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まえどんな日々 [全470件]
最近「沖縄が!」とか「三線が!」とか何だとか mixiの日記やらボイスやらで喚き散らしていたわけであるが 思い起こせば、3年以上前からこのブログで喚いていたらしい http://plaza.rakuten.co.jp/maedon74/diary/200608020000/ その後もことあるごとに沖縄沖縄と唱え続けてきているので まぁ何だ、その清算というか集大成というか責任の取りかたというか 通販で買って沖縄から取り寄せたブツが本日午前に到着 思えば楽器なんてものを自前で買うのは、初めてのことだ 小・中学校のリコーダーはあくまでも音楽教材であり たとえそれが吹きこなせなくても何の問題もなかった (いや実際「ピィー!」な音しか出せなかったしw) そんなおいらが、ついに自分から楽器に手を出した ・・・と、こんだけ言っていりゃ、何を買ったかは明白だ むろん、沖縄の三線。人工皮ではあるけれどね (本皮というかヘビ皮は心理的にやっぱダメだw) さて、人工皮ながら、胴の張りは本格的なもので 弦を立てる駒(うま)は黒檀(こくたん)製 市内の沖縄グッズ店の店長さんに見せてきたところ 一曲弾いたあと「響くねぇ」と何度も感心していた ケースの中にかけるために琉球紅型を買おうとしたら 大いに金額をまけてもらってしまったので 三線の勉強を頑張らなければ、と改めて思った ![]()
えー何ですね、最近は写真ブログとmixiにばかりかまけてて こっちのほうはすっかりご無沙汰だったりするのですよ え? 古墳? んーと、そろそろ300基以上は見て回ったんじゃないかなぁと もちろん群馬県内だけで、という数字ですがね 所在地を確認してはあるものの、まだ撮影してないところばかりで こりゃもう30代になってからも全然終わりませんな、はい ということで、生きてるってことだけ書いておきます 相変わらず女日照りですがねw
つい最近分かったことでもないのだけれど おいらには、どうも何らかの欠落があるようだ それは別に耳のことでもなく むしろ感覚・感情の面に於いての話 自分では何でもないつもりで言ったことが 相手の神経を逆なでしてしまうことが増えた それを指摘されても理解できず 「何で?」と逆に聞き返しそうになる そうなるのは、何が原因なのか 何度も考えたが、答えは全然掴めないでいる ごく最近、親しい友人が結婚した 交際していること自体も数ヶ月前に知ったばかりなのに こんなにあっさりと結婚されてしまったという感じ そして、めでたいはずなのに 何故か暗鬱な気分になるおいら その根底には、自分の境遇に対する 絶望にも似た深い気持ちがあるような気がする だいぶ前、当時付き合っていた彼女から 「あたしが○○の耳になってあげる」と言われたことがある その頃は幸せの絶頂にいたから、何とも思わなかった ただそれが自然にありふれた言葉だと思っていた 当たり前の言葉だと思っていた 今、おいらにとってその言葉は単に重荷でしかない 自分が好きな人に、自分を好きでいてくれる人に そんな苦労を背負わせるわけにはいかない、と そう考えることが増えたように思う 「何もわざわざこんな障害持ちを好きにならんでも・・・」 そういった気持ちが、心の奥に芽生えてきたせいか 女性に対してひどく臆病になった気がする 加えて、実家からは徐々に語気の強まる言葉 「○○の家を継ぐのはお前なんだからな」 来年、三十の歳を迎えるおいらは 今まさにこうした葛藤のさなかにある 現状をかえりみるまでもなく 今後、新しい出会いがあるとも思えず かといって現実はそれほどに甘くはなく 自分にある大きな欠落の正体が何なのか それすらも気付けないまま 未来を夢見ることもできず生きている
報道を見て改めて呆れてしまった ゆとり教育を見直した結果がこれかというよりは こんなことも教えないのか!と・・・ 円周率が3だとかそんなことよりも 都道府県庁所在地を教えてないということのほうがびっくり こりゃ確かにバカが増えるわけだわ 最近テレビのクイズ番組なんかで おバカキャラが流行っているとかいうけれど おバカは褒められたキャラじゃないだろうに 「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」 イタリアでの落書き事件もそうだけれど どうも最近「恥ずかしい」という概念が欠けてないか・・・
2006年12月19日と2007年9月25日の このブログで触れている陸軍前橋飛行場 今日、書店に立ち寄ったら偶然見つけた本が まさにそれそのものをテーマにしたものだった 土地の強制買収から敗戦後の顛末まで あれやこれやとみっちり書かれた本だったので 迷うことなくすぐにレジに持っていった 帰宅後改めてじっくり読んでみたが これはとても興味深いものだと思った 前橋飛行場で訓練をしていた部隊がどうなったか 今まで全く知るすべもなかっただけに 特攻訓練という四文字が重みを持って感じられる そして前橋飛行場を襲った米軍機が タミヤのコルセアの指定マーキングにもある 空母ハンコックの艦載機だったということ (そのマーキングの機体が来襲したかは不明だが) その米軍機を迎撃した対空機銃座の存在 さらに、飛行場に展開していた機材 米軍機来襲時(昭和20年7月10日)、 九七戦15機、一式戦9機、二式複戦3機が配置されていた そのことすらも、今日初めて知った 敗戦直後の前橋飛行場の写真も載っていた プロペラを外された四式戦が14機ほど写っている その存在もまた初めて知った 空襲後の前橋市街の航空写真も載っていて 実家のあたりはギリギリ焼けていないのが分かった 本当にとても興味深い一冊に出会えたことを おいらは誰に感謝すればいいのだろう?
というほど読んでいないわけでもなく 本自体は、雑誌も含めれば触らない日はないくらい それでも、昨年の春以降、古墳や遺跡の本を 読む機会は圧倒的に増えたなぁと思う 上毛野国や古代遺跡関連の本も読んでいて 最近ことさらに意識するようになったことがある 群馬に於ける古墳時代の始まりと終わりだ 現代の年号が替わるときのように 「今日から古墳時代、明日から律令時代」なんて 明確な区分なんざあるわけもないし だからこそ尚更どう変わっていったのか知りたい もちろん、あの時代に古墳だけがあったわけでもなく 当然だが古墳を築造できるだけの富と権力 それらを発揮できるような民の営みがあってこそ その民が暮らした跡はどこにあったのだろう 権力者の館はどこに構えられていたのだろう そしてその頃の川の流れはどうなっていたのか 最近はそんなことばかり考えている
某画像掲示板じゃ保線状態がどうのこうのと 書かれてたのを見たことがあるけど 明らかに211系で行くJR両毛線のほうが 8000系で行く東武伊勢崎線より揺れがひどかった ・本日の乗車車輌 前橋→伊勢崎 モハ210-1007 伊勢崎→太田 クハ805-1 太田→館林 クハ81110 館林→北千住 モハ207-6 北千住→東向島 クハ11606 京成曳舟→京成立石 モハ7321 船堀→岩本町 10-479 秋葉原→上野 モハE231-532 上野→前橋 サロ212-1005 |一覧| |