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妖妖妖の日記 [全229件]

2008.11.25楽天プロフィール Add to Google XML

ひさしぶりに  (255)

戻ってきました。知ってる人が誰も見ていない(はず)のところに。人疲れしちゃうんだ、ミクシィにいると。

ということで、誰の目も気にしないで、ちょっと、のんびり、しちゃおうかな。ほっ。。。


Last updated 2008.11.25 23:19:25
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2006.01.22

パウラ・モーダーゾーン=ベッカー展 @神奈川近代美術館葉山

昨日の大雪とはうってかわり、きりりとした青空が広がる日曜日の昼過ぎ、用事があって横浜に行き高島屋で買物を済ませたとたん、そうだ、葉山に行こう、と思い立った。横須賀線で逗子駅で下車、そこからバスに乗る。5分も走れば葉山のヨットハーバーが見えてくる。家からそんなに遠くないのに贅沢な風景である。

去年の3月にベルリンに行って以来、すっかりドイツびいきになってしまった私。今回の葉山の美術展もドイツの女性画家と聞いた時から絶対行くつもりでいた。ドイツの女性画家といえば、ケーテ・コロビッツしか知らなかったので、パウラ・モーダーゾーンという人がどんな絵を描くのか気になったし、また、彼女を紹介するチラシの中のサブタイトルが「儚くも美しき祝祭」という何やら意味深な言葉だったので、それもなんとなくに気になっていたのだった。

19世紀のドレスデンに生まれたパウラは、ロンドン、ブレーメン、ベルリンで画家としての基礎訓練を受けた後、ブレーメンの北東20キロほどにある小さな村ヴォルプスヴェーデに親元を離れて移住し、画家フリッツ・マッケンゼンの指導を受けることになった。この芸術家村というべきコミュニティで数多くの芸術家たちと出会い、お互いに刺激を受けながら芸術活動を始めた。その中にはあのリルケもいた。また、彼らの活動は、日本の「白樺派」にも多大なる影響を与えたという。

パウラの絵は、人物画がすばらしいと思う。赤ん坊を抱きしめる母の手の熱い温もりまでもが伝わってくるような描写力。対象を見つめ、その本質を的確に描ききる力強さに観る者は圧倒される。しかし、人物画の素晴らしさに比べると、風景画はいまひとつ迫力に欠けるのは何故だろう。例えば彼女の描く白樺は、不本意な自己主張を与えられてしまったような妙な心もとなさでぽつんと存在しているように見えてしまうのだけれど。

そして「儚くも美しき祝祭」という言葉について。パウラは最初で最後の子供を産んで1週間かそれくらいで他界してしまったのだ。享年31歳。死ぬ前に、彼女はこのような言葉を残していた。「私は、自分がそれほど長生きしないことを知っている。しかし、それは哀しむべきことであろうか。祝祭は長ければ、それだけ美しいものであろうか。私の人生は、ひとつの祝祭、儚くも、充実した祝祭なのだ。」と。

去年、私は友人を3人亡くした。皆、30~40代の若さだった。彼らを亡くして以来、私は大きくてぼんやりとした無常観にとりつかれてしまい、気がつくとあの世のことばかり考えるようになってしまった。そういうわけなので、パウラの残した存在感溢れる絵とこの言葉はしばらく私の日常と共にあることだろうな、と思う。


Last updated 2006.01.22 21:39:30
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2006.01.08

乱世を生きる by 橋本治  (2) 

ぼんやりとした不安、なんて言うと格好つけてるみたいに聞こえるかもしれないけど、なんでしょうか、ここ数年、私はずっとそのような胸騒ぎみたいなものをずっと抱えておりました。その正体は、ぼんやりとわかるんだけどうまく言えない…と思っていたところに、この本を読んでちょっとすっきりしました。さすが治ちゃん、頭良いよなぁ。。

