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日曜日に子育て講座に行く予定にしている。子育て講座は年間テーマが「子どもとあそび」になったし、今年は新しい子どもと出会う予定もあるし、子どもとの暮らしをじっくり考えてみたいとの思いもあってタイトルの古ぼけたその本を手にとった。火曜日に古本屋に行ったときに105円で買った本。以外に掘り出し物だった。著者は保父を経て、おもちゃデザイナーになった人で1990年に出版となっている。
その中の一節。 親から子へ 技と知恵 時間かけて 「おもちゃ買ってあげたんだから、ひとりで遊びなさいッ!」 母親がよく口にする決り文句。いっ時でも育児から解放されたいため、おもちゃに子守りをしてもらいたいのだろうが、売らんがための玩具メーカーをほくを笑ませ、見てくればかり華々しく、子どもの心をつかみきれない商品を次々と世に送り出す要因になっている。(中略) 昔から遊び継がれてきた、あやとり、剣玉、コマ、お手玉、折り紙などは、どれも年長者が年下の者に時間をかけて、技や知恵を伝承したものばかりである。みんなそのひと時を大切にした。子育てとはそうしたものだと納得していたに違いない。 しかしいつの間にか、育児にどっぷりとつかることを親たちは潔しとしなくなった。自分の時間をつくるためにおもちゃの助けを借りるようになった。 知恵や技の伝承ばかりでなく、童具による親子の心豊かな共感のひと時さえ消えてなくなろうとしている。 まさに、前半に書かれている母親はちょっと前までの私。自分の子どもの頃を振り返って、昭和40年代高度成長期に育てられた私はもはや遊ぶっていう子育てに価値を認められてなかったように思う。これをして遊びこんだという記憶はない。私自身のいままで育児のなかにも、子どもと遊ぶことにあまり意味を感じられなかったし、楽しんでもなく、遊び方も知らなくてしんどかった。最近やっと、「親子の心豊かな共感のひと時」っていうのを大切に思えるようになってきて、その時間を楽しめるときも出来始めた。でもそうなると、その知恵や技術がほとんどないことを実感している。 この本には、保育園で子どもの遊びや人間の本質を観察した経験から、遊びながら学ぶ考えることでもっとも人間らしい能力を育てるのだと、具体的な「童具」を紹介しながら語っている。その紹介されている「童具」のほとんどが、私も子どもの頃、遊んだ記憶のあるものだった。でも残念ながら、その遊び方は技術といえるほど身についていなくて、子どもに伝えてやることはできない。ただ、それらの「童具」は安価に手に入り、また作るのも難しくない上、ちょっと探せば技術を教えてくれる人や本も簡単に見つかりそうだ。 今月末は娘の誕生日。「親子の心豊かな共感のひと時」が実践できる「童具」をプレゼントしよう。幸い貧乏な親にでも手が出るものがありそうだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年05月14日 00時35分07秒
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