すみません。
アスペルガー関連の話題ですと、自分が当事者のためか、かなり過激な言葉で書いてしまいます。
でもオブラートで包んでも、健常者の方にはなかなか伝わりませんから、あえて辛辣な言葉で書いています。
わたしにはアスペルガー症候群がありますが、最近では「ADHD」と、僅かな「LD」がある疑いが濃くなり、このうちADHDは、ほぼ確定的です。
このADHDとは、非常に簡単に言いますと。
忘れっぽいのです。
でも、このADHD、単に忘れっぽいではすまなくて、千差万別です。
片付けや段取りが、とっても苦手。(>_<)
だからわたしの部屋は、いつも雑然としています。
大人になった昨今では、自分でもさすがに片付けねば……なんて思いますが。
「もういいや、どうせ部屋は汚れるもん」
となってしまいます。
おかげでわたしは、普通は子供たちが大好きなはずの遠足が、大嫌いでした。
着替え、雨具、おやつ代、その他いろいろ……。
正直、あの用意するもの一式を覚えて、このブログに書くのも、苦しいです。(>_<)
「もうヤダ!」
となります。
すみませんご勘弁ください。m(__)m
それに、アスペルガーがあるので、クラスメートの考えていることが当時から殆ど分からず、そんな好きでもない人たちと遠足に行っても、全然面白くないじゃん!
無駄だ!
そんな風に思っていまして、苦痛でした。
また、わたしの場合は、かなり重い気管支喘息(当時は小児喘息)です。
アスペルガーは元々運動が苦手。
それで更に、喘息が積み重なり、ますます
「運動苦手だ……。(>_<)」
となりました。
アスペルガー+喘息+好きではないクラスメート=嫌悪感
となります。
それで運動が下手なので、特に集団で行う球技は更に苦痛で、サッカーやドッジボールでは、自分のチームが負けると、
「お前のせいで負けたんだ!」
「お前なんかいなければいいのに!」
こんな風に言われ、単に運動が「苦手」なのが、今度は更に「大嫌い」ということになってしまいました。
「運動なんて大嫌い!」
「二度とやるもんか!」
「運動なんかこの世からなくなれ!」
それ以来、わたしは運動とは縁がありません。
体育も、わざと見学したことすらあるぐらいです。
今度またお話しますが、どうも日本は、スポーツが出来る人を高く評価し、絵や芸術・工芸などの美術が出来る人を高く評価しないと思います。
これもものすごい差別です。
学生時代から、運動部のほうが、文化部より優遇されている気がします。
あれだけ、マスコミがバカみたいに、スポーツのことや選手のことを報道しているのに、同じだけ評価されていいはずの芸術家などの文化人は、評価されていません。
同じだけの評価される権利が、あるはずなのにです。
ヨーロッパは、たぶんこうではないと思います。
すみません、話を元に戻しますが。
同じような理由で、わたしは外出や旅行の準備、段取りが大の苦手です。
この苦痛は現在も同様です。
わたしは、旅行や宿泊が嫌いです。
でも、そのものが嫌いではないのだと思います。
でもねー、なんか温泉がさほど興味がないんですよね。
では何がダメなのかといえば、その持ち物の準備です!!
これさえ楽に出来れば、きっと旅行は楽しいし、旅行どころか普通の外出も楽しいはずですが。
実はわたし、いろいろな人から言われているのが、
「ますみさんって、やたら荷物多いねー!(@_@;)」
ということです。
その大きな理由は、何を用意したらいいのかよく分からないので、全部を持っていってしまおう。
という、わたしの苦肉の策なのです。
わたしは、荷物の準備が苦手……。
その段取りが苦痛。
そんな感じなんです……。(/_;)
こんなことをするぐらいなら、外に行きたくない!
時間の無駄というか、人生の無駄!
この時間、絵を描いていたほうが(もの創りしたほうが)ずっと有意義!
最近では、家事をしているときに、このように思っています。
特に料理は大の苦手で、苦痛を感じています。
特に、冷蔵庫のあまりモノで、食事を作れる人って、わたしには凄いというか。
頭の回転が速いんだなーと、思います。
つまり、これ、わたしにはとっても苦手です。^^;
今まで傷付くようなことを言われ続け、仮に褒められた経験があっても、それの1000倍以上は(わたし的感覚)けなされたり叱られたりしている記憶が根強く、自信がなくなっていくのです。
他には、授業中など、じっとしていなければならないところで、動き出してしまう。
これで先生が、
「じっとしてなさい!」
と言っても、当事者には
「なんで?」
となりやすいのです。
じっとしている、わけを聞きたいのです。
これは、男の子のほうが圧倒的に多いそうですが、実はわたし自身、授業中に席を立ち上がって発言したことは、結構あったのです。
本当にこの障害を持つと、損が多いですね。(-_-)
今の子は、同じ発達障害でも優遇されているだろうに、どうしてわたしはあんなにひどい目に遭ってきたのかと、どうしても考えてしまって、人生返してと思えてなりません。(T_T)
世間で言う、後ろ向きに考える理由も、ここで言います。
後のショックやむなしさを、和らげて、自分の心を守るためです。
それを知らずして、後ろ向きな人をけなすのは、よしたほうがいいと思います。
また、わたしは、がんばれという言葉が、かなり嫌いです。
相手はもう、既にがんばっていることが殆どなんですよ?
それで更に追い打ちかけるように、がんばれと言うなんて。
わたしだったら言えません。
こう言われると、相手にもよりますが。
わたしはがんばってないというの?
と、感じると思います。
これ以上、何をがんばるの?
とも。
本当に相手を思う人だったら、きっとがんばれという言葉は使わないはずです。
がんばれとは、わたしが思うに、ねぎらいの言葉でもなんでもないのです。
だってよく考えてみると分かります。
「がんばる」→「頑張る」→「頑なに強張る」
というような意味ですよ?
自分で使う分にはいいと思います。
でも、相手にそれを言うっていうのは。
相手に言う言葉が、人を傷つけていることをいつも考えねばならないと思いました。
発達障害のわたしたちが必要なのは、がんばれという気休めの言葉ではなく、心からの理解です。
全員とは言いませんが……。m(__)m
なお、
「今まで我慢して、がんばったね」
という、相手の過去を認めてくれる言葉は、言われてもわたしは差し支えありません。m(__)m
なんだか、ADHDの話題から大きく逸れていますね。(-_-;)
でも、書きたかったのです。m(__)m
もし宜しければ、応援宜しくお願い致します。m(__)m
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