティ インフィニティでのパナマ・クルーズはサンディェゴ発とマイアミ発があります。
サンディェゴ発の時は太平洋からパナマ運河を通行し大西洋に。
マイアミ発の時は大西洋からパナマ運河を通行し太平洋岸に出るコースとなっています。

全長 294m。全幅 32m。91000トン。
乗客定員 2158~2184名。乗務員 1022~1027名。
客室数 1079~1092室(ベランダ付き52~58%)

写真下 コロンビア(Colombia)のカルタヘナ(Cartagena)に停泊中のセレブリティ インフィニティ(Celebrity Infinity)全景。


カリフォルニア(California) サンディエゴ港(Port of San Diego)
セレブリティ インフィニティ(Celebrity Infinity)乗船のゲート



サンディエゴ港では下が荷積みで使われていたから? ゲートは高い位置。
​​​​​​​​​​
セレブリティ インフィニティ(Celebrity Infinity)のサンライズ・デッキからのリゾート・デッキ

サンライズ・デッキから船首からのサンディエゴのビル群

サンライズ・デッキからの船尾方面


サンディェゴ港 夕刻に出航



カリフォルニア→ メキシコ→ グアテマラ→ コスタリカ→ パナマ→ コロンビア→ マイアミ
太平洋岸からクルージングして南下してパナマ運河を通過し、大西洋側ではカリブ海をクルーズしてフロリダ州マイアミで下船。

メキシコ カボ・サンルーカス (Cabo San Lucas)

メキシコのバハ・カリフォルニア半島南端の岬にある市。
クルーズ船は早朝に港に到着。だからまだ薄暗い。


メキシコ(Mexicanos) カポ・サン・ルーカス(Cabo San Lucas)ではテンダーボート(tender)で上陸

クルーズ客船のテンダーボートは緊急時の救命ボートとしても使用されるので救命艇兼用である。
その場合、気象条件の悪い中での使用もあるからは安定性が高く傾き(heeling)が小さい双胴船設計(catamaran)が好まれるらしい。この船もそうですね。

※ 双胴船(catamaran)のルーツを紹介しています。
リンク ​双胴型ヨット カタマラン(Catamaran)


メキシコ(Mexico) プエルト バジャルタ(Puerto Vallarta)港 






グアテマラ(Guatemala) プエルト・ケツアル(Puerto Quetzal)港




​コスタリカ(Costa Rica) プンタ・レナス (Puntarenas)港


歓迎のダンス


パナマ共和国(Republic of Panama) パナマ港(panama port)
アメリカ橋(Bridge of the Americas)をくぐって早朝に湾内に。

南北アメリカ大陸を結ぶ唯一の橋。
この橋は以前紹介したパンアメリカンハイウェイ(Pan-American Highway)の一部でもある。
※ パンアメリカンハイウェイについては「新大陸の謎の文化 地上絵(geoglyphs)」の中で説明。
リンク ​新大陸の謎の文化 地上絵(geoglyphs)

全長1654m、アーチ部の径間は344m。
海面からアーチのトップまでの高さ117m。
裄下は干潮時で61.3m。橋の幅は10.4m
パナマ運河通行の船舶の高さ制限は、アメリカ橋を通過できるか? である。
事前承認を得れば、干潮時に限り、最大高62.5mまでの船舶の通航は可能らしい。

湾内はコンテナ船のコンテナを積み卸す為の、ガントリー・クレーン (gantry crane)が並ぶ


MSC(Mediterranean Shipping Company S.A.)はスイスのジュネーヴに拠点を置く世界有数の海運会社。

まもなく運河に入る分岐点
前方左にはココリ閘門(Cocoli locks)
前方右にミラ・フローレス閘門(Miraflores locks)​

パナマ運河とパナマ地峡問題
パナマ地峡は南北アメリカ大陸を結ぶ細いS字形をした長さ約650km、最小幅50kmの特殊な地形

下はパナマ共和国(Republic of Panama)の位置。

ズームスマイル コスタリカとコロンビアに挟まれたつなぎ目の地

上下の赤の点が運河の位置
表記した​ガトゥン湖(Gatun Lake)​パナマ運河構築の為にチャグレス川(Chagres River)を堰(せ)き止めて1907年~1913年に造られたダム湖である。
それは世界最大の人造湖でもあるらしい。


