営団地下鉄・東京メトロ:東西線 5000系
営団地下鉄・東京メトロ:東西線 5000系帝都高速度交通営団(営団地下鉄)5000系は、東西線開業に向けた昭和39年に3連6本が製造されています。東西線は、当初の開業区間が高田馬場~九段下間であり、検車区も飯田橋と全線が地下区間であったため、地上から開口してクレーンで車体を下ろして搬入すると言う手段が取られたことは有名です。5000系の殆どは東西線用として製造されましたが、一部が千代田線用6000系の製造前に導入されています。千代田線でも50両ほどが使用されていましたが、昭和56年に東西線増強用として千代田線から転属となり、北綾瀬支線用を残して全てが東西線用となっています。5000系には製造年次によってアルミ車とステンレス車が存在します。当初は統一が図られていましたが、編成増強の際に混結されるようになり、コルゲートのないアルミ車とコルゲートのあるステンレス車で不統一な編成が存在しました。平成15年5月3日 原木中山駅にて平成15年5月3日 行徳駅にていずれも東西線の301系・103系の写真を押さえに行った際についでに撮影したものです。5000系は直ぐになくなるような感じはしなかったのですが、既に05系が登場して久しくなっていましたので、増備のペース次第ではあまり先が長くないなと思ってました。案の定、それからは東西線の写真を撮る機会もなくなり、いつの間にか同車も消えてしまってました。昭和56年頃 高円寺駅にて 東西線乗入れ車 5000系営団地下鉄時代の5000系です。この時代では、地下鉄車輛である以上、まだ冷房装置も搭載されていません。併走する103系冷改車の特別快速も懐かしいですね。昭和では当たり前の日常シーンでした。5000系の最終運行は、平成19年3月17日だったそうです。