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2006年08月31日
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カテゴリ:新田義貞あれこれ

新田義貞が最期を遂げた藤島の戦い(8月29日の日記参照)に出てくる足羽7城に、どの城(砦)が該当するかということについては、識者の間で見方が分かれており、今後の論議の行方が関係者の関心を集めそうです。

足羽7城について福井県の歴史散歩では、和田、安居、波羅蜜、藤島、高木、黒龍、小黒丸とし、斯波高経が拠った小黒丸城(黒丸城ともいう)を入れて7城としているのに対し、新田次郎の小説・新田義貞では、藤島城、北庄城、和田城、波羅蜜城、高木城、黒龍城、安居城を7城とし、小黒丸城(黒丸城ともいう)を含めていません。

一方、福井市史では「太平記にいわれる『足羽ノ城』が具体的に何を指すのか明らかでないが、北朝軍の斯波高経方の複数の城の総称であるらしい」としています。その上で、下記の通り、現市街地周辺に点在する従来からいわれてきた「足羽7城」とは違った独自の見方を示しています

具体的には
九頭竜川、足羽川、日野川とに挟まれた地続きの範囲一帯に存在した城を指すと考えられる。その西端最奥地に九頭竜川と日野川を天然の掘割と見立てて黒丸城(小黒丸城ともいう)が位置していたと考えられ、南北朝期以後に朝倉の拠点の一つにもなった北庄城が足羽川に接して南端にあり、北端には九頭竜川に接して勝虎城が位置し、これら三ヶ所を結ぶ範囲の要所々々を掘割で幾重にも区切りその中に曲輪を築いたと見られる。そして、それらのうち勝虎城や北庄城などの主要な曲輪が「7つの城」に相当するのではないか、そう解釈すれば黒丸城(小黒丸ともいう)攻めの前後の文脈は自然に理解される。

太平記の記述にはつじつまの合わない部分が多くあり、史料的価値の信頼性については議論もあるが、「7つの城」と記されており、「7ヵ所」に城をこしらえたとは書いていない。これは明らかに7つの城が波羅蜜、藤島城、江守城、安居城のように個別の城ではなく、別のひとまとまりの地域として記述していたことの傍証ではないか、などと述べています






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最終更新日  2006年09月16日 11時26分07秒
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