パナマ地峡はなぜこんな不思議な地形をしているのか?
実は6500万年前(白亜紀末)、南北アメリカ大陸はまだ別々の大陸だった。​

​正確にいつ合体したかまで分からなかったが、4500万年程前にインド亜大陸が北上してユーラシア大陸に衝突。ヒマラヤ山脈を形成した頃には南北アメリカ大陸も合体していたようだ。
だから地峡は押しつぶされるように繋がったからS字形になったのかもしれない。​

※ 地球の大陸移動の話は以前書いています。
リンク ​ナミビア・コーリシャス石化の森と地球の大陸移動


パナマックス(Panamax)と複数の閘門(こうもん)
パナマ運河ができたのは、あくまで、大西洋と太平洋間の船での航路をつなぐ為。
物流の合理性の為にできたのです。

よく、太平洋の高さと大西洋の高さは異なるといいますが。決して両洋の水位が違うからパナマ運河で水位調整している訳ではありません。
潮の干満差は太平洋側で±3.2m以上、大西洋側で60cmの変動があるらしいですし、確かに太平洋側の平均水位はカリブ海側より24cm高いらしいが・・

実はパナマ運河を開削する為に地峡の真ん中に造られたガトゥン湖の海抜は26m
つまり太平洋から大西洋に出るには海抜26mの湖を持つ山を越えるという現実があるからです。
それ故、一度上り、降りる工程が存在する。
だから全長80kmのパナマ運河には水位の異なる水面の調整をする為の Lock gate (閘門・こうもん)が数か所、存在するのです。

下は地峡の運河の断面図

左:太平洋 ← パナマ地峡 → 右:カリブ海(大西洋)

星​​パナマックス(Panamax)・・パナマ運河を通過できる船舶の最大上限。​​
​従来のLock gateでのパナマックス(Panamax)​​​​
​​​全長:294.1m、全幅:32.3m、喫水:12m、最大高:57.91m以下

2016年6月完成した「
第三閘門」のネオ・パナマックス(Neo Panamax)
​※ ココリ閘門(Cocoli locks)​​とアグラクララ閘門 (Agua Clara locks)​
最大全長:366m、全幅:49m、喫水:15.2m

従来のLock gateでのコース(上図では左から)
↓↑ 太平洋側ゲート(Pacific side gate)
↓↑ ​ミラ・フローレス閘門(Miraflores locks)​​​​​​​​​​​
↓↑  ​​ミラ・フローレス湖(Miraflores Lake)​​
↓↑  ​ペドロ・ミゲル閘門(Pedro Miguel Locks)​
​↓↑ 掘削した人工渓谷 クレブラ・カット(Culebra Cut)​の水路
↓↑ ​ガトゥン湖(Gatun Lake)​
​↓↑ ​ガトゥン閘門(Gatun Locks)​​
​↓↑ 大西洋側ゲート(Atlantic side gate)

​2016年6月26日の拡張工事完成後の超大型船舶用Lock gate 
↓↑ 太平洋側ゲート(Pacific side gate)
​​↓↑ ココリ閘門(Cocoli locks)​​​​​​​​
↓↑ 進入航路​​
​↓↑ 掘削した人工渓谷 クレブラ・カット(Culebra Cut)​の水路
↓↑ ​ガトゥン湖(Gatun Lake)​
​​​↓↑アグラクララ閘門 (Agua Clara locks)​
↓↑ 進入航路​​
↓↑ 大西洋側ゲート(Atlantic side gate)
​​​​

パナマ市は太平洋側。
ピンクのラインが運河航行の船のルート。赤い円は閘門(こうもん・ locks)の位置。


​パナマ運河建設の歴史​​
先に触れたが、スペインは、その発見当初(16世紀)からパナマ地峡の横断を探っていた
​​なぜなら大西洋から太平洋に出るには南アメリカ南端パタゴニア(Patagonia)の海峡(マゼラン海峡)を回り込む必要があったから

