|
全て
| 家族
| お料理
| 建物
| 天候
| 行事
| 旅行記
| イランの生活用品
| イランでの生活
| 趣味
| お店
| 病気
| 追憶
| 言葉
| 私見
| 事件、事故
| 幼稚園・就学
| 社会問題
| 夢
| 翻訳
| 楽天プロフィール
| おとぎ話 ”春”
| 短歌・俳句如きもの
| English
| ひとりごつ
| 2014来日記
| 奇譚
| 詩
| Picturesque views from my eyes
| 波風の逢瀬
| Short stories
| ジョーク
| 素描
| レビュー
| こたふこだま
| 2017年来日記
| 私のお気に入り
| 2019~2020ふゆやすみ
| バイト
| 新型コロナウィルス
| フランス語
| 螺旋 こたふこだま
| Instagram
カテゴリ:私見
・・・・っとここまで自分のインド占星術の星図を見てみたのだが、
天命とその人の意志とはなんと異なるのだろうか と思った。 今まで漠然と感じていて、見えない壁のように思っていただけだったのだが、 目の前に立ちはだかっているガラスの厚い、厚い壁の存在を感じた。 私が、 自分はやりたいことをしているのではなく、 できることをしているだけだ・・・ と感じていたのはこのことだったのだ! と思った。 やりたいことを一生懸命していてもできることよりも、 できないことのほうがはるかに多いという気持ちを 持ってしまう理由がわかったように感じた。 今まで自分なりにできることを一生懸命してきたつもりでいたのに、 結局私は天命に沿って生きてきただけではないか? とも思った。 孫悟空がキントン雲に乗って駆け抜けて、 はるか彼方まで来たつもりがお釈迦様の手のひらの外にも 出られなかったという気分に私は陥った。 人がうらやむ生活をしていても 案外その人は幸福を感じてもいなければ、満たされてもいない または逆に他人がみて哀れに思う人が 結構本人にとっては満たされた生活であったりする理由が 良くわかったような気がした。 今まで何千、何万という選択肢がありそこから 数限りない、それこそ星の数ほどの人生がありえたのに 今、私がここに存在しているのは? 私をここに導いたものとは一体何なのだろう? そしてそれはこれから私をどこへ導くのだろうか? 未来の私がどこでどんな姿であるのか? それを決めるのは私であって、しかも私ではない存在・・・ のような気がしてならない。 にほんブログ村 にほんブログ村 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011年04月11日 02時35分17秒
[私見] カテゴリの最新記事
|
|