エドワード・ゴーリーの世界
ひょんなことから手にした一冊の絵本にすっかり魅せられて、その著者の本を全部で6冊、まとめて購入してしまった。その人の名は、、エドワード・ゴーリー。1925年シカゴ生まれ、ハーバード大学で仏語を専攻し出版社に就職、その頃から作品を発表し始め70年代頃からじわじわと人気を博し、その後はカルトアーティストとして活躍した。韻を踏んだ文章の美しさとエルンストを彷彿させるようなモノクロの絵と悲惨なストーリーが印象的で、きわめて私好みの作家なのである。最初に読んだのは「不幸な子供」という作品で、ストーリーは一人のかわいい女の子、シャーロットが運命に弄ばれて不幸のどん底に突き落とされるお話だ。普通のお話なら、時と共にどん底からはいあがるヒロインが最後は幸せになる、というパターンなのだろうが、ゴーリーの話にそのような救いはなく、徹底的に虐げられた少女は、永遠に生き地獄の世界から這い上がることはなく、最後はただ虫けらのように殺されておしまい。次に読んだ「ガシュリークラムのちびっ子たち」というお話では、アルファベット順に26人の子供たちが26通りのやり方で次々と殺されていくようすを左ページに1行の淡々とした文章で綴り、右ページではその様子をモノクロームで描いている。こんな感じだ。A is for Amy who fell down the stairs. Aはエイミー かいだんおちたB is for Basil assaulted by bears. Bはベイジル くまにやられた文章はすべて韻を踏んでおり、声に出して読んでみると、その悲惨な内容を輝かせるような美しい響きを奏でるので、何度も繰り返し音読してしまう。まさに声に出して読みたい英語(!)なのである。その次の「華々しき鼻血」という作品では、日頃地味な存在である「副詞」にスポットをあて、左ページにはaからzまでアルファベット順に26種類の副詞を使った文章を綴り、右ページにその絵を描いている。選ばれた副詞は、aimlessly, balefully, distractedly, endlessly, fruitlesslyなどなど偏った選び方がこの人らしい。あてどなく、きもそぞろに、いたずらに、まがまがしく、ふきつに、ねちねちと、やるせなく、ものうげに、せつなげに、といった具合だ。その他の本も、どれもこれもこんな感じで明るいお話は何もない。そこにあるのは、不吉で陰惨で美しいゴーリーの世界のみ。眩暈がしそうなくらい素敵な世界なのである。すっかり魅せられて暇さえあればこれらの作品を眺めている私なのだが、もう1つ嬉しかったこと、それはこれらの作品を翻訳しているのが柴田元幸氏だということ。彼もゴーリーワールドにはまった一人だ。自分の好きな人が自分と同じものにはまる、というのはなんとも気持ちが良くて時に飛び跳ねたくなってしまうようなことであるのだが、その柴田氏がゴーリーの世界について、こうコメントしている。「確固たる目的を持たぬ人間が、悪意に満ちた世界のなかで、切ない想いをしばしば胸に抱えて、不確定な生を生きている」と。そう、これこそが、私がこれほどまでにゴーリーに惹かれる理由なのだろう。ゴーリーがお出かけするときには、トレードマークの毛皮のコート、白いテニスシューズ、長身にふさふさのあごひげ、イヤリング、ほとんどの指に指輪という感じだったという。生涯独身を通し、築200年、壁のひび割れから蔦が中に入り込んでいる屋敷で、半ダースの猫に囲まれて暮らし、2000年4月、75歳で亡くなった。なお、人間には陰惨な話ばかり書いたゴーリーだが、唯一猫のお話だけはそうではなかったのだそうだ。