娘に恨まれた道長
パパが車での御用があるので、孫のRから「遊びに来て」とご要望。いそいそ出かけようとしたら、なんと、元気いっぱいのRは37.8℃のお熱がありましたとさ。急遽決まって、急遽中止に。さて、今、ドラマでは、道長は娘を入内させない、庶民の為の政をする、と言っていますが、これがいつ変わるのか。楽しみ❓❓❓です。 彰子(左)と一条天皇 (C)NHK歴史上の記録や歴史物語にあるように、道長と言えば、娘をどんどん入内させ、気になる相手は排除して、摂関政治の頂点を極めました。段々とそうなっていくのか、それとも何かをきっかけに豹変するのか・・・。道長と言えば、自分が大夫として仕えた定子への嫌がらせにはじまり、三条天皇との抗争、三条天皇長子春宮敦明親王を廃太子に追いやるわ、顕光の娘である延子と結婚していた敦明親王を、春宮を退いてくれた代わりに、明子腹の寛子と結婚させるわ・・・。上げたらきりがないです。当時の人達は怨霊を本気で恐れていたので、道長も追い落とした相手には気を遣っていますが、それでも顕光と娘の延子は、死後怨霊となって道長の娘達の命を奪っています。上に挙げた敦明親王の妻になった寛子は若死にしますが、何か言い残すことはないかと、道長から聞かれた時、「敦明親王の妻になって、延子を悲しませるようなことはしたくなかったのに、お父様が無理にしてしまい、その報いで私が死んでいくのが恨めしい」と、ハッキリ言ったようです。父親の言う通りに結婚するのが当時ですから、寛子もどうしても嫌だったとしても従わざるを得なかったのでしょう。また、敦明親王としても、道長との縁を繋ぎたかったのは間違いないでしょう。その所為で、寛子は顕光・延子親子の怨霊に憑りつかれ、寛子が息を引き取った時、2人の霊が、「いまぞ、胸あく」と、叫んだと言います(マジで怖いんですけど)。また、この後道長四女嬉子はお産を控えていましたが、2人の怨霊は、嬉子の産屋にも必ず行くと言って、一家を恐れさせました。結局、嬉子はお産は無事に済みましたが、2日後に急死しています。道長だけを見ていると、運が良い、力がある、娘達は后に相応しい人柄で、妻は積極的に道長や家の為に動いているように見えますが、そこは権力を持つこと、またそれを維持する為に甘いことは言っていられない、それ以上に、傲慢で人を蹴落として行かなければ、自分が落とされるだけといった世界なのでしょう。どこでそう変わるのか、或いは根は変わらないのか。根が変わらないと、昔の大河ドラマですけどね。どうなりますやら。いつもポチっと応援ありがとうございますにほんブログ村にほんブログ村