さて、もうすっかり冬ですし、三国志ばかりでなく、たまには日本史の有名な人を。
というわけで……。
忠臣蔵ネタでやってみました!(^o^)/
今回は、大石内蔵助です。(*^_^*)
【大石内蔵助(大石良雄)】1659-1703
ここは江戸。
時の将軍は、徳川綱吉。
ドーン! ドーン!
討ち入り決行の日。
主君の仇を討とうと、大石内蔵助が、陣太鼓を叩いて、赤穂浪士(赤穂義士)47人と吉良邸に向かう。
「討ち入りでござる! 吉良、覚悟!!」
「浅野殿、殿中でござるぞ!!」
そんな声が聞こえそう。\(≧▽≦)丿
先日、日本史サスペンス劇場で、忠臣蔵を詳しくやってました。
やっぱり、吉良は本当は悪役じゃないのですね。
愛妻家で、気が優しくて。
しかし、吉良は仕事が真面目で、テキパキこなし、神経質な浅野には吉良が精神的に堪えたのかもね。
更に田舎者だと、吉良にからかわれたと言いますし……。
こうなると、吉良が悪く見えてしまうものです。
まるで三国志の曹繰みたい。<<o(>_<)o>>
で、肝心の内蔵助は、女遊びが激しくて、ちょっとがっくりしました……。(>_<)
あれは、奥様のりくさんが、相当我慢していたんだろなあ~。(;_;)
しかし、内蔵助は、主君浅野に対する忠誠心は揺るぎないもので、忠義に篤い人
です。
そこは、関羽将軍とかなり重なり、共通点があります。
主君のために、命を投げ出す覚悟の、決死の表情を表現したつもりですが、どうでしょう?(^O^)/
内蔵助は、この時四十代だったので、それなりにおじさんの顔です。
やっぱりおじさんって描くのが楽しいかも。O(≧▽≦)O
えらがそれなりに張ってて、がっしりしててね。
それから、この内蔵助は髭を生やしてますが、本来は、生やしてない場合が多いです。
でも、演出ということで、髭を生やしました~。
(三国志をかなり引きずっているのかも^^;)
日本の兜とかの仕組みって、かなり複雑で難しかったです。^^;
人物より時間かかったかも。
それから、内蔵助の家紋の、右二つ巴も!! ^^;
また、今回、内蔵助は陣太鼓を打ち鳴らしていますが、手がよく分からず、やむを得ず内蔵助と同じようなポーズをとり、自ら写真に撮りました。
手というのは、人間の体のパーツの中で、一番難しいし複雑です。(>_<)
実際に、絵を描かれる方で、手が苦手と言われている方は非常に多いです。
なので観察は絶対に必要です……。^^;
余談ですが、この時代の将軍、徳川綱吉は大キライだなぁ。(-"-;)
良い話を聞いたことがないですからね!
ハッキリ言って、極度のマザコンって印象です。<<o(>_<)o>>
それで民衆を苦しめたり、女遊びも激しかったらしいし、最悪ですね。(-_-#)
更にはその母親の桂昌院、(お玉さん)もあまり好きじゃないです。(^_^;)
生類憐みの令がどうもね~。
でも、時代が悪かったというのもあるかも知れませんね。
現代に生まれていたら、彼らはまた違っていたのではないかと……。
そんな風に思います。
次回日本の人物を描く場合は、幕末の人物か、源義経、武蔵坊弁慶を描いてみたいなあ~。(^O^)/