桜田淳子
ビクターエンタテインメント 桜田淳子/GOLDEN☆BEST桜田 淳子1958年(昭和33年)4月14日 - )は日本の元女優、歌手である。秋田市出身。サンミュージック所属(活動当時)。重度の近眼。3児の母。秋田市立日新小学校→秋田市立秋田西中学校→品川女子学院中等部・高等部(転入)→国本女子高等学校 卒業。愛称は「ジュンペイ」1972年(昭和47年)7月、中学2年生(14歳)の時に日本テレビの人気オーディション番組『スター誕生!』の秋田県民会館で行われた本選で牧葉ユミの『見知らぬ世界』を歌い、番組史上最高得点となる573点で合格(合格ラインは250点。会場が500点、プロは各自100点の計500点で、合計が1000点満点)。後楽園ホールで行われた第4回決戦大会で、番組史上最高の25社(34社という情報もあり)から獲得の意向を示すプラカードが上がり、審査員からの評価も圧倒的で最優秀賞を受賞した。ホリプロ創業者の堀威夫の自伝『いつだって青春』によれば当初桜田はホリプロ入りの意向を示していたが、ホリプロには既に同番組出身の森昌子が所属しており、(スタ誕の出身者が)同じ事務所ばかりに偏っては・・・という日本テレビ側の政治的配慮もあって結局サンミュージックに所属する事になったという。また桜田本人は後年テレビのトーク番組で、ファンだった森田健作が所属する事務所であり、その森田自身が持つクリーンなイメージを事務所にも重ね合わせて決めたとも語っている。1973年(昭和48年)2月25日に『天使も夢みる』で歌手としてデビューし、たちまち人気アイドルとなり、同世代の山口百恵・森昌子と共に花の中三トリオ(当時)と呼ばれた。『わたしの青い鳥』のヒットで、第15日本レコード大賞最優秀新人賞、第4回日本歌謡大賞放送音楽新人賞を受賞。2006年11月24日には14年間の沈黙を破り、自作のエッセイ集『アイスルジュンバン』(集英社)が発売された。子育ての事、近所づきあい、学校の先生との触れ合い等について書いており、その良妻賢母ぶりに共感する声もあがる一方で、合同結婚式に参加し、マスコミから広告塔として騒がれたことについて一切触れていないとして、ワイドショーや週刊誌記事では軒並み批判的な論調が多かった。もっとも『婦人公論』(2007年1月22日付)のインタビューではこのことについても語っており、著書の中で触れなかったことに「隠したつもりはありません、ただ(教会のことについて)発言することでまた泥仕合になるのは避けたい、今の私は甘受したいと思います。」と答えている。また、同インタビューでは仕事復帰をほのめかす発言もしており、エッセイの出版や東京への引越もその足がかりでは、と見たマスコミによる「桜田淳子 芸能界復帰」の憶測報道もなされたが、2009年現在目立った活動は行っていない。 実を申しますと、僕は桜田さんのファンでした。中学生のときであります。それでは名曲をどうぞ、ここ