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カテゴリ:フランス料理の文化と歴史
(昨日の続きから…)
公爵(Duc)はもともとフランスと同盟を結ぶ公国の領主でした。フランスが「フランス」として統合される事になる前に歴史上に多く登場するのが「ブルゴーニュ公国」 現在でもモナコ公国の様に、公爵が元首という国もあります。英語訳するとデューク(Duke)です。しかし、デューク東郷(ゴルゴ13)やデューク更家(ウォーキング)などは正式に爵位を授かったのでは無いと私は推測しています。 侯爵(Marquis)は「辺境伯」と訳されることもあります。フランス周囲からの異なる民族の侵入を防ぐ意味で国境周辺に配置された軍団の長であったことがその始まりです。フランスが国として安定してくるとその領地を所有する領主としての性格を持つようになります。 この辺境伯、出自は異なるのですが、英国でのEarl(アール)と同格とされます。フレーバーティでよくその名をしられたEarl Grey(アール・グレイ)とは「グレイ伯爵」の意です。 コント(Comte)が伯爵です。当時の伯爵位は一つの自治領を治める権限を持っていました。コントが治める自治領は中世になって、現代の「州」に近い形態になります。現代に及んでも、コント(伯爵)が治めた州がカウンティ(County)、となってその名残りを残しています。「シャトー・ピション・ロングヴィル・コンテス・ド・ラランド」のコンテス(Comtesse)はコントの妻、つまり伯爵夫人の意で、爵位に対する男女の区分は単語によって表されています。 ヴィスコント(Viscomte)は子爵。Vis-comte(ヴィス・コント)と複合のひとつの単語でヴィス(Vis)は「副-」という訳が出来そうです。現代のアメリカにおける「副大統領」は「ヴァイス・プレジデント(Vice President)」ですから、伯爵に次ぐ者、補佐する者としての位置付けであったと思われます。 ヴィスコンティという名称については、私自身もワインや食に関しては思いつく用法がありません。 しかし、映画界では「家族の肖像」などを作成した映画監督の「ルキノ・ヴィスコンティ」の名が挙げられます。「ルキノ・ヴィスコンティ」はいわゆるペンネームで、正式名称を「ルキノ・ヴィスコンティ・ディ・モドローネ」西洋の人の名前で「ロバート・デ・ニーロ」だとか、「マルキ・ド・サド」だとか、名前の間に「~・デ・~」「~・ド・~」などの文字があった場合、多くは元貴族の系列である家系に生まれた人物であることが予想されます。 この「~・デ・~」「~・ド・~」の後に続く単語は地名であることが多く、過去においてその土地を治めていた、という経歴の表れで、この治めた地名のことを「シノン(Sinon)」と呼びます。この、「シノン」を持っているという事は、西洋でも非常に由緒正しい家柄の出身であることです。 そして5番目の爵位が「男爵(Baron)」です。このバロンという爵位は上位の爵位と違い、必ずしも戦場で功績のあった者、領土を治めた者と言うことでも無さそうです。商人として活躍した家系にも与えられていることからもその点は窺えます。 我々のようなワインに携わる者どおしで最も有名な「男爵」と言えば、、、 ジャガイモです。「メイクイン」と日本ではジャガイモの2大銘柄です。 …え、違う!?そうですね。やはり「バロン・ド・ロートシルト」、シャトームートンロートシルトを筆頭とする名だたるシャトーの所有者でもあります。しかし、「バロン」ロートシルトは1970年代に亡くなっていますので、現在の当主は娘であったフィリピーヌの運営になっています。フィリピーヌはバロンの娘なので、コント、コンテスと同じく、「バロン・フィリピーヌ」では無く、正しくは「バロネス(Baronesse)・フィリピーヌ」となります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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