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Mick遠藤の日記 [全597件]
申し訳ありませんが、しばらくアメブロにします。 http://s.ameblo.jp/mickendo/ 楽天は、スマホからアップが面倒でして…
先の日曜日、流山サーキット(卓球大会)に娘が参加。 年3回行われ、成績ポイントによりランクが入れ替わる、そんな大会。 小学生も中学生も高校生も大学生も、お兄ちゃんもお姉ちゃんも、おっさんも入り乱れて、マジになって戦う、そんな大会です。 ランク別24グループにわかれ、娘は22組。 9戦全勝で優勝しました。 次回は2つか3っつ位、ランク上がるのかな? 子どもって試合中にぬ強くなったりするんです。 1日で全然見違えるように、進化したりするんですよ。 ほめてやると、ブタよりも高く登っていっちゃいます。 面白いですね。
月イチの、股関節の診察日でした。 手術した場合の、入院期間、退院後の仕事復帰時期、費用等のお話しをしてきました。 入院期間は3週間。 術後3日目頃からリハビリ。 退院後2ヶ月休めと、主治医に言われました。 でも、リハビリの先生は、実際にはすぐ仕事行ってる人も、かなりいるらしいです。 まぁ、デスクワークならば、すぐ復帰できるそうですがね。 高額医療費制度を受けて、月に8万との事なので、月を跨がない方が良いとも。 次の診察は3月15日。 4月のアタマに手術しようかな…? 人工股関節…。 したら、入院ついでにタバコもやめようっと。 あ、ついでに。 気がついたら2キロちょっとやせてました(^-^)/
卓球復活したあと、ダンデライオンを竹ノ塚から北千住に移転することになり、ほぼ同時期に家の引っ越しと、確定申告が重なり、走りまくっていた。 案の定、疲れきって、直ぐにうつ病再発。 スタッフは信頼できるので、まかせきってしまった。 そしたら、今度は自分が店に戻りにくくなってしまってね、。 でたほうがいいけど、出ない方が、うまくまわるのかな?とか余計なきを回したり。 そうこうしているうち、どんどん店に出づらくなってしまった。 うつ病のせい、言いたいことも言えない。 議論もしたくない。 そんなまま、週2回出て、売り上げを回収して、口座に入れ、あとは給料計算して、給与を払い、仕入れの支払いがオレの仕事だったっけな。 今思うと竹ノ塚の6年間は、金が足りなくて苦しかった6年間。北千住は何も動けなくて苦しかった6年間。 いま、身軽になり少ない給料だが雇ってもらえている。 ディスプレイ関係の溶接や曲げなど、この仕事も面白い。 そして、股関節の人工関節の手術は近い将来に、やらねばならないだろうが、痛みが消えて思う存分卓球が出来る日がくることを、不安と希望入り乱れた感情の中にいる。 す そして、4年生のノンストップおしゃべり卓球娘。完璧に卓球にはまったようで、クラブに入って2ヶ月、まるで休みやしない。 まるで、中学の頃卓球にはまった俺のように。 あからさまに強くなってるし、今まで俺のアドバイスをまっすぐ聞く姿勢がなかったのが、きよぅなんかどうしてどして。 このまま行けばかなりのとこまで行くよ。 あと2年で全国16位、練習と気持ち次第でいけるとおもう。 中学上がるまで、俺はそのサポートに徹する。 音楽はその間、もうちょっと休ませてもらうよ。 あ、でも、なんかいいとこあったら誘ってください。歌える準備はない訳ではないのてね。
