福井城の「舎人門」
福井城址北方に立地する福井市郷土歴史博物館の北側には、江戸時代に設けられていた福井城の「舎人門(とねりもん)」や石垣、土居、堀が復元されています。東西に流れる当時の堀は、西方は春山合同庁舎北側から南に折れて片町通り東側へと続き、東方は松ヶ枝公園(宝永1丁目)を南に折れて新川(荒川)と百間堀の合流地に続いていました。同博物館の建設に先立ち行われた発掘調査では、福井城北側外堀の一部である舎人門一帯の遺構が確認されたことから、同博物館の館外展示物として江戸時代末期の様子を復原したものです。無料で公開されています。復元された舎人門の形式は、木造瓦葺の「高麗門(こうらいもん)」。福井城下各御門の写真や絵図を参考にして造られたようです。屋根瓦は遺構から出土した越前赤瓦を復原して葺いています。ところで越前赤瓦は、日本六古窯の一つ「越前焼」の産地として知られる越前町平等が発祥地とされ、17世紀中頃には生産されていたようです。初期のものは福井城や金沢城の城郭建築にも使われ、耐寒性に優れていることから、次第に、東北、北海道の日本海側寒冷地にも普及していったと考えられています。高耐寒性のほか、紫がかった暗赤褐色の薄い釉がかかり独特の色調に特徴があるという。現代では作ることのできない幻の製法ともいわれています(金沢城、福井城に越前赤瓦の日記参照)。ちなみに、同博物館が建つ敷地は江戸時代に武家屋敷地だったところで、同末期の頃は礒野さんと渋谷さんという武士の屋敷があったそうです。