「わからないという方法」「上司は思いつきでものを言う」に続いて集英社新書から出版されたこの本、著者がまえがきで書いているように3部作の完結編にあたるものかもしれません。そして、この本には「市場原理は嘘かもしれない」というサブタイトルが書かれていて、この一言で彼の言いたいことの大筋がわかる仕掛けになっています。去年、この国では小泉首相率いる自民党が圧勝して、世の中では「勝ち組」だの「負け組」だの「負け犬」だの果てには「下流社会」なる言葉までがはやるようになりました。でも、治ちゃんは言います。「負け組とは本当は誰のことなのか?誰が勝ち組、負け組なんてことを言い出したのか?」と。ここから治ちゃん流経済講座が始まります。経済とはもともとどういうものだったのか。「経済とは経世済民という言葉から来ており、その意味の1つはただ循環するということであり、また生きるということが幸福でありたいという感情であり、これこそが経済という人間行為の本質ではないのか」と。また、いつまでも膨張し続ける経済はないのだから、私たちはもう、経済的発展の名のもとに、本当に欲しいのか欲しくないのかさえわからなくなってしまった「欲望」という名の1つの価値観に翻弄されるのはやめる時期にいるのではないか、と問いかけるのです。

株価はこのところずっと上がっているし、マスコミは一斉に日本経済の順調さを書きつらねているけれど、でも、私自身はどうしてもそういう気になれないでいる。むしろ、底知れぬ怖さを感じてしまう。物事を単純化するマジックに長けたこの国の首相やその周辺に対して感じていた不安の正体を、こうやって言葉で書いてくれた治ちゃんはさすがだと思う。

物事を単純化することで隠されたこと。それは、本来「負け組」だったかもしれない「日本経済」そのものなのであり、本来は「負け組」として批評の対象となっていなければならない「日本経済」は、そうやって自分の立場を隠したのです。

これって、すごく怖いことですよね?


Last updated 2006.01.08 18:12:07
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2006.01.02

帰ってきたもてない男 by 小谷野敦  (1) 

このところ仕事が大変で毎日よれよれだったので、本を読む暇もなかった。
それに加えて、読書・演劇・美術展記録以外の日常の出来事については、最近はもっぱら別サイトのミ●シ●に書いているので、益々こちらのブログはご無沙汰になってしまう。こんなときはシャレで読めるような軽い本を電車の中で読む程度がよろしかろう、と思い、つらつらと読んでみたのがこの本「帰ってきたもてない男」。数年前に出た「もてない男」の続編ちくま新書。たまたま野毛の某酒場においてあったのを借りてみたもの。想像通りの内容である。感想は、特にない(笑)

しかし、「自分はもてない」という事実が、これほどのエネルギーを産む事象であることに改めて感心する。それがあるから人類は滅亡することなくここまで発展したのかもしれませんなぁ。それにしてもある種のインテリというのは、自分の魅力のなさに対してもこれだけの言い訳ができるんだからすごい才能かも。さすが東大出のインテリだ!!!(ぱちぱち)

ああ、それにしても、今年は少し落ち着いてもっと本が読めるような環境になるといいんだけどなぁ。


Last updated 2006.01.02 11:30:09
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2005.12.18

横浜トリエンナーレ 

いよいよ今日で最終日を迎える横浜トリエンナーレ。前売券を買っていたので、先日急いで行ってきた。場所は山下公園隣接の埠頭?のような倉庫みたいなところ。私が行った日は生憎の曇り空で底冷えのする日だったけど、灰色にくすむ海の上をかもめが飛ぶ図、というのも冬の風情があってそれはそれでいい景色ではある。

前回のトリエンナーレはパシフィコの展示場だったが、今回はアウトスペースと海というロケーションを生かした趣向の上、市民参加型のワークショップなども多く、若手アーティストの作品群と子供たちが楽しそうに戯れる図が微笑ましかった。また、アジアのアーティストの作品も多く展示されているのも目新しさをかもしだしていた。もう少し天気がよくて時間があれば、じっくり見たいところだったが、色々忙しくてそれもできず駆け足で会場をさっと観る程度しかできなかったのが残念。

