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先日、「佐藤さんのホームページの字が小さくて…」という意見をいただいたので、文字の大きさを大きくしてみました。
明日17日は阪神・淡路大震災から10年にあたる節目の日でもあります。 日付は17日になりますが、夜NHKで放映された「阪神・淡路大震災10年 モニュメントに刻む鎮魂と希望」を見ました。全部見たわけではありませんが、山田洋次監督が出演しているのを見て、しばらく目がくぎ付けになりました。 「男はつらいよ」の最終作となった第48話「寅次郎紅の花」のロケ地が大震災後の神戸であったということをはじめて知りました。私にとって山田洋次監督は、「学校」シリーズ、そしてここ数ヶ月「たそがれ清兵衛」「隠し剣 鬼の爪」の印象が強く、「男はつらいよ」シリーズは私にとって身近な存在ではありませんでした。が、この番組を少し見て、「男はつらいよ」シリーズがぐっと身近になったような感じです。 なぜ山田洋次監督はロケ地に震災後の神戸を選んだのか、この映画に何を託したのか―また興味が湧きました。 枕元にあった1冊の本に目を通しました―新日本出版社から1998年1月25日に初版が発行された「子どもの人間形成と教師」(田中孝彦 著)です。この本の最後に、「(付)笑いについて―(映画監督)山田洋次氏に聞く」が収録されています。 この部分を読んで心に残ったことがいくつかあります。 ―田中「山田さんは『映画をつくる』(大月書店)のなかで、『ほんとうにつらい、きびしい状況にある人にとって必要なのは笑いではないかということ、しかも笑いでみんなを元気づけることができるような人は、やはりみんなと同じ苦しい状況に身をおいていなくてはならないということではないか』とおっしゃっていますね。」 (中略) ―田中「共感としての笑いか嘲りとしての笑いかというのは、人間の生活と文化の質をはかる大切な尺度だと思うんですね。…ちょっとひどい人がいればそれを見て安心する。それをちょっといじめてみる、少し優雅に生きている人にたいしてはとてつもなく卑屈になる。そういう傾向が広がってきているみたいですね。」 ―山田「そうですね。ゆとりがなきゃ人間は寛容にはなれないし、やさしい気持ちももちえないわけですから。確かにいらだっているんだなぁ。」 ―田中「いらだっているからこそ、安心できる笑いを求めているという面もある。山田さんが言っておられるような、つらいなかでホッと休んでまた出ていくという笑いになるのか、ちょっとひどく見えるものを嘲笑するという笑いになるのか、そこのところの分かれ目にきている感じがしますね。」 なるほど、山田監督は、「男はつらいよ」の「笑い」を被災地に送りたかっのかな、と。 私には映画をつくることはできませんが、日本共産党の一員として、みんなを元気づける「笑い」とまではいかなくても、あぁこの人なら、この党なら自分の気持ちをわかってくれる、という共感の輪を広げることができればな、と思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年01月24日 19時26分56秒
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