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まだまだ続くし~付点の足音~

(2) 第2ステージ**一般病棟へ 6/23~7/9**

(2) 2003/6/23~7/9

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*入院10日目* 2003 6/23(月)   -第2ステージ~一般病棟へ~


昨日までの夏日とは変わって、梅雨らしい天気です。

1週間分の報告を兼ねて、会社にファックスを送りました。
メールも考えましたが、ファックスの方がshinの状況を
多くの人に伝える事になるかも・・・そう思ったからです。
このファックスは毎週月曜日、shinが退院するまで続けました。

shinの落ち着き方や様子を考え合わせ、11~13時の面会は止めて16時~にしてみる事にしました。
私がいると食事も自分でとろうとしません。
少しずつできる事を増やさなくてはいけないのかもしれません。

夕方ICUのインターホンを押すと、
「○さんは5階病棟へ移られました」との返事です。
事前には聞いていなかったので、嬉しい・・と言うよりびっくりです。

病棟へ上がってみました。
廊下も広く、病室もゆったり作ってあります。
shinは5人部屋の一番手前にいました。
「あ~びっくりした」と私。
「イヤイヤ君(私の事)のせいで、本当にヒヤヒヤさせられますよ」・・・ムムと言う感じでしょうか。

しかしこの1週間の事を考えると家族にも早く知らせたく、帰りを待たずに電話をし、長女にはメールを送りました。


*****


*入院11日目* 2003 6/24(火)  -急降下ー


リハ科の医師の診察があるとの事で11時からスタンバイしました。

病棟では食事は病室でもデイルームで摂ってもよいらしく、
昼食・夕食はデイルームを利用しました。
各階の東南の角がデイルームになっており、食事や面会で使えます。
見晴らしもよく明るい部屋です。テーブルが9セットぐらい
ありますが、食事の時間は利用者も多いようです。

ちょっと買い物に出ている間に、会社の方がいらしたようです。私も連絡を受けていなかったのですが、ナースセンターの判断で、本人には会わせなかったようです。
shinの現状を考えれば適切な判断だったでしょう。

3時過ぎにリハ科のDr.Mの診察がありました。
本人の様子を見ながら、ベットサイドでの診察でした。

その後、ナースセンターで詳しい話です。
いきなり「重度障害1級ですね」 続けて
「足のマヒは回復の見込みもありますが、手はちょっと・・・
社会復帰は、今の会社には・・・う~ん」

「えええっ、重度障害って何?1級ってどんな事?」
予備知識も何もなかったので、いきなり専門的な話で、おまけにシビアな話で頭が真っ白になりました。
血の気がすーっと引いていくのがわかります。
これから一体どうなるの・・・またしても振り出しに戻った感じです。

リハビリについては、ここではPT(理学療法)とOT(作業療法)
のみでST(言語療法)はなく、より専門的なリハビリのためには転院が必要だそうです。
脳卒中のリハビリの効果は、個人差はあるものの6ヶ月が一つの区切りと考えられているそうです。
するとshinは今年一杯がその期間にあたりますが、それ以上やっても無駄なのでしょうか・・・。
いろんな事が頭の中をグルグル回ります。
ダレカタスケテ!

リハビリはやってみなければ分からない・・・と思うことにしましたが、すぐに展望が開ける訳ではないのは確かです。
私の仕事のことも考えなければいけません。
やっと見つけた仕事でしたが、これから先shinも両親もどうなるか分かりません。
それを考えると自分の仕事を続ける自信も今は無いのです。
病院の帰りに職場へより、事情を説明しまいた。
10日もそのままにしていたので、ある程度あちらも予測していたのでしょう。あっさりと辞める話になりました。
たった4週間の勤務でしたが、本当に充実した時間だったので
悔しさもあります。
(しかし1年経ってみると、果たしてこの決断が良かったかどうか大きな疑問です。)

shinの障害の程度の事、自分の事・・・などドロドロの気分でしたが、「暫く会えない」と言った両親に「重度障害で身障1級」なんて今は言えない気がします。
今日のshinの様子で良かったことのみを話しました。
(これからしばらくそんな日が続きます)

弟に相談してみました。
障害の程度については、もう少し時間が経たないと分からない事もあるのだから落胆しないでいいし、両親にもあせって話す必要はない・・。
またセカンドオピニオンについても検討してみてはどうか・・と言われました。
やはり一人で悩んではいけません。
悪いほうにしか考えないし、誤った方向へ進んでも気がつかない事もあります。
まだまだ諦めないつもりです。

昨日は一般病棟へも移り、せっかく明るい気分になれたのに
一転しました。ジェットコースターの急降下のようです。


*****

*入院12日目* 2003 6/25(水)   -介護保険ー


昨日の不在を詫びるため朝一番で会社に電話をしました。
また7月の2週位に訪ねます・・と言われました。

昨夜、両親と介護保険について話をしました。
shinもこれからどうなるか分からないし、両親の体調についても予測がつかない…私も適切な対応を取る為に専門家のサポートがあれば安心できる…そのような事を話すと、あっさり「手続きを取ろう」と言う話になりました。