帰りは久しぶりに山下公園から横浜駅までシーバスに乗った。ちょうど夕方の暗くなりかけた時間帯だったので、ベイブリッジや観覧車や行きかう船が一斉にあかりを灯しはじめ、なんだかすごくきれい。終点の横浜駅まであと10分くらいになった途端、船の中の電気も消えてクリスマスツリーが輝き始めた。クリスマスの演出である。気軽に船遊びできる横浜、やっぱりいいな。


Last updated 2005.12.18 11:07:28
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2005.11.28

ポール・クローデルの舞踊詩劇 

ポール・クローデル歿後50年研究上演事業として、早稲田大学大隈講堂にて舞踊詩劇「女と影」が上演された。ポール・クローデルはフランスの外交官として1921年から1927年まで6年間に亘って日本に滞在し、外交官としての任務をこなしつつも同時に歌舞伎、能をはじめとする日本文化を愛し舞踊劇「女と影」を書き上げた。今年はクローデル歿後50年ということで、彼にちなむ文化事業がいくつかあるようで、本日のこの企画もその1つ。踊り手メインは歌舞伎界から福助と舞踏界からは和栗由紀夫のご両人。もともと私は和栗さんのファンというか、昔よく観ていた関係で、懐かしくて足を運んだ。それにしてもクローデルがあのカミール・クローデルの弟だったと知ってびっくり。

おフランステイスト溢れる舞台は、いかにも外人向けジャポネスクという感じなので、和栗さんじゃなくてリンゼイ・ケンプがやったらどんな感じなんでしょ、なんてことを思いつつ観てしまい・・・・。日本人としてはなんとなく違和感と物足りなさを感じるものの、福助と和栗さんはやっぱりグローバルスタンダードだなぁ、と思うし、楽しい舞台ではありました。それにしても、和栗さんはやっぱりかっこいい。舞台に立ってるだけですごい存在感。いいなぁ、また久しぶりにソロ公演が観たいかも~!と思わずネットを検索するとありました。来月六本木で。舞踏はやはり世界に誇る日本の財産だと思った次第です。


Last updated 2005.11.28 23:39:02
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2005.11.27

ほとんど記憶のない女 by リディア・デイヴィス  (2) 

本当は小説など読んでいる場合ではないのである。やることが沢山ありすぎて、有給休暇とっても遊んでる場合じゃないのに遊んでしまう。そして、ああ、またガマンできずに読んでしまいました。そして、またしてもはまってしまいました。

リディア・デイビスはアメリカの作家で、元ポール・オースターのパートナー。二人の間には子供も1人いるそうな。そんな下世話な興味から手にとってみたのですが、1ページ読んだだけで雷に打たれた感じです。かなり好きかも、この人。日本では初めて翻訳されたというこの短編集、8行だけの超超短編から数十ページのものまで様々ですが、どれ1つとして同じ作風のものはなく、ラインアップはばらばら、小説と呼べるのかも不明、散文なのか詩なのかも不明、シュールにしてリアル、わかる人にはわかる、わからない人には退屈。翻訳者はそんな彼女の作風をこう評していて、私は激しく共感してしまいます。

リディア・デーヴィスの書くものは、どれも一筋縄ではいかない。クールなのに熱い。抽象的なのに生生しい。遠いの近い。思索的なのに官能的。知的なのに滑稽。

だから、どんな作品なのさ?と聞かれても困ってしまうような短編集です。一人で本を読むのが何よりも好きで、とりとめのないことを考えずにはいられなくて、考えても考えても真ん中には何もないような気がして、そんな自分が嫌なのに結構好きで、なのにどうしてもある一定の距離をもってしか自分のことを語ることができなくて、背中にもう2つくらい目を持っているようなもぞもぞ感を常に感じていて…という人にはおすすめかもしれません。



Last updated 2005.11.27 21:12:26
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