モニュメント in Arida Vol.4´
こんにちはー今日は モニュメント in Arida Vol.4´Vol.4 の続きですVol.4の記事はこちらhttp://plaza.rakuten.co.jp/machi30arida/diary/201701300000/Vol.4では 上田和隧道 というトンネルの存在について触れました今日は 上田和隧道の正体 に迫ります上田和隧道が作られたのは 江戸時代 その当時、野・山地・千田地区は「蛙の小便でも水がつく」といわれるぐらいに、有田川が増水する度に排水不良で苦しんでいましたそのため、水田を救うために作られた排水トンネルこそが 上田和隧道 ですことの始まりは 天保9年(1838年)6月排水不良を見かねた当時の庄屋役付総代が、須佐神社近くの馬場頭 上田和 から高田の浜へトンネルを掘り、海へ排水する計画を藩に提出しました工事詰役人は日高郡小池村の 白井久蔵 が担当4年7ヵ月と銀213貫540匁をもって天保13年(1842年)12月に完成しました平成3年には、農林水産省補助「農村総合整備モデル事業」の集落排水整備工事として平成の大改修が施され、排水能力が従来の2倍に改善されています排水のために海に向かって切通しを造った事例はよくあるそうですが、排水トンネルは全国的にも非常に稀だそうです一部コンクリートに改修されていますが、保存状態も良くかなり価値のあるものだそうですよというわけで、上田和隧道の正体は当時の人々が生活のために汗水を流して作った努力の結晶でした実は有田市には排水トンネルが他にも存在しますその名も 瑞祥洞吐き口はこの辺り上田和隧道からやや西の辺りですこちらの紹介はまた後日 お楽しみに~