でも、それはあまりに距離があり日数もハンパ無い。パナマ地峡の最狭部は64km。
とは言え簡単ではない。
冒頭触れたが、スペインはインカ帝国から集めた金をラバに積み、パナマ地峡を越えていたらしい。
パナマ地峡を船舶が横断できるようになり、13000kmが短縮できたらしい。

※ 前回「マゼラン隊の世界周航とオーサグラフ世界地図」のラスト「南米最南パタゴニア、マゼラン海峡」で地図なども紹介。
リンク ​マゼラン隊の世界周航とオーサグラフ世界地図


​パナマ地峡鉄道(Panama Canal Railway)​
​​​​​​​​​​パナマ地峡の横断は船ではなく、鉄道から始まった。
パナマ市とコロン市を結ぶ全長77kmの鉄道。パナマ地峡鉄道(Panama Canal Railway)が1855年に開業している。
この鉄道は1849年に始まった北米のゴールドラッシュ(Gold rush)も影響し、太平洋岸に出たい労働者が多いに利用したらしい。
それまでカリフォルニアに金の採掘に向かう者はロッキー山脈を駅馬車で越えていたらしいが、割高ではあるが、パナマからの鉄道と船舶(蒸気汽船)の方が安全に加え、時間が短縮できたそうだ。
早く行って掘った方がいいからねスマイル
尚、この鉄道は運河ができた後もすたれる事はなかった。
当初の運河には船舶の制限があり通行できない船の荷は鉄道に乗せ換えて運搬もされていたらしい。


フランスによるパナマ運河建設
1869年11月、スエズ運河(Suez Canal)が開通していた。
※ スエズ運河(Suez Canal)はアラビア半島の紅海(Red Sea)と地中海(mediterranean sea)をつないだ運河です。アフリカ大陸を回り込まずにインド洋から欧州(地中海)に出られるスエズ運河も活気的な運河建設でした

このスエズ運河の建設をしたのがフランスの外交官であったフェルディナン・ド・レセップス(Ferdinand  de Lesseps)(1805年~1894年)。
1880年、フェルディナン・ド・レセップスは今度はパナマ運河会社 (Panama Canal Company) を立ち上げパナマ運河の建築に着手するのである。

しかし難工事が続く。黄熱病の発生や財政難にもなり工事は中断された。
​1888年、宝くじ付き債券を発行し資金を集めたらしいが、結局、翌年1889年に会社は経営破綻。​
※ 最終的に債権は紙切れとなった。
​工事の続行を政府が願い、運河会社の清算と新会社設立を進めるも、フランスは続行できず、20世紀に入ってアメリカに売却された


アメリカによるパナマ運河建設
フランスの会社の破綻からアメリカに仕事が渡ると建設場所から計画は見直される。
当初、2つのルート候補があったらしい。
1.パナマルート(panama route)
2.ニカラグアルート(nicaragua route)

双方湖を利用するものであったが、この頃、カリブ海で大規模な火山爆発が起こった事から火山のあるニカラグアルートは候補からはずされ、1902年、パナマルートに決まった。
パナマ運河は10年の歳月をかけ1914年に開通。

星ところで、パナマ地峡の自治権は当初、コロンビアが持っていたが、アメリカは地政学的重要性から運河の管轄をアメリカに置きたいと考えていた。​
だが、​コロンビア議会がこれを認めなかった事でアメリカは1903年11月、パナマ市を独立させパナマ共和国( Republic of Panama)を樹立させ、パナマ運河地帯の主権を得たのである。​

※ 1904年、日本はパナマと国交を結んだ。アジアでは最初の国だったらしい。
※ 余談だが、アメリカはクーデターを起こしては自国に有利な政権の樹立と言う手法をあちこちの国で行っている。その陰にCIAありと言うのももはや定説?ぽっ

パナマ運河の主権であるが、当初永久的なものであったが、1960年代になるとアメリカ支配からの離脱を求めるパナマ国内でのナショナリズムの高まりが「パナマ運河地帯の主権返却」を掲げて反米運動が始まった。
パナマでのクーデターや政治的動乱は続くもアメリカも返還に応じる事になる。
1999年末(1999年12月31日)をもってパナマ運河はパナマ共和国に完全返還された。​​​
​​

