☆夜明けと雲とすずめ☆
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うちは(正確には住んでる団地の敷地の横を通る幹線道路隔てた向こう) 武庫川の下流域で、目の前の川を境に尼崎市と西宮市。 江戸中期、この辺の渡し舟は白い髭をたくわえた御爺さんがやってたので 「髭の渡し」、茶屋は「髭の茶屋」と呼ばれていたそうです。 真偽は分かりませんが(゜゜) 現在は河川敷に「髭の渡し跡」の立て札が西宮側、尼崎側ともにあり 西国街道沿いの尼崎市のバス亭に「髭の茶屋」と名をとどめています。 古い云われある地名がどんどん減っていますが、 やっぱり残してほしいと思います。 「渡し」については川を挟んだ近隣の村が交代で人を出していたそうです。 西国街道とは旧山陽道と呼ばれ、奈良時代にはあったという 奈良の都から大宰府まで続く大路が前身です。 勤めていたところ、通っていた学校、どれもこれも西国街道沿いで 立て札や古そうな寺社や石積みや碑がありましたが 当時はな~んにも気もとめず、惜しいことしました(^_^;) 散歩してると地域の歴史を伝えるものが地味にあるもんで いつもの散歩道もよく見てみると 西国街道を示すものがちゃんとありました 保存会の立て札も 本文の一部は(*あくまでこの保存会によるもの) 京 東寺の西、羅生門を起点とする西国街道(京街道)は平安時代の 延長年間(923~930)にできたといわれる。 髭の渡しを渡って段上村に入った旅人は一里塚の木陰で一休み、 この付近にあった石橋を渡った。 古老によると、そこに昏々と清水が湧き出ていたという。 さらに鯨池上水場から上大市五丁目と段上町八丁目の境道を南に下がり…云々 「古老」っていつの時点に伺ったのでしょうね('▽') 左は野球などスポーツで有名な学校 道の真ん中に木が植わってるのがいかにも古い道らしい 武庫川へ。対岸は尼崎市。 私は特に歴史好きってこともないのですが あの木、この地、この空、あの山、この川は どんな景色や出来ごとを見てきたのだろうかとか 谷川俊太郎さんの詩『朝』の一節のように (または中島みゆきさん『永久欠番』のように) 百年前、ぼくはここにいなかった 百年後、ぼくはここにいないだろう なんて浮かんで、ちょっと感慨にふけります。 だから、今なんだよなって。 …なんて思いながら、 衝動買いしてきたサザエの和菓子をいただきました 花見団子のピンクの団子は、ちゃんと桜の葉がすき込まれて いい匂い。美味でした 真ん中は関東風の桜餅。初めてですがこれはこれで、 美味しかった 右はヨモギ餅。春に向かうこの時期から身体の解毒が始まるので ヨモギなど苦みのあるものが良いのですって。(めっちゃ言い訳) 読んでくれてありがとう☆ 下の空写真はかつて「鯨池」という池があったという名を残す鯨池浄水場の上。
年末。 2014年01月05日
冬に咲く。ビワのお花.。o○ 2013年12月22日 コメント(6)
神戸ルミナリエ。 2013年12月14日 コメント(10)
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