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歴史哲学フラグメント

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2004.09.03
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テーマ:戦争反対(1189)
カテゴリ:カテゴリ未分類
以下、「PUBLICITY」(パブリシティー) 経由で
平山洋『福沢諭吉の真実』(文春新書)の内容をログっておく。
こりゃおもしろい。
日本は、思想が曲げられる力学の渦巻く場所だ。

「PUBLICITY」(パブリシティー) 編集人:竹山 徹朗
http://www.emaga.com/info/7777.html

***

まず第1点は、現在なおも対立したままとなっている2つの福
沢評価、すなわち福沢を市民的自由主義者とする見方と、侵略
的絶対主義者とする見方のうち、後者は石河幹明による『福沢
諭吉伝』と昭和版「時事論集」が完結した1934年以降に新
たに付け加えられた評価であったということである。

それ以前の福沢評価にも毀誉褒貶があったが、それらはあくま
で市民的自由主義者という共通の地盤のうえに立つものであっ
た。ところが侵略的思想家というレッテルは、本を糺せば石河
ただ一人によって貼られ、大々的に宣伝された福沢像に過ぎな
かったのである。第二次世界大戦終了までの10数年間、その
福沢像は時局に適合的とされて大いにもてはやされたが、それ
ら多くの付和雷同的主張の起源は、川辺真蔵に見られるように
、結局は石河の著作にたどり着いてしまうのであった。

ついで第2点は、その石河が造り上げた時局的思想家としての
福沢の姿が、彼の虚構であったということである。

石河は自分で執筆した論説を大量に『福沢全集』の「時事論集
」に採録し、それらをもとに福沢の『時事新報』経営と対アジ
ア観の変遷を追った『福沢諭吉伝』第3巻を著したのであった
。とはいえそこで描かれているのは福沢というよりも石河本人
ともいうべき人物なのである。

しかも、石河は福沢を愛するあまり無意識のうちに彼我無分別
の状態に陥ってしまったのではなく、はっきりと意図的に、朝
鮮を手がかりとして中国分割を企む福沢(むしろ石河自身)の
姿を創造したのである。そのことは、福沢存命中から坐右にあ
った時事論説のスクラップブックを改竄し、自らの立論に都合
のよい自筆14編などを盛り込んだ「抄写」を作って、それを
大正版「時事論集」としていることからも明らかであろう。

第3点は、第2次世界大戦後間もなくして始まり今なお尾を引
いている対立、すなわち二つの福沢評価のうちいずれが適正で
あるかを巡っての論争において、そもそも両陣営が間違った場
所を戦場としていることを示したことである。

福沢は市民的自由主義者であるとする、慶應義塾の出身者と丸
山真男率いる東京大学法学部出身者たちを主力とする研究者た
ちは、石河の仕事を尊重しつつ、福沢には侵略的側面もあった
かもしれないが、それを思想の核と見なすべきではなく、彼の
真の目的は個人の自由と経済の発展にあった、という形で福沢
を弁護し、

一方東京大学文学部とその他の大学の文学部・教育学部出身者
を主な構成メンバーとする研究者たちは、石河の主張を積極的
に受け入れて、侵略的絶対主義者としての福沢を批判していた
のであった。





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Last updated  2004.09.03 07:03:41


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ブッカー・リトル@ Re[1]:数の問題ではないが、多くの人が亡くなられた(10/30) JSF.さん, 清造さんの解釈の誤りは指摘…
むにゅう!@ Re:イラク、民間人の死者「10万人以上」(10/30) 戦争に負けるということはそういうことで…
JSF.@ Re:数の問題ではないが、多くの人が亡くなられた(10/30) 清造さん >死亡率1,5倍の方を採用し…
ブッカー・リトル@ Re:数の問題ではないが、多くの人が亡くなられた(10/30) いいかげんなことを言わないで下さい。 h…
某S氏@ 自業自得 >香田君はまるで、そうした人々が犯した…

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