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カテゴリ:我が家の秘密のお話
来年の正月、我が家は喪中である。
10月に配偶者様のお母さんが亡くなったのだ。 僕ら2人の親たちは、合計4人が健在だったが、これで1人欠けたことになる。 お葬式も近親者で、無宗教で行った。 従って戒名もないし、だから四十九日なんてのも無いのだ。 でも、喪中は喪中であって、喪中欠礼のハガキを知り合いには出した。 そして、知り合いからも結構な数の喪中欠礼のハガキが帰ってきた。 親の年代が、色々病気になって亡くなる人が多くなる年代なのだろう。 その中に、大阪の勤務医時代に1年間だけ一緒に仕事をした先生のハガキがあった。 誰が死んだのか?と思ったら、差出人が奥さんで、亡くなったのはその先生自身だった。 僕より10歳程度年上だったので、60歳前半のはずだ。 そして知り合った頃は、お互いに子どもがまだ居なかったので、うちの長男と同じ世代のはずだ。 そんな年齢で亡くなるのは、事故か癌か、心臓血管死か・・・。 でも、最近はなかなか心臓では死ねないよなあ。 そんな事を思いながら、消息が知りたくて、大阪時代の友人に電話をしてみた。 彼はその先生のことを殆ど覚えていなかった。 もちろん消息も亡くなった事も知らなかった。 風来坊のように、全然毛色の違う病院からやってきて、やっぱり肌が合わないと1年で辞めた人だったから。 でも、面倒見の良い人だったし、僕は机が隣だったこともあり、大阪を離れて以後会うこともなかったが、それでも年賀状のやりとりをしていた。 長男が生まれた時には、洋服を送ってくれた。 そしてもうひとつ。 消息を聞いた先生は、2年前に癌が見つかり手術をした人だったが、この秋に脳と骨に転移が見つかったそうだ。 抗がん剤を飲み始めたと言う。 今は無症状だけど、そりゃあ、元気では居られないよ・・と言う。 彼は僕と同じ年だ。 彼とは、放課後にテニスをしたり、僕と同じように音楽を聴くのが好きなので、2人でレコード屋を回ったり、 一緒によく遊んだ。 大阪を離れても一度遊びに行った事があるし、この2年はGWにハルイチに行く時には必ず彼と会っていた。 人は皆死ぬ。 人間の死亡率は100%ですと言ったのは養老孟司先生だが、僕だって当たり前に知ってるその事実を、今日はのど元に突きつけられたような日だった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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