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マックの文弊録

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2010.12.03
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カテゴリ:よもやま話
☆12月3日(金曜日) 旧十月二十八日 丁亥 先勝: 秩父夜祭大祭

【物集彦 其の三】
「まだ始まったばかりさ。それに、これから暫くすれば退屈するようになって、皆忘れてしまう。それからだね。」
彦はそういいながら、袋からまたポテトチップスを一掴み取り出して、卓に敷いたティッシュの上に丁寧に載せた。そして整った形のポテトチップと、一部が欠けたり、小片に砕けたものを丁寧に選り分けている。彼はそうしておいて、整った形の良いものから順に食べていくのである。
彼はバターピーナツもそうして先ず選り分ける。ただしバターピーナツの場合は、半分に割れたほうから先に食べていく。
ポテトチップスとバターピーナツでは、食べる順序が違う。私が見ていた限り、彦は決してこの順序を違えた事が無い。袋は必ず鋏で丁寧に切って開ける。いい加減に袋を破いて開け、無造作に掴み出して口に放り込むような事は決してしない。彼からすればそんなのは、度し難くも野蛮な行為らしい。彼の動作を観ていると彼独自の作法が確立されていて、それに粛々と従っているように思えてくる。流れるような所作は、能にも通じるものがある。この辺を心理学的に分析すれば、彼の性格の深奥を知るよすがになるかもしれない。

しかし、こうして彼の所作を観察している私の心理を逆に分析をされるとやぶ蛇になりそうなので、この話は人にはしたことがない。ついでに言えば、彼の最近の好みは「Calbeeの堅あげポテト」の「うすしお」である。どうも「のりしお」や「ブラックペッパー」なども試した後、「うすしお」に忠誠心を固めたらしい。

さて、話題は最近テレビを賑わせてウィキリークスである。
私は、ウィキリークスの話と、過日の「尖閣ヴィデオ」の流出事件と併せて、情報の流通と管理統制の間の矛盾を、2次元の直交座標系の上に展開していた。
つまりはネットワークの広範な普及が草の根的に、つまり水平方向に野放図に実現してしまったことで、情報というものの管理・統制という従来型の垂直型の発想は、本質的に不可能になった、とそういう主旨である。

私はそこから更に、リベラルというものの弱さを論題にし、ひいては政治の開放化(これをリベラル化とも云い得る)と、相変わらずの富国願望を共に実現しようとしている管民主党政権、及びオバマ民主党政権の本質的矛盾を衝く。
返す刀で、急速に野党化し、かつての社会党化しつつある自民党のポピュリズムへの阿りと、元々ポピュリストの集団に過ぎない事が顕になりつつあるみんなの党を揶揄する。
そうして最後に、相矛盾する願望を政治に期待し、基本的に怠惰に傍観しているに過ぎない日本国民の民度の低さを悲憤慷慨する。

其の頃には、用意したビールが空になり、思う存分話した快さと共に、安らかに眠りに就くことができる予定をしていた。

それがまだインターネットによる情報爆発に差し掛かった当たりで、物集彦による冒頭の一言である。
こうなるともう話は物集彦の独壇場で、私の壮大なシナリオは完璧に崩れる。それも必ずそうなるのである。

「そもそも、コンピュータそのものが情報を秘匿することは原理的に無理なのだよ。」
彼の話は、殆ど95%はこの「そもそも」という言葉で始まる。そうして、瑣末なままで心地よく済ませることが出来る議論を、一旦さも深遠な高みまで持ち上げておいて、それ以降は物集彦独特の公理公準定理を矢継ぎ早に繰り出して、議論を説きおろすのだ。議論の結末は大抵の場合、拍子抜けするほど陳腐な、実も蓋もない結論となるのだが。

彼によれば、コンピュータの原理はビットという0と1の情報単位に依存している。これは今も変わらない。そしてその事はだれでも知っている。この誰もが知っているという事実によって、どんな暗号を開発しても、どんな優れたファイアウォールを十重二十重に巡らせても、20桁にも及ぶパスワードをかけても、原理的には完璧なセキュリティなど実現できないという。

「若しこれを解決しようとするなら、今のコンピュータを捨てて、0か1かのデジタルシステムではなく、例えば量子確率を利用した全く新しいアーキテクチャのコンピュータを作るしかないね。」
「しかし、そうすると膨大なコストがかかるし、今までの全世界の設備投資を反故にしなきゃならない。だから、企業的には採算が取れず、従ってそんなものは作れない。作れたとしても作らないだろうさ。
何十年か前は東京から青森までは蒸気機関車で26時間かかっていた。それが今度の東北新幹線が開通して、同じ距離を3時間ちょっとで行けるようになった。しかし、相変わらず列車は二本のレールの上を走っているだろう。その点はこの先も長い間変わらないだろう。
技術と人間には大きな慣性モーメントがある。それと最近は経済性というものが大きなウェイトを占めるようになってきている。嘆かわしいことだが、最近はノーベル賞だって、経済性の呪縛から自由ではないのだ。」

また話が飛躍した。
彼の話はついついこうなる。どうかするとウィキリークスからビッグバンまで、いやいやビッグバン「以前」まで行ってしまう。

私はここで彼のグラスにビールを注ぐ。しかし彼がティッシュの上に並べたポテトチップスはつまんだりはしない。彼は自分の秩序を乱されると途端に不機嫌になるのだ。だから私は自分専用の柿の種をつまむ。

ところで彼のビールは私のとは違う。温かいのだ。
私は凍りつく寸前まで冷やしたビールが好きだ。氷点以下まで冷やしたビールは、グラスに注ぐ時に圧力が開放されて凍結する。凍結する刹那に出来る微小な氷の粒が引き金になって、封じ込まれた炭酸ガスが気化膨張し、グラスの周辺を洪水にするという粗相をちょくちょくする。しかし、ビールはやはりきりっと冷えたのが美味しい。

彼は、「かの偉大な指揮者であるカール・ベームは、必ず燗をつけたビールを一杯ひっかけてから指揮台に上がった。それが彼の才能の源泉だったのだ。」という。
「ビールは発酵食品であり、発酵というプロセスは32℃から40℃で最も活発になる。だからそれを冷やすなど言語道断だ。」といって、夏場は少なくとも3時間はビール瓶を屋外に放置しておくし(ただし直射日光は、避けるようだ。直射日光は酵母には良くないらしい。)冬になると鍋に沸かしたお湯に瓶を浸しておく。さすがに沸騰したお湯ではない。「ぬる目の風呂の湯加減程度が最適」なのだそうだ。「元々ビールは中近東が発祥の地だ。冷蔵庫などない時代に、ビールは温かいのがむしろ本来だった。アラビアのロレンスも、ロンメル将軍だってビールは常温で飲んでいた。ビールを冷やして飲むなど邪道なのだ。」と、この話になるとまた止め処がなくなる。

彼は体温より低い温度の飲み物は体に悪いと固く信じているのだ。しかし、私はかつて彼が、城山公園の茶店で、かき氷を続けて二杯、上手そうに食べるのを目撃している。イチゴミルクと抹茶だった。これはいつか彼に逆襲する時のためにとっておいてある。





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最終更新日  2010.12.05 03:41:27
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