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カテゴリ:フランス料理の文化と歴史
フランス語では「ロッチルド」英語では「ロスチャイルド」そしてドイツ語の読みで「ロートシルト」ボルドー、メドックの格付けにおける1級のシャトー、5つのうちのの2つにロートシルトの名が刻まれています。
「シャトー ラフィット・ロートシルト」と「シャトー ムートン・ロートシルト」です。 ロートシルトは世界に進出するようになる頃作られた苗字です。過去の歴史において世界の多くの人々は苗字を持っていません。コミュニティが小さいうちはそれで充分構わなかったのです。だれだれの息子の誰それだとか。あるいは貴族は自らの領地の地名を名乗ったりします。シノンと呼ばれるもので、日本の天皇家が住まいの場所を取って~宮家と名乗るのに似ています。 苗字は聖職者や地方の有力者などから付けてもらうことが多かった様です。裕福な家系ではゴールドマンやゴールドバーグ(金の山)、ローゼンタール(薔薇の谷)というような縁起のよい名前をもらいました。そうでない家系は「いしっころ」というような苗字しかもらえません。「いしっころ」とは、ドイツ語のアイン=一つの、シュタイン=石。つまり「アインシュタイン」です。 ロートシルト家の始祖マイヤー・アムシェルは一族の紋章を苗字としました。それが「ロートシルト」Roth=赤い、Schild=シールド(楯)、です。この「赤い楯」の一族が世界の様々な分野に進出して行きます。 マイヤー・アムシェルには5人の息子がいました。我々に身近なもので言えば、現代でもロートシルト家系のワインには「R」の周囲を囲むように5本の矢が描かれています。このシンボルマークの矢がマイヤー・アムシェルの5人の息子を表しています。 父のマイヤーは5人の息子を世界の各大都市へ送りこみます。それぞれの国で危機に陥ってもその他の国で築いた財産を維持できるようリスクの回避を目的とした計画です。 長兄アムシェルはフランクフルトの本家で、次兄ソロモンはウィーン、ネイサンはロンドン、カールはナポリへ、そしてジェイムズはパリで。 パリのジェイムズの子孫はその後、「シャトー ラフィット・ロートシルト」の所有者となります。ロンドンのロートシルト家は1853年に「シャトー ムートン」を購入、「シャトー ムートン・ロートシルト」の誕生です。 また、レバノンにおいてもワイン作りを持ちこんだ人物がいます。ロートシルトの一族、エドモンド・ロートシルトでした。 ロートシルト家は金融、不動産の他様々な文化事業にも進出します。ワインに続きブランデーを、またそのブランデーと共に販売する目的でキューバのシガー産業にも進出し、新たなサイズの葉巻を製造させます。しっかりとしたボリュームのある太さに短時間で吸いきれる長さをもった新しい葉巻。 現代ではロブストと呼ばれることが多いこのサイズ、またの名称を「クラシックロスチャイルド」と呼びます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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