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カテゴリ:フランス料理の文化と歴史
Joyeux Noel!
一年で最も忙しい日、12月24日が過ぎました。今夜でざっと2回転、80名ほどのお客様。 予約ダブりのアクシデントもあり、体力的にもしんどいのですが、営業で変な興奮状態になったためか、今夜は奇妙にテンションが高いです。。。(^^:) さて、「カオリン」といって皆さんは何を想像しますか? 真鍋かをり?桃井かおり?真綿色したシクラメンのかほり? …「カオリン」とは「磁器」の主成分です。 土から生まれる器には、「石器」「土器」「陶器」「磁器」などががあり、磁器はその中でも長くに渡って最も高級な品とされてきました。 マルコ・ポーロの時代、14世紀にはヨーロッパにその存在は知られつつあったのですが、16世紀中盤に「磁器」はシルクロードを渡ってヨーロッパに入るようになりました。この時代にヨーロッパに持ちこまれたの中国の景徳鎮や日本の有田焼。長らく輸入品であったのはその製法が秘密であったかからです。 当初輸入品であった磁器は非常に高価であり、輸入の中継地のイタリアの地名から、フィアンスとよばれ、また財産のことを指す、ファイナンスの言葉が生まれたとも言われています。また、磁器の食器セット一式が王侯貴族の間で、兵士1個師団と交換される値打のあるものであったのだとか。 この磁器を、なんとかフランス国内での生産を目指そうと「ポンパドール夫人」の命によって研究が進められたのが「セーヴルの窯」でした。「セーヴルの窯」はポンパドール夫人の好んだスタイルでその華麗さを競い、当時の様式を後の世では「ロココ調」と呼びます。しかし、当時のセーヴル窯では軟質磁器と呼ばれる「磁器」に近いものは産まれましたが、東洋の磁器の水準には追いつきませんでした。 なぜなら、東洋磁器に含まれる成分「カオリン」を含んだ地層がヨーロッパではまだ発見できていなかったからです。 「カオリン」とは、実はもともと中国の地名からきた言葉でした。中国の磁器の産地、景徳鎮の「高嶺」という地名の読みこそ「カオリン」であり、その成分は石英という鉱物が地層の中で風化したものです。 ヨーロッパで最初に「カオリン」を発見したのは、フランスの隣国、現ドイツ内ののザクセン公国でした。ザクセンはもともと鉱物資源にに恵まれていたので、鉱山に対する研究が進んでいたのです。ザクセン公国の中心の都市が「マイセン」であり、この土地がヨーロッパ最初の磁器の生産地となったのです。 この発見を悔しがったのが、当時より文化・芸術の中心地を自認するフランス、そして当時のフランス国王でした。 そして、1771年、フランス最初の磁器がリモージュの街で産まれました。 (↑ココ、試験に出ます。) それは「サン・ティリエ・ラ・ペルシュ」リモージュの南へ30キロ程の村での出来事が発端です。 この地域では、洗濯をするのに、山から採れる白い粘土を用いていました。村のある男がこの「白い粘土」から石鹸が造れないものかと、ボルドーの薬剤師にに話を持ちかけました。 ボルドーの薬剤師は驚きました。この「白い粘土」こそ、石鹸を造るどころか、フランス王が捜し求めていた「カオリン」そのものであったのです。 後に、海を渡ったイギリスではこのカオリンを含む土壌がありませんので、試行錯誤の結果、ボーンチャイナ法を生みだしました。ボーンチャイナとは、牛の骨を高温で焼き、粉砕したものを粘土に混ぜて焼き上げることにより磁器を生みだす手法です。 カオリンを含む磁器はうっすらと青みがかった色合いの白色です。ボーンチャイナは同じ白色でもややクリーム色がかった色合いを呈しているところに差が出てきます。 いづれにせよ、「磁器」が普及し量産化されることによって、ヨーロッパの食卓に大きな変化をもたらしました、 「磁器」はその「硬さ」の特性を活かし、食卓において、皿の上で「ナイフ」が使用出来るようになったことです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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