区のケアセンターで両親の介護保険の申請手続きをしました。これから聞き取り調査や主治医の意見書等を資料として
検討がされる事になるそうです。

いつもより遅く4時ごろ病院に着きました。
「オッ久しぶりだね」・・・いつもと時間が違うことがわかったのでしょうか。
今日は点滴と導尿管が外れ、頭の傷口の抜糸もされたようです。左の傷口がちょっとビチョビチョしています。
義母とshinは傷に弱いのを思い出しました。

今日から本格的にリハビリがスタートするそうで、
OTはI先生(女性)
PTはS先生(男性) と担当も決まりました。
どちらも若くてキビキビした方です。
時間が許せばリハビリの見学をしたい・・とお願いしたところ
快くOKが出ました。
うまくコミュニケーションが取れるといいなと思いました。

右足に関しては思ったより動くので、先生も私もビックリしました。
昨日はズドーンと落ち込みましたが、やはりやってみなければ分かりません。「諦めないぞ」と改めて思いました。
明日のリハビリも楽しみです。

しかし動けることが分かると勝手に車イスを動かしたり、寝返りをうって逆カメ状態になったりと、心配も出てきました。自分の能力を正しく理解出来ていないので、一応説明はするものの不安です。
ナースセンターにも事情を話しておいた方がよさそうです。

ナースセンターで勧められ、車イスは売店でレンタルしました。私が選んだ種類では後で困る事が分かり変更しましたが、最初に専門家のPTの先生に相談するべきだった…と反省しました。


*****


*入院13日目* 2003 6/26(木)   -こんな日もあるー


抜糸した傷口を左手で触り傷口が開いてしまったため、もう一度縫いました。…と病室に着くなり看護師さんの説明です。
どのような状況だったかは分かりませんが、リハビリの前にすっかり体力と気力を消耗しているようです。

一応リハビリ室に行ってはみたものの、先生の問いかけにも
積極的に答えず、OT.PT共にほとんどリハビリが出来ないまま
終了です。先生も無理はしない方針らしく、あっさりとしていました。

夕食をデイルームで待つ間、気分を変えてみようかと数字遊びをしてみましたが、数字に関してはとても「薄い」事がわかりました。
PTのS先生がデイルームまで、食事の様子を見学に来ました。
いつもは沢山喋るのに今日は口数も少なく、先生の質問にも
顔の表情と左手だけで答えています。
先生にも申し訳なかったのですが、良くあることなのでしょうか、先生はあまり気にした様子もありません。

病室に戻りましたが歯磨きはせず、顔を拭いたら寝てしまいました。よほど疲れたのでしょう。
こんな日もある…そう思うことにしました。毎日毎日一喜一憂すると私もかえって疲れてしまいます。
長期戦になるのは分かっているのだから、上手に乗り切らないといけません。
しかし、今日は疲れました。
西棟との連絡口にあるベンチで30分ほど仮眠を取って帰りました。


*****


*入院14日目* 2003 6/27(金)   -まだらー


午前中、近所のOさんにケアマネージャーについて相談しました。介護保険を利用するにはケアマネさんは不可欠ですが、これは利用者が探さなければいけないとの事。
私はまったく心当たりがありません。
Oさんの紹介でケアマネさんにも連絡がつきました。保険課の調査日も決まりました。やはり何事も一つずつしか片付かないと思いました。

前夜の様子が気になったので、早めに病院へ行きました。
トイレが間に合わなかったらしく、シーツ交換の真っ最中でした。
水分はたっぷり摂らせたいけれど、トラブルも起こると言う事です。何を優先したらよいでしょうか。

今日はPTはお休みでOTのI先生と柔軟体操のあと、両手を組んで上下左右に動かしていますが、昨日より落ち着いてリハビリに取り組んでいます。よしよし。

車イスとベットとの移動も、随分上手くなりました。コツをつかんだのでしょうか。

夕食までデイルームで、shinのパーソナルデータをインプットしました。
名前・年令・住所・家族構成…教える度に感心しています。
磁石着きの数字で遊んだりもしますが、数字に関しては大変
「薄い」ようです。ただ左手にしているデジタル時計は読めたりするので、マダラにでているのでしょうか。

近くのショッピングセンターで七夕飾りが風に揺れていました。病気回復を短冊に書きました。沢山の願い事が吊るされています。人間の願いは人の数、いやそれ以上にあるのでしょう。
病院の玄関にも笹があったので、近いうちに短冊も用意されるかもしれません。


*****


*入院15日目* 2003 6/28(土)   -つかまり立ちー


PTでつかまり立ちが出来ました。
今日は本人もやる気があるようで、リハビリも調子が良いのが分かります。
子供たちがハイハイ、つかまり立ち、ヨチヨチ歩き…とできる事が増えた時は本当に嬉しかったものですが、十数年後にまたこんな日が来るとは思ってもいませんでした

ちょっとした動作でも、右手を使おうとする意識が出てきたように思います。
手を洗う時、ホワイトボードの字を消す時、食事の時…うまく使えない時が