カテゴリ:心理学。
皆様、誕生日お祝いのメッセージありがとね。
ブル子ママの事も誉めてくれてありがとね。 授業参観の日に「ブル子ちゃんのママって綺麗ねえ!」と友達に言われた時みたいに、 嬉しく得意になってしまった。(単純) 自慢のママだから。 わたしも、自慢のママと言われるように、今から頑張るぞ。 (ちょっと急にプレッシャー・・・!?) さて、(←最近コレ多い!?) お題の「無垢」、とうとう誕生日には書けず終いだった。 PCを開いてメールをチェックして、ここでコメントや他のページを拝見したり、 お天気を確認したりしている内に、ブル乃助が「遊んでぇ~!!」と泣く。 本当はこっちが遊んで欲しいので(笑) 「あら!起きたの?」とわたしはぴゅーっと飛んで行く。 あら、また起きたみたい。(中断) (30分後・また寝ちゃった。) 自分も含めて人の無知さに触れた事は沢山有るが、ブル乃助を見ていると 「無垢」を絵に書いたようである。 勿論、無垢とは時に残酷でも有って、 例えば 「ママ今お化粧したばっかりだから顔面にくしゃみするのは止めておこう。」 「ママの耳に向かってゲップするのは止めておこう。」 「今は抱っこされているから暴れるのは止めておこう。」 「飲み過ぎたら吐いちゃうから程々にしておこう。」 なぁんて気遣いは皆無。 成人男性がこれをやったら完全に縁を切る。(笑) 身の危険だってちっとも分からないから、かな~り不安定なポーズで抱っこされていても、 顔の上に一瞬タオルが落ちて来ても、キャッキャと笑っている。 無垢故の一生懸命さには、心を打たれもする。 例えば、最近起きている時は腹ばいにさせるのだが、 どんなに首や腕が疲れても、諦めずに「ウン!ウン!」と頑張って頭を持ち上げる。 眠たくておっぱいが上手に飲めなかった時も、決して諦めず、 何分でも頑張って、返って諦めかけだったわたしの方が励まされた。 ブルルにあげた「12番目の天使」のティモシー君を思い出した。 そっか。無垢だと諦めないのか・・・。 そう言えば、 「この子健康体なのに2歳で歩くのを諦めちゃって・・・。」と車椅子を押す母親や、 「家の子、おっぱい飲むの諦めちゃって、一生点滴なんです。」なんて話は、 ついぞ聴いた事が無い。 いつから、人間はこの無垢な一生懸命さを無くしてしまうんだろう? 思い起こす限り、わたしは小学生の頃から、算数を諦めていた。 どんなに頑張っても、他の教科程成績が上がらないので、評価されない。 だったら漢字でも覚えようか、都道府県を勉強しようか、となったのだ。 「ブル子ちゃんは算数が苦手だからねぇ。」 「あなたは本当に文型ねぇ。」ではなく、 「絶対に絶対に諦めちゃダメだよ、頑張って!」と、もし言われていたら 今頃わたしはロケット科学者だったかも、と言うのは他人本位な話だが、 わたしにはそうやって、諦めてきた物が有る。 諦めは時には正当防衛だ。 「わたしなんか・・・。」と思っていれば、 上手く行かない時にも、傷付く代わりに「やっぱりね。」で済ませる。 日本では「諦めが肝心」とか、「引き際を知りなさい」と言われる。 でも、子供の内は、あまり早く諦めて欲しくないな、と、 我武者羅に首を起こし得意気にニヤッととするブル乃助を見て、思う。 卑屈と言われるレベルまで自信の無い日々を、大人なら誰でも経験した事が有るだろう。 (無い??) でも、少しの無垢さを取り戻すだけで、 傲慢では無い楽天的発想や、自信が一緒に戻って来る気にさえさせられる。 3ヶ月一寸の身で、もう、こんなにも教訓を授けてくれる彼の偉大さにびっくり。 早く起きて遊んでくれないかなぁ・・・?(わくわく) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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