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2008年11月21日
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カテゴリ:歴史
今 「ALWAYS 続三丁目の夕日」を見ながら書いています。 このころは時間がゆっくり流れていました。 それに比べ、今は時間の流れが早すぎるような気がします。しょんぼり

さて、時間に追われている現代人。 いまや時計時計を持っていない人はいない。 また 街のどこに居ても時を知ることができる。

ちなみに、私は長野・木曽に行ったら腕時計ははずします。 もっとも、ラジオはかけっぱなしだし、家の中にも時計はあるので時間を知ることはできますが・・・ ま ささやかな抵抗です。

しかし、もし 時計がなかったら? ま そんなことはありえませんが・・・

ということで、いきなり本日のお題は 「時計時計

尚、昨日のお題は 「尺取虫」←ご覧になってない方はこちらもどうぞ


時計の歴史は古く、紀元前2000~3000年に古代エジプトやバビロニアなどで日時計が登場し、同1500年ごろ水時計も生まれました。

その昔、人は天体月の運行や季節の移りかわりなど、自然のリズムから時間の流れを知り、暦を作り、さらに時計を作り出しました。

紀元前3500年頃、エジプト人はオベリスクと呼ばれる方位碑のモニュメントを建て、の位置で午前と午後を分け、の長さで季節を知ることができたといわれています。

バビロニアに滅ぼされた高度な天文知識を持ったシュメール人が発明した可能性もあります。

星や曇りの日でも時間がわかるように、古代バビロニアで水時計が発明されたといわれています。紀元前1500年ごろのエジプトのファラオ、イムホテップの墓からも古代の水時計が発掘されました。

一方、中国では紀元後200年から1300年にかけて、大掛かりの水時計が製作され続けました。

なかでも、1092年の北宋時代に建設された水運儀象台と呼ばれた巨大な時計は、脱進機と歯車が連動し、時刻の他に、天文観測やカレンダーなどの機能を持っていました。びっくり

そして、機械時計は13世紀末ごろ誕生し、15世紀にイタリアでぜんまい式小型時計へと発展を遂げ、17世紀にはオランダで振り子時計が製作されました。

技術革新は進んで、20世紀後半に電気式時計が登場しました。 現在は、電波送信される標準時データに合わせて自動補正する時計が普及し、携帯電話携帯電話の時計もこの方式が採用されています。

一方、時刻制度は、昼夜や季節で時の長さが変わる不定時法と、一昼夜を等分する定時法があり、日本では律令時代から双方が共存し、江戸時代、不定時法に合わせた和時計が発達しました。

二十四節気ごとに文字盤を取り換えたり、昼夜で針の速度を変えたり、独特の構造をもつが、明治に入って24時間の定時法に移行したために廃れました。

ところで、カタログや広告に写っているアナログ時計はたいてい「10時10分」辺りを指している感じですよね。 これ なぜなんでしょうか?

そこで少し詳しく調べてみますと、例えば「セイコー」の時計の場合、ほとんどが「10時08分42秒」となっていました。

これはセイコーグループのHP「ときをまなぼう」によると、「10時08分42秒」と決めているそうです。 その第1の理由は、カタログや広告に載せる場合の大切な要素、文字盤の「12時」の真下に印されている「ブランド名」が隠れずに見えること。

そして、第2の理由は、細い針であるにもかかわらず1本1本デザインが違うなど、時計のデザインの中でも重要である「針の本数や形」が見せられるということ。

さらに、第3の理由は、時針と分針の2本の針が「上向き」で、時計の表情が「しまって美しく」見えるということ。 つまり「10時08分42秒」は「人が見て美しい角度」グッドということのようです。

このように「セイコー」が「10時08分」を決めたのは「昭和の初め」の頃で「42秒」という「秒針」の位置を決めたのは、その後のこと。

さらに近年になってデジタルウォッチでは、さまざまな数字の形を見ることができ、しかも「動き」を感じる ということから「10時08分59秒」になったそうですが、「42」という数字は「死に(しに)」に通じるということで採用されなかったブーイングのだそうです。

ちなみに、この時刻は「時計メーカー」ごとに違いがあって「シチズン」の時計は「10時09分35秒」、「カシオ」の時計は「10時08分37秒」を指しているようです。

あ 話が横道はそれてしまいました。 本題に戻して、では 日本旗時計はいつごろできたのでしょうか?