10年前、小P連主催のPTAの卓球大会が始まった。 息子が4年の時。 集まったうちの小学校のメンバーは、たまたまかなりの経験者ばかりで、久々に始めた自分でも、勝ち負けするレベルで、頼もしいメンバーだった。 1年目の本戦で、コテンパンにやられたショックから、足立区内のクラブチームに入って、昼間限定だが、かなりの練習を始めた。 また毎週土曜の練習では、当時5年の息子が、野球の練習のあとに参加して、かなり打てるようになり、オレの真似していいドライブが打てるようになっていた。 息子は中学で、卓球やるもんだと思っていたのだが、野球のクラブチームが中等部も作ると言い出し、息子もそっちへ流れた。 そのチームが色々あり、ほとんど練習なしの状況が続き、2年からバドミントン部へ。 惜しい事をしたと思うが、彼にとっては、バドミントンが今の高校へ繋がったのだから、良かったのかも。 卓球でもセンスがありそうだったので、もったいない気持ちは、いまも拭えない。 まだまだ長くなりそうなので、次回へ続く。
高校時代は学校以外でも、地元の仲間でバンドを組んでいた。 と言っても、年に一度しかライブをやらなかったが。 綾瀬にあったキャパ200のホールを、満員にしたこともあったな。 当時はライフハウスなんて敷居が高く、自分で会場を抑えPAレンタルをお願いするのが主流だった。 専門学校時代は、地元のレコード屋でバイトしてた。あの時はベストヒットUSA最盛期で、いろいろな洋楽も聞くようになった。 学校のサークルで、ストーンズ中心のバンドをやってて、その頃の仲間と30間際で再会し、どっぷり音楽人生が始まったんだなぁ。 10年間のサラリーマン時代でも、年に3回位は弾き語りのライブもやってた。 でも、いつも燃えきれなく、すぐに迷路に迷い込むって繰り返しだった。 専門学校の仲間と再会しballing Stonesを始めてから、いろんな事が変わり出した。 バブルが弾け、30でライブハウスすで仕事を始め、色んな人と、いろんなジャンルの音と出会い、ジャムセッションの醍醐味を知ることができた。 そして何時の間にか、自分でライブハウスを経営することになるのだが、まさかまさかの、流れで、結局12年間やれたことは、沢山のミュージシャンやお客様に支えていただいた。 感謝の気持ちはやまない。 うつ病なんぞにならなければ、今でも続けていただろうに。 今もたまに思う。あの時こう動けたらなんてね。 そんな時に、唯一の支えは卓球をやることだった。 真剣に打ち込む事で、不安なことを考えずに過ごせる、いい逃げ場であった。
何で卓球? 小学5年頃、団地の集会所でよく卓球やってて、ソコソコできてた。クラブでは学校ないで敵なしだったから、向いてたんだと思う。 中学ではハンバなく強い同級生が2人いて、まったく次元の違いに圧倒された。かなりショックだったっけ。 でもそいつらに食いついて行き、中3の頃は学校で2番手、区内でベスト4になってた。 中2の途中からは、明けても暮れても卓球。塾以外は学校の練習以外でも、いろんな練習場に通ってた。 その練習場に行く間の時間に、 自己流ギターで歌謡曲やフォークを歌ってたりして、今思うと上手く時間使ってたというか、今では信じられない集中力だったなと、驚いてしまう。 中3の時には、塾なんていってる場合じゃないと、親を説得して、塾もやめて、今日はここ、明日はあそこで、卓球漬けの毎日。 勉強の方は、それまでの貯金で中の上はキープしてたしね。 とにかく一途に卓球やってた中学時代。でもアコギも、うまいこと時間使って、やってたのが今の自分では信じられない集中度だったと。 都大会で成績は振るわなかったこともあり、卓球強豪校に行くにならず、自宅から徒歩10分の新設高校へ進学。音楽やろうと決めていた。でも卓球の練習を覗いたら、顧問がメチャ強くて、音楽村と卓球部の二足の草鞋。 一年の都の新人戦で5回戦まで進んだのがピーク。 校内の先輩、同期にコーチしてる状態で、まして音楽村と掛け持ちで、強くなる訳もなく、高校卒業と同時に卓球とは20年間もサヨナラしてしまった。 |一覧|Recommend Item
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