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2003.11.19
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DAVID FOSTER

グラミー賞受賞経験者の超大物プロデューサーであるデビッド・フォスターが、かつてはジョージ・ハリスンが主宰するDARK HORSE RECORDと契約してキャリアをスタートさせた事は意外と知られていない。そのグラミー賞を1984,1991,1993年でプロデューサー部門で3度受賞しているのは流石だ。

彼は1949年にカナダの西海岸のヴィクトリア出身で今では、制作の方で名が知られているが当時はピアノの演奏の方でもセッションに参加していた。
ジョージ・ハリスンのアルバムには『EXTRA TEXTURE』(邦題:ジョージ・ハリスン帝国)(1975)で始めて参加した。ここではオルガン、ピアノ、ストリングスを担当している。そして翌年の1976年には早くも幻と言われていた初プロデュース作の『JAYE P.MORGAN』を担当。インディー系のレコード会社からの発売であった為に、発売から間もなく店頭から姿を消し何時の間にか人知れず廃盤となった。その後にフォスターがビッグネームになってこのアルバムの存在が知れるようになった。ところが何時まで経っても再発されるずに2000年になってDREAMSVILLE RECORDから日本で再発された。一部ではかなりの高額で(5万円以上とも)取引されていたこの作品が遂に陽の目をみた。このアルバムでは後の盟友ジェイ・グレイドンも参加している。まだ27歳だったフォスターだが、このアルバムは全体的に彼のセンスが遺憾なく発揮されている。主人公の<ジェイ・P・モーガン>の存在よりは、フォスターの抜群のアレンジ能力によるAORテイストの満載のこのアルバムの<質>の方に注目が集まっていたようである。

フォスターはこの時のセッションにも参加している、JAY GRAYDONとコンビを組んで多くのアルバムの制作を引き受けた。二人でユニットを組んでミュージシャンとしても『AIRPLAY』を発表し高い評価を受けている。この二人が組んで制作して数々のAORの名作を世の中に送り込んだ。ジェイ・グレイドンの最近の活動は一切伝わってこない。フォスターは最近の仕事では同郷のセリーヌ・ディオンのアルバムで曲の提供や制作にも手を出している。セリーヌの大ヒット『THE POWER OF LOVE』の制作もフォスターが担当して、セリーヌに初の全米1位をもたらした。この曲はオーストラリア出身のエア・サプライも発表していたが、当時はアルバムの中の1曲として埋もれていた。そのアレンジとセリーヌのバージョンを比べると明らかに違う。ボーカルもエア・サプライは男性のラッセル・ヒッチコックが高音で歌うのに対して、セリーヌはドラマチックに歌い上げる。そんなセリーヌのボーカルをより一層引き立てたフォスターのプロデュースは見事の一言にに尽きる。セリーヌが是ほどまでの地位を築いたのには、フォスターの力も大きく作用している。
他には、シカゴの『素直になれなくて』、EW&F『アフター・ザ・ラブ・イズ・ゴーン』、ホイットニー・ヒューストン『オールウェイズ・ラヴ・ユー』、ボズ・スキャッグス、ナタリー・コール、ホール&オーツなど数え切れないほどの名曲やヒット曲に関わって来た。

ザ・ビートルズのメンバーとの関わりではポールとも関係がある。1984年の12月に4曲のセッションをポールと一緒にこなして、キーボードの演奏と共同制作者として名を連ねた。その中の1曲が1987年に発売された『FLOWERS IN THE DIRT』の中の収録曲『WE GOT MARRIED』だ。この曲はポールのライヴでも取り上げられた多少古い感じのロック調の曲で、この曲のギターはピンク・フロイドのデイヴ・ギルモアが弾いている。
リンゴや生前のジョンとの関係は今のところ確認されていない。


最近のフォスターの活動は一時ほど名前が取り沙汰されるケースが減ってきた。しかし、昨今の日本でのAORアルバムの再発ブームで彼のプロデュース作品もその中に多く含まれている。フォスターは特にスケールの大きなバラード・タイプの曲のプロデュースや曲作りに定評がある。ジョージがこの若き時代のフォスターを自分のアルバムに起用していた時代は、AOR調のタイプの曲調が目立っていたのは単なる偶然では無いだろう。ジョージは解散直後はスワンプやブルースに傾倒していたが、1975年を過ぎた辺りから1980年位の期間はAORに興味があった期間だ。ストリングスを配したアレンジをさせれば彼の右に出るものはいないだろう。彼の仕事によってその地位を確立したアーチストは数知れない。セリーヌ・ディオンとの仕事が落ち着いて、今度はどんなアーチストを我々に紹介してくれるのかが楽しみだ。
もし、AORのアルバムで何を買うか迷っている人がいたらプロデューサーの名前を見て<デビッド・フォスター>の名前があったら迷わず買って下さい。絶対間違いは無い。





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Last updated  2004.08.15 12:38:12
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