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最後の日

最後の日



2004年2月3日
いつものように、なるみんに会いにいきました。
ミルクをもらったばかりで、スヤスヤ寝ていました。
呼吸状態は相変わらずでしたが、心配するほどではありませんでした。

ただ、手足が少しむくんでいるみたいでした。
看護士さんが「今日、ちょっとむくんでいるんですよ。分かりますか?」と言い
「そうですね」と不安そうに答えた私。
「おしっこもちゃんと出ているので、大丈夫ですよ」と看護士さん。

おしっこ出ているのにむくんでいるんだ…なんでだろ?
点滴とか、薬のせいでむくんでいるのかな?
うん、そうだそうだ。きっと、そう。
自分で自分に言い聞かせていました。
この時、かなり不安でいっぱいでした。

とりあえずアパートに帰ると不安は倍増しました。
羊(ダンナ)に電話をして話をしました。
「とりあえず、今夜は自宅に帰っておいで。ゆっくり寝て気持ちをリセットしたほうがいいよ
今日は節分だから、豆まきして鬼退治をしよう」

数日前から気持ちが落ち込んでいた私でした。
なるみんがどんどん弱っている気がしていました。
不安で不安でしかたがない毎日でした。
そんな私を心配していた羊。

私の思いはきっときっと気のせいで、疲れているからそんな事を思うんだ!!
絶対にそうだ。間違いない。なるみんは、大丈夫。

アパートで豆まきして鬼退治してから自宅に帰りました。

自宅で夕食の支度をして、いつもより早い時間に帰宅してくれた羊と夕食を食べ
豆まきをした後、電話が鳴りました。
22時でした。
すごく、イヤな感じがして、羊にでてもらうことにしました。

なるみんの入院している病院からの電話でした。
「いま、すぐきてほしい」
「奥さんは今、どこにいますか?」
「病院まで何時間かかりますか?」
「とにかく、いますぐ来てください」
なるみんがどんな状態なのかの話は一切ありませんでした。

自宅に帰ってくるんじゃなかった…病院のそばのアパートにいればよかった。
間に合うんだろうか?
間に合う?それって、どういう意味なんだろう???

私の口から出た言葉は「まいったな…」でした。
羊は「覚悟しなきゃいけないかもしれないね」と言っていました。

道路はものすごくすいていました。
私は、ずいぶんとリアルな夢見ちゃってるかもしれないと思いました。
現実感がまったくありませんでした。


23:45 病院に到着
なるみんは、三人の先生に囲まれて治療を受けていました。
片目を少しだけ開けて羊と私を見ているようでした。
頭と手と足に点滴の針をさされて、体中がぱんぱんにむくんでました。

担当医からの説明がありました。
このときの説明は、よくおぼえていません。

蘇生の薬でなんとか心臓を動かして、呼吸器が肺を動かしていた時
医師に、「なるみんの手をにぎってあげてください」と言われ
手をにぎり「がんばって!」と、願い。語りかけていました。
なるみんの手は、少しつめたくて、握り返す力はありませんでした。

私の声に反応をしめし、心拍数とサチュレーションの数値が上がりました。
でも…
ここまで上がれば大丈夫な数値まではあがりません。
(サチュレーション100が普通の呼吸状態 なるみんの平常時は80~100←体調により変動)

声をかけつづけると、その時なるみんががんばれる最高の数値(サチュレーション40)
をたもちつづけました。
でも、その数値では、どうにもなりません。

それでもなるみんは、ありったけ力を振り絞って片目を少しだけあけていました。
なるみんの目が閉じた時、心拍数などをしめすモニターの数値が下がり始め
蘇生の薬に反応をしめさなくなりました。

1:30 心拍停止
担当医が力強く「まだ、可能性はあります」と言い、手動で酸素をおくりはじめ
医師が心臓マッサージをはじめました。

もう終わりにして欲しい。
これ以上、なるみんに苦しい思いをさせたくない。
また、何度でも産んであげるから。
頑張りすぎたから。
もう頑張らなくてもいいよ。

言葉にはなりませんでした。

自分の苦しみを終わりにしたかったのかもしれません。
最愛の娘の死を望むなんて…私はひどい母親です。

 
2004年 2月4日 2:00
なるみんの機能はすべて停止しました。



☆☆☆以下 2004年12月25日に追記致しました☆☆☆


2004年 2月4日 2:00
なるみんを抱っこさせてもらいました。
担当医は
「あんまり、だっこもさせてあげられなくて申し訳ございませんでした」
と、力なく言葉をかけてくれました。

なるみんは、ずっしりと重くあたたかくやわらかでした。
機械からはずされて、なるみんの口にだけつながっている呼吸器のチューブ
がぶらぶらと揺れているのを見て
コレは、もう必要ないのだから早くはずしてほしいな…
と、その事ばかりを考えていました。

「今から、成美ちゃんをキレイにしますから」と、別室に案内されました。
ただ、ため息がでるばかりで、どうしていいのかわかりませんでした。
だんなさんは、涙を流してがっくりしていました。
涙の出ない私。出るのはため息ばかりでした。

しばらくすると、医師がたくさんの紙がつまっていて重そうなファイルを2冊もってきて
なるみんの経過と死亡原因の説明をしてくれました。
そのファイルは、なるみんのカルテでした。
先生に、「ありがとうございました」といえなかった事が心残りです。

その後
看護師さんが、機械もチューブも点滴もついていないなるみんを
コット(新生児用のベット?)にのせて連れてきてくれました。
頭にはかわいいピンクの帽子。なるみんのお気に入りのおしゃぶり。

「きれいに、かわいくしてもらってよかったね。ありがとうだね。よかったね。」
と、なるみんに、話しかけました。
ただ、眠っているだけのように見えました。

初めての、家族三人だけの時間が少しだけありました。
なるみんを抱いて窓から外をみせてあげました。

「これから…どうすればいいんだろう???」

疑問の回答はすぐに得られました。
なるみんを自宅に連れて帰っても良いとの事でしたので、
連れて帰ることにしました。

医師の死亡届があれば、移動可能だそうです。
もし、万が一警察に取り調べされるような事があったら
この書類を見せれば大丈夫ですから…と死亡届を手渡されました。

NICUに入室する時に着ていた上着を滅菌ロッカーに返そうとしたら
「こちらで、おあずかり致します」と声をかけられて
『ああ、そうか。コレももう、明日からは必要ないんだった』と思い
『そうか…もう、ここにくる事はないのね』と思いました。
そんなことを思っても、涙が出る事はありませんでした。

霊安室で皆様にお焼香をしていただき、なるみんを抱っこしてもらったりしてから
三人で車に乗り込み、帰宅することになりました。

帰宅途中の車内で
「警察に取り調べされるってことあるのかしら?」
「検問とかやっていたら、されるかもね」
「成美の体、青あざだらけだし(点滴の跡)、今って深夜だし…
乳児虐待しちゃって埋めに行く途中だと思われたりして」
「そうだね。チャイルドシートにものせてないしね」
「ははははは」
「ははははは」

人ってこんな時でも笑えるんだなって思いました。
しかも、ものすごくナンセンスな会話。

二人で、なるみんの死を否定しつつ認めてました。
これは、夢だから、こんなヘンテコな会話をしているんだと思いたかったのです。

2004年 2月4日 6:00 なるみんと一緒に帰宅






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