返還されてからの値上げ問題
ところで、パナマの物はパナマに? これは良い事なのだろう。が、しかし、問題は返還されてからパナマ政府によりパナマ運河の通航料の値上がりが激しい事。
ぶっちゃけ、どうしても通過したい国々の足下を見た値上がり方らしい。

​2017年10月の改訂ではコンテナ船には往復利用の割引料が設定されたが、好調のLPG船やLNG船の通航料は15~50%の値上げ。​
さらに2020年1月の国際海事機関(IMO)によるSOx規制に乗った値上げ? らしい。

SOx規制は、燃料油硫黄分濃度を、これまでの3.5%以下から0.5%以下に抑制強化するための規制。
これにより従来の燃料油より割高の低硫黄燃料油の使用を船会社が検討する事が想定され、パナマの使用率がより高まると見たのだろう。

コンテナ船を除き好調な利用を見せるネオパナマックス級の船舶に対する値上げという側面が強いと在パナマ大使館一等書記官 河内 昭徳 氏がWorld Watchingで書かれている。​

しかし、2020年初頭から発生したコロナウイルスによるパンデミックがあったから、パナマ運河の可動も激減したと思われる。パナマ政府の思惑ははずれた?
実際、今どうなっているか? 


パナマ運河クルーズ​​​
パナマ運河の見学は、一部陸からの見学もできますが、全長約80km。3つの閘門(こうもん・locks)を通過する運河となっているので、当然通過は船でなければできず、クルーズ船に乗る必要があるのです。
※ 小型船でのツアーも現地にはあるようです。
​​​​​
先に触れましたが、パナマ運河には水位を調整する複数の閘門(こうもん・locks)が存在しています。
実は船舶の規模で通過する閘門(こうもん・locks)が分けられているのです。

近年はコンテナ船も大型化してパナマ運河を通行できない船も増えていたので2007年に拡大計画が始まり2016年6月26日の拡張工事が完成。それがパナマ市側のカリブ海側のココリ閘門(Cocoli locks)​​とコロン市側のアグラクララ閘門 (Agua Clara locks)です。
この完成により、今まで通過不可能であった大型コンテナ船の98%が航行可能になったと言う。
※ アグラクララ閘門 (Agua Clara locks)は高台からの展望ができます。後で紹介します。

パナマ運河庁が出している地図に加筆しました。


今回のクルーズ客船は従来の運河コースを通過しています。
コロンで下船してパナマシティーの見学をした帰りに陸路アグラクララ閘門 (Agua Clara locks)の記念博物館兼展望台に立ち寄りしているそうです。

↓↑ 太平洋側ゲート(Pacific side gate)
↓↑ ​ミラ・フローレス閘門(Miraflores locks)​​​​​​​​​
↓↑  ​​ミラ・フローレス湖(Miraflores Lake)​​
↓↑  ​ペドロ・ミゲル閘門(Pedro Miguel Locks)​
​↓↑ 掘削した人工渓谷 クレブラ・カット(Culebra Cut)​の水路
↓↑ ​ガトゥン湖(Gatun Lake)​
​↓↑ ​ガトゥン閘門(Gatun Locks)​​
​↓↑ 大西洋側ゲート(Atlantic side gate)

​ココリ閘門(Cocoli locks)​​​

2016年6月26日に完成。初開通した大型コンテナ用のココリ閘門(Cocoli locks)​​を横目に通過。
下も同じくココリ閘門(Cocoli locks)​​を上がって行く船が見えます。


ミラ・フローレス閘門(Miraflores locks)​
奥に見えるのはミラ・フローレス湖(Miraflores Lake)。
ミラ・フローレス閘門(Miraflores locks)​では、船舶は 2 段階で  16.5 m(54ft) 上下降してミラ・フローレス湖と太平洋の湾をつなぐ。

水位を調整するのが閘門(こうもん・locks)です。

セレブリティ インフィニティ(Celebrity Infinity)は全長 294m。全幅 32m。
全長ではギリ古いミラ・フローレス閘門(Miraflores locks)​ではほぼパナマックス。
※ 新しい閘門(こうもん・locks)ではパナマックスももっと大きくなっている。
​​​​​