琵琶湖西岸。 高台に広がる住宅地に遺跡が点在する大津市錦織地区。 古代、飛鳥から遷都した近江大津宮の跡地です。 正殿や南門の跡は史跡公園となって、訪れる歴史ファンも少なくないところ。

大化改新後22年。 667年にを遷したのが中大兄皇子、後の天智天皇(626~71)です。 改革路線を進め、全国規模の戸籍「庚午年籍(こうごねんじゃく)」を初めて作成し、律令国家の礎を整えたとされます。

その帝(みかど)を祭る社が遺跡の近くにある近江神宮です。 もう一つの事績を告げる復元模型が、境内の時計博物館に展示されています。

階段状に並ぶ枡(ます)から枡へ流れ落ち、たまっていく水の量で時を計る「漏刻(ろうこく)」、水時計の一種。

「国内で初めて漏刻を作ったのが天智天皇。 日本における時計の祖なのです」と 時計博物館 東條さんが教えてくれた。

漏刻は紀元前の中国に源流をもつ。 唐代に発達した製作技術を遣唐使が持ち帰ったのか、祖型は遷都の7年前、中大兄皇子が建造したと、『日本書紀』は伝える。

奈良県明日香村の水落遺跡で見つかったのは27年前。 地中深く礎石を埋めた楼閣の基壇跡、川の水を引き込んだ細い銅管、枡とみられる漆塗り木箱の痕跡も確認されました。

楼閣は11メートル四方。 2階建てで1階に5つの枡を使った漏刻、2階には時を告げる鐘や太鼓があったらしい。 土木建築から金属加工、流体力学、天文学まで当時の科学技術の粋を集めた施設だったらしい。

飛鳥から移設したのか、それとも新設かは定かでないが、皇子は遷都に際しても漏刻設営に心を砕いたという。

日本書紀』に"天智十年夏四月丁卯朔辛卯、漏刻を新しい台に置き、始めて候時を打ち、鐘鼓を動す"とある通り、完成は太陽暦にして671年6月10日、即位3年後のことでした。

漏刻の復元模型。 1964年、スイス・オメガ社が近江神宮に奉納した。 天智天皇はなぜ、時計に関心を寄せたのか。「支配するため」と、大津市歴史博物館館長の松浦俊和さんは推察している。

古来、時間は日の出晴れ、日の入りという自然によって緩やかに体感されていた。 それが漏刻の登場によって一昼夜は12等分され、時間の観念が劇的に変わった。

最後の枡に立てて、時を計る矢には、今でいう3分単位で細かく目盛りが刻まれていたという。 水温変化や濁りで狂いが生じやすいため、漏刻博士2人を置き、20人の時守を指揮させて、温度を管理し、天体観測や日時計も生かして修正、調節していたらしい。

徹底した計測態勢を敷いた天智天皇の狙いは、時報による人々の管理にあったのだろうか。 開門、閉門時刻を知らせる太鼓の音で官人らは宮殿に参集し、退出した。

の地位を脅かす有力者であっても従わざるを得ない。 時を刻む楼閣は、権力の象徴と言えた。

「時報制度は大津宮で確立したと言える。 有力豪族を束ね、強力な中央集権国家を築こうとしたのだろう」と 大津市歴史博物館館長 松浦さんが語る。

は5年で滅んだが、漏刻は引き継がれた。 8世紀、九州の大宰府や陸奥国府の多賀城にも設置されて定着していく。

平安中期の『枕草子』や『中右記』でも時報の描写は登場し、宮中の儀式だけでなく、貴族らの日常に溶け込んでいったことがうかがえる。

中世、武家社会が到来し、朝廷の権勢が衰えるにつれて漏刻は姿を消していく。 の燃焼時間を利用した時計の普及を経て、重り式の機械時計が作られ始めたのは江戸初期。

独自の機構をもつ和時計も発達したが、庶民の手には届かない。 ぜんまい式の振り子時計が輸入され、国内メーカーも誕生して、一般家庭に浸透していくのは明治時代のことだった。

今や数万年に1秒と狂わない時計を備えた携帯電話携帯電話が1、2年で買い替えられる時代だが、どこか温かみを感じるからか、ぜんまい式の高級腕時計復権し、静かな人気を集めているのだという。ウィンク

大津宮で時報が鳴り響いてから1330年余り。 いまだ地中に眠っている漏刻がいつか、発掘される日がくるだろうか。

時間に振り回されている現代人、

「ALWAYS 続三丁目の夕日」 劇中のせりふ

 「金より大事なもの・・・」 意味深な言葉です。


ということで本日の懐メロは 「川の流れのように



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最終更新日  2008年11月22日 09時57分51秒
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