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カテゴリ:カメラ、レンズ、写真
ウイーンが源流の創業1756年という世界でも屈指の老舗だったフォクトレンダー。
ツァイスイコンに吸収されて途絶えていたブランドも、 日本のコシナからベッサとスコパーという名称で復活した時は嬉しかった。 へそ曲がりには、 名門で老舗なんだけどライカやツァイスよりも地味な所が良くて、 使いもしない大判用の旧い真鍮で出来たペッツバールレンズを買ってみたり、 本当はウルトロン付きのビテッサが欲しかったのだけど当時は高価だったので、 半額ほどで買えたウルトロンレンズが付いたプロミネント1bをサブで使ったりしていた。 そのプロミネント1bは他を真似する事を潔しとない、 独自のピント合わせ機構のせいで決して使いやすいカメラではなかったけど、 レンズシャッターの中級機なのにキッチリとした高精度で高密度な造り込みには驚いた。 付いていたウルトロンレンズの描写もお気に入りだったので、 いずれイカレックス用のM42マウントをと思いつつ気に掛けていても、 元の数が少ないのか中々お目に掛かれないレンズだった。 その後、東京の中古カメラ市でM42ウルトロンを購入した時に、 初めて1枚目のレンズが凹んでいるのに気が付いたりしていたのだけど、 その隣にスコパレックス35mmf3.4なんかも並んでいて、 昔は余り世間で馴染みのないM42マウントは大体2万円台位のものだったので、 それも買っちゃおうかと思ったのを覚えている。 それでも、その場でスコパレックスを買うのを躊躇したのは懐具合の心配ではなく、 当時はカメラとかレンズよりも写真の比重が大きかったので、 余り使わないレンズを調子に乗って2つも買い込もうとする自分に嫌悪したからだ。 生産性のない古モノなんか次にいつ巡り合えるか分からないけど、 将来のお楽しみは少しくらい取っておいた方が良いではないか。 結局、2本目のスコパレックス35mmに出会ったのは、 ほぼ10年くらい経過してから出会ったジャンク品で、 かなり安いけど絞り羽根が動かない個体だった。 更にそこから大体10年ほど経過して3本目の出会い。 既にデジタル時代になりf値の暗い35mmなんか需要が無いらしく、 見掛けない割に20年前と殆ど変わらない物価の優等生価格な上に、 初見の奴よりも程度が良さそうだった。 手元にやってきたスコパレックス35mmf3.4は、 1957年頃に登場したレトロフォーカスレンズで、 アンジェニュ―の35mmと似たような、 テッサー型(=スコパー)にワイドコンバーターを追加した5群6枚。 1964年当時の価格はベッサマチック用がDM215(ドイツマルク)で、 標準のセプトン50mmf2はDM298だった。 参考までに、その前のf値が0.1暗い、 旧型レンジファインダー/プロミネント用の、 初期型スコパレックス35mmf3.5のレンズ構成図。 こちらも、この時代の典型的なレトロフォーカスの一つで、 4群5枚のマスターレンズのテッサー型の前に凹レンズを配したシンプルなもの。 1955年当時の価格はDM220だった。 プロミネントはレンジファインダー機なのに、 広角がレトロフォーカスだったのは、 レンズの後ろにビハインドシャッターを備えたカメラなので、 バックフォーカスが必要だったからだ。 更に広角のウルトラゴン24mmf5.8に至っては、 レトロフォーカスなのは当然だけどミラーボックス付きという代物だった。 フジカのM42マウント機は実に優秀なカメラで、 M42でレンズマウントとボディーの機能が合うと、 常に明るい開放絞りのファインダーで被写体を追える上に、 シャッターが作動した時にはちゃんと絞り込んでくれるのだ。 カールツァイス銘だけど合併によるハイブリッド表示で、 スコパレックスはあくまでもフォクトレンダー製のレンズだ。 スコパレックス35mmf3.4の作例(全て銀塩写真) 思わず新幹線の名古屋駅から工事現場写真を撮ったのは、 中央下の交差点にプジョー208(Ⅰ)が停まっていて、 右下にトヨタFJクルーザーが走っていたからだ。 大阪・高槻市の自転車預り所。 シルバー人材センターとの連携で、 放置自転車を無くす試みだろうけど良いアイディアだと思う。 街中を歩いていて好きな電車が走ってくると、 ついカメラを向けてしまうけど、 個人的には撮り鉄ではなくて乗り鉄の比重が高い。 かつて大和の国の財産の半分が集まると言われ、 今では文化遺産に指定されている奈良の今井地区に潜り込む。 大好きな奈良酒の”出世男”の蔵もここにあって、 酒瓶と一緒に荷物を送って頂いて大助かりだった。 かつては防火用に水が湛えられていた筈の防火水槽も、 今ではオブジェとなって風景に溶け込んでいる。 手造りと思しき窓格子が歳月を経たお蔭で良い雰囲気のオブジェになっていて、 縦に配された枯れた丸棒一本一本の表情が何とも言えない。 屋根に葺かれているのは、 表面がコンクリートそのものなので文化瓦だと思うけど、 高度成長期の時代は地元でも集合住宅で良く見掛けた。 アルミサッシではない木の窓枠も貴重で、 この建屋一式が昭和の文化遺産だ。 大阪・鶴橋のコリアンタウン入り口。 時々、ネットでここからキムチを取り寄せているので立ち寄ってみた。 いつもの豊田商店に初めて訪れ家で定番のレンコンキムチと他に幾つか選んだ後も、 熱気に煽られて別のショップで色々と買い込む事になる。 いつもの地元散歩写真。 散歩道の途中にある”防火そう”の看板が、 ここら辺の強烈な紫外線と風雨でどこまで劣化するか気になっている。 既に1年以上は、この場所で頑張っている案山子。 右側には蓼科山が見守っている。 奈良の橿原神宮に置かれた巨大な絵馬には、 まるで忌まわしいコロナ禍から逃れるかのように疾走する兎が描かれていて、 そのコロナがやっと5類移行になり明るい兆しが見えてきた今年がもう直ぐ終わる。 まあ色々あったけど何はともあれ今年は兎年でジャンプした事にして、 来年の辰年では天空に昇る良い年になりますように御願いしたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.12.23 19:30:10
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