船の牽引(けんいん)するラバ(mule)
ところで、水位を調整する閘門(こうもん・locks)に入る時、船はエンジンを切る事になります。

エンジンを切った船をタグボードで押してロックに押し込むと船は運河脇のミニ鉄道のような物(mule)にワイヤーをひっかけてそれが船を前方に引っ張り、完全にロックに収まらせるようです。

ウィキメディアでそれらしい別の船の写真を引っ張ってきました。

船からのワイヤーがmuleつながっています。
下の写真もウィキメディアから

件(くだん)の牽引車(けんいんしゃ)はミュール(mule)と呼ぶようです。
ミュール(mule)の意味はラバとか、運び屋。
もともとパナマ地峡をラバで荷運びしていた伝統からラバ(mule)と呼ばれるようになったらしい。

大型船では、船首の両側に 2 つずつ、船尾の両側に 2 つずつ、計 8 つのラバ(mule)が付き、船を制御している。
しかし、新しい拡張されたココリ閘門(Cocoli locks)​​やアグラクララ閘門 (Agua Clara locks)​では使用されていない。

下は ​ガトゥン閘門(Gatun Locks)​​muleを出た後に待機していたタグボート(tugboa)

運河ではタグボート(tugboa)が活躍する。


運河の通行時間と制限
眺めているのは隣のレーン。


下は​ミラ・フローレス閘門(Miraflores locks)​​​​​​​​​を振り返った西(太平洋)方面


船はこの後、​​ミラ・フローレス湖(Miraflores Lake)​​を通過し、
さらに​ペドロ・ミゲル閘門(Pedro Miguel Locks)​​で再び水位調整をして
掘削した人工渓谷 クレブラ・カット(Culebra Cut)​された水路を通過しガトゥン湖(Gatun Lake)​に入ります。

実は友人の写真にミラ・フローレス湖(Miraflores Lake)​​、​ペドロ・ミゲル閘門(Pedro Miguel Locks)​​、クレブラ・カット(Culebra Cut)​された水路の写真が無かったのです。しょんぼり
パナマ運河ではさらにこの後、ガトゥン湖(Gatun Lake)​と​ガトゥン閘門(Gatun Locks)​​を通過。

星船からパナマ運河通過の証明書が出されていたとの事。以下時間です。
ミラ・フローレス閘門(Miraflores locks)​​​​​​​​​の通過
07時35分~8時45分 (70分)
ペドロ・ミゲル閘門(Pedro Miguel Locks)​​の通過
09時15分~10時05分 (50分)
ガトゥン閘門(Gatun Locks)
14時15分~16時40分 (145分)

友人の乗ったセレブリティ インフィニティ(Celebrity Infinity)は早朝にアメリカ橋(Bridge of the Americas)をくぐって待機し、パナマ運河に突入(07時35分)しています。​
結局最後の ​ガトゥン閘門(Gatun Locks)​​を抜けて大西洋側に出たのは夕刻(16時40分)だったそうです。
​​​​​​​​つまりパナマ運河の通行にかかった時間はトータル9時間5分。ほぼ1日かがりです。
だから最初から最後まで張り付いて撮影はしていなかったと言う事です。

星ところで、パナマ運河の運用は、早朝に両洋側から船舶を運河内に進入させガトゥン湖(Gatun Lake)​で待機。
夕方頃に双方反対側の海に抜けさせるというシステムらしい。
が、航路の狭小部クレブラ・カット(Culebra Cut)では大型船の行き交いができない事から太平洋側から進入してきた船舶がクレブラカットを通過し終わるまで大西洋側から進入した大型船舶はガトゥン湖(Gatun Lake)より先に進めない。つまり出口前の閘門までたどりつけない。
大西洋側からのが不利のようです。大笑い

それ故、2016年6月の拡張工事完成後のネオ・パナマックス(Neo Panamax)を持つ第三閘門も通航予約枠は一日8隻と限定的らしい。

世界最大の人造湖、ガトゥン湖(Gatun Lake)
クレブラ・カット(Culebra Cut)​された水路の写真はウィキメディアから借りてきました。

もともと、パナマの分水嶺だった中央山脈を切り開いてダム湖につなげた場所のようです。
運河の最も狭小部ですが、運河全体の5分の1(12.7km)に相当。
その掘削(くっさく)工事で発生した土石や石灰岩を積み上げるとエジプトのピラミッドが63基建設できるくらいの容積らしい。

