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AKAGANE RESORTの庭には大きな柿の木があります。
DININGでお食事を楽しんでいただくと目の前に、たわわに実った柿の実が眼に入ります。 地球の温暖化の影響でしょうか、結実が随分と遅くなったせいもあって、2月に入っても鮮やかなオレンジ色の実がたくさん成っています。 当初夏ごろには、この柿の実のことを誰も意識しませんでした。秋が来て実が成って、枝々の隙間からちらほらと実が垣間見れるようになり、やがて緑の葉は総て落ちて実だけが残ると、鮮やかな橙色の果実がたくさん現れてきたのです。 露になるときは堂々としたものです。 -露堂々 元々そこにあったのは、明らかでした -明歴々 「明歴々 露堂々」とは禅の講話などに出てくるお話です。 AKAGANE RESORTは京都高台寺にほど近いのですが、高台寺でよく話される内容で、茶会などを催されると必ず禅の教えに絡めてされる有名な逸話です。 要は、人は意識しないものには「気付かない」ということなのですね。 見えていないから、「無かった」、ではなくて、「元々そこにあったのに気付かなかった。」だけなのです。 見えなかったものを、仏の心と感じるか、あるいは人の才能とするかは受け取った側の解釈しだいですが、「気付く」という点において人材開発の技法のひとつ「コーチング」と相通じます。 コーチングで、重要視されるのは「気付き」です。気付くためには、自分の中に内在するものをあらためて見直して見なければなりません。 外部から何かを植えつけるものではなく、誰しもが持っている「実」を堂々と露わにするための技法であるといえるのでしょう。 禅宗の言葉を顕した先人にあるように、四季の移ろいを何気なく見ていたのでは無く、そこに真理の破片を見出す。 「気付き」によって見えていた世界が変わり、自分が変わることもあるのですが、それが自然体であることが最も望ましい姿であると、庭の柿の木が「気付かせて」くれました。 つづく、、、 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Feb 3, 2014 10:51:09 AM
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