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私の好きなこと ~フィットネスとグルメの間で~

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2009年06月14日
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三沢さんの遺影とともに献花台を設置=ノア
6月14日16時45分配信 スポーツナビ
三沢さんの遺影とともに設置された献花台に多くのファンが花を手向けた(スポーツナビ)



日本を代表するトップレスラーがまた一人逝ってしまった。

しかも、試合中のアクシデントによって。

私は、小学生のころからの大のプロレスファンです。

三沢光晴選手の一番の思い出は、私が高校生の時、一人で後楽園ホールに全日本プロレスを観戦に行った時、前座で戦っていた彼の試合を観たことです。

忘れもしない、当時、”前座の黄金カード”と云われていた”三沢光晴VS越中詩郎”戦でした。

前座の試合カードなんか、事前に発表されないものですから、当日に試合会場に足を運んで、このカードが組まれていたら、ラッキーだと云われておりました。

当時、”前座の黄金カード”と云えば、新日本プロレス版が”高田延彦(当時は伸彦)VS山崎一夫”戦で、全日本プロレス版が”三沢光晴VS越中詩郎”戦でした。

ピョン!とトップロープを飛び越えて颯爽とリングインする彼の姿がとても格好良く、ドロップキックの打点の高さがとても印象的でした。

当日の試合で、私の記憶にあるのが、彼とスタン・ハンセン選手と天龍源一郎選手とタイガージェットシン選手だけですね。

彼以外の3選手は、当時既に一流選手でしたので、一前座レスラーであった彼が印象に残るというのは、彼にかなりのインパクトがあったということでしょうか。

当時の彼は体の線も細く、濃い”への字眉毛”がキリッとして、ハンサムでしたね。

その後、彼は海外へ武者修行へ旅立ち、越中詩郎選手は新日本プロレスへ移籍するなどして、”前座の黄金カード”は観れなくなりました。

やがて、彼は2代目「タイガーマスク」として凱旋帰国します。

田園コロシアムでの、タイガーマスクとしてのデビュー戦である、ラ・フィエラ戦はとても印象に残っております。

タイガーマスクに変身してからの彼の活躍は素晴らしいもので、宿敵・小林邦昭選手との激闘をはじめ、数多くの名勝負を残しました。

数年後、自ら試合中にマスクを脱ぎ棄て、素顔の三沢光晴に戻ります。

タイガーマスクのコスチュームから、エメラルドグリーンとシルバーのかっこいいロングタイツに変わりました。

その後、当時のトップレスラーであったジャンボ鶴田選手をシングル戦で破るなど、自他共に認めるトップレスラーの仲間入りを果たしました。

あの”福沢ジャストミート朗”さんが実況をされていた頃ですね。

懐かしいですね。

数年後、師匠であるジャイアント馬場選手が亡くなり、全日本プロレスの経営者が変わった頃、沢山の選手を引き連れ、自らエースとなり、『プロレスリング・ノア』を旗揚げします。

この時、全日本プロレスに残留した選手は、たった2人でした。

ほとんどの選手が彼に付いていったわけですから、彼の人望の厚さがうかがい知れます。

最近では、あの”イジリー岡田”さんにものまねをされ、プロレスを知らない人たちの間でも有名になりましたよね。

『プロレスリング・ノア』だけでなく、低迷しているプロレス界全体の人気を高めるため、数多くの講演会やTVのバラエティ番組にも出演されておりました。

TV『ダウンタウンDX』では、視聴者からのチクリで、彼の真面目なイメージとはかけ離れた、かなりエッチな言動も暴露されておりましたね。

こういうコミカルな面も彼の魅力でしたね。

もう彼の試合が観れないなんて信じられません。

きっと、試合だけでなく、バラエティ番組でも、もっともっと活躍されていたはずです。

プロレス界のために。。

もしかしたら、他のレスラーや、我々ファンが彼にあまりにも多大な期待と負担を掛けていたのかもしれませんね。

きっと、プロレスの神様(カール・ゴッチさんのことではない)が、プロレス界のために粉骨砕身する彼を「もう十分だよ」と楽にしてあげたのかも。。

でも、我々ファンとしては本当に残念でなりません。

ご冥福をお祈りいたします。





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最終更新日  2009年06月15日 14時00分51秒
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