先に、ガトゥン湖(Gatun Lake)​は運河建設の為にチャグレス川(Chagres River)を堰(せ)き止めて1907年~1913年に造られたダム湖と紹介
当時から今まで、運河自体も大型船の出現に合わせて拡張が続けられてきたので、最初からこれほど広かったのかわかりませんが1907年~1913年頃に開削しているのだから凄い事です。
重機もあまり無かっただろうし・・。

​ガトゥン湖(Gatun Lake)​





ガトゥン閘門(Gatun Locks)​​


いよいよ大西洋側に出るラストのガトゥン閘門(Gatun Locks)​​です。
先にも、実際の通過時載せ載せましたが、14時15分~16時40分 (145分)
どこよりも長く時間がかっていすます。
たぶん行きに2か所に分けた水位調整の閘門(こうもん・locks)がここでは一気に一度で終わらせるからかも?

かなたにはPuente Atlántico(大西洋橋)が見えている。








上下、ガトゥン閘門(Gatun Locks)​​を振り返った所。
セレブリティ インフィニティはパナマックス、ギリだから1隻しか入れないが、小型の船は複数、閘門(Locks)​​に入っているのが見える。


ガトゥン閘門(Gatun Locks)​​を出てフォークス川を下る。

向こうの水路が2016年6月完成したアグラクララ閘門 (Agua Clara locks)​につながる水路。

Puente Atlántico(大西洋橋)


リモン湾(Limon Bay)、コロン港(Port of Colon)



アグラクララ閘門 (Agua Clara locks)​
先に紹介した2016年6月完成した「第三閘門」の一つアグラクララ閘門 (Agua Clara locks)​。
大西洋と海抜26mのガトゥン湖を3連のプールで一気につなぐ

先にネオ・パナマックス(Neo Panamax)は最大全長:366m、全幅:49m、喫水:15.2m。
と紹介しているが、こちらのプール自体は一つ、全長:427m、全幅:55m、水深:18.3m。
ネオ・パナマックス(Neo Panamax)を持つこちらは超大型コンテナ船やLPG船やLNG船に対応する為に造られた閘門(こうもん・locks)です。

アグラクララ・ビジターセンターからの展望写真

背景、奥に見えるのがPuente Atlántico(大西洋橋)

ここではミュール(mule)は使用せずタグ・ボートが直接牽引しているようですね。​

​この「第三閘門」によりこれまでの約3倍の積載能力を持つコンテナ船や液化石油ガス(LPG)船や液化天然ガス(LNG)船の航行が可能になった。​​
※ 液化石油ガス(LPG : Liquefied Petroleum Gas)
​※ 液化天然ガス(LNG:Liquefied Natural Gas)

これまで通れなかった大型コンテナ船の98%が航行可能になるとパナマ運河庁は言っているらしいが、通行料がどんどん高額になるのは問題。​
​でも航海史を考えると、パナマ運河の存在は、スエズ運河と共に歴史上の偉業である。​
間違いなく物流の時間を短縮させ、同時にエネルギーを削減したのは確かだから・・。

水門

ゲートも全く異なります。
水門は高さ26m~33mのスライド式。貯水槽を持ち水の再利用をしている。
実はパナマ運河は近年水不足だったらしい。


私は説明を受けていないので解らないが、下の写真のブロックがゲート? あるいは貯水タンク? なのかな?

こちらのビジターセンターはコロンからパナマシティーの1日観光でラストに寄ったらしい。
この後セレブリティ インフィニティ(Celebrity Infinity)はカリブ海をクルーズしてマイアミまで向かう。

ラスト、コロンの港で終わりにします。


新市街

ちゃんとビル群もあるのですね。
それにしてもクルーズ良いですね。コロナで船も避けられていたけど・・。
クルーズ船に乗ってリアルタイムでブログを発信するのが夢です。ぽっ

次回は全く未定です。
東インド会社に行かなければならないのですが、アジア方面の写真が無いのです。しょんぼり

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Last updated  2024年01月03日 03時23分19秒
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