才能は枯渇するか?
今までヒット作を次々と出していた作家や、作曲家の作品が 急に平凡になったり、逆に難解になったりして付き合い辛くなることってありますよね 時には才能が枯渇したとか、酷い批評を受けたりして・・・・・でも。枯渇するくらいなら、それって初めっから「才能」じゃないような気がします。 ものを生み出す作業はとても大変だと思います。溢れんばかりの才能で次々と無尽蔵に湧いてくる天才もいるでしょうが、 大概の人は、生み出す苦しみや、内なる自分の思いを作品に表現できないもどかしさなど、他人には判らない苦労があるような気がします。 そして、今までの自分とは違った表現方法を模索したり、本来の自分らしさを表現し始めると 時には受け入れられなくなって・・・・ そんな時、多くの人たちは また元の路線に戻って安定した作品作りを始めるのですが、 それって実は凄く辛い事じゃないのかと思います。 自分の求めるものと、要求されるものの間のギャップってあるんじゃないのかな? それを生業としている以上、自分の気持ちを抑えて、迎合していかなくちゃならないのは、きっと辛いことだと思います。 全然次元は違うんですけどブログは生業ではないので、 自分のペースで、毎日続けることができます。 パソコンや、携帯でブログを読んでくれる人たちの中には読みながら、 「今日はつまんね~~~!」とか「その意見はちがうだろ」って思っている人もいるかもしれません。 でも「おいっ!そりゃ~間違っているってもんだぜ(何故か江戸っ子風)」な書き込みもないので、やさしい人たちが読んでくれているんだ~~って、勝手に思って感謝しています 枯渇するほどの才能もハナカラないので、あんまり行き詰らないし(笑) 時々、くっだらない内容の時もありますが(おい!時々なのか) 毎日読みにきてくれる人がいるって、嬉しいことですよ。 何のお役にも立っていないと思いますが(爆)これからも、よろしくね そうそう、今日の写真はご存じ「マトリョーシカ」です。何体かの人形が、一体の人形の中に全部納まるロシアの人形です。 娘の友達がシベリア鉄道の旅をした時に買ったものを、私がいただきました。 いただいたマトリョーシカは、五体の人形が、それぞれ違う顔をしていて個性があります。よくみると、ファッションも違うのね(^^) 私の中にも5人分くらいの人格がいるなぁ~(笑) 人間て単純なようで複雑ですからね 一説には19世紀末、箱根にあったロシア正教会の修道士が本国に持ち帰った箱根細工の入れ子人形(こけし・だるま・七福神)がマトリョーシカのもとになっているとか。 kazmin'今日は真面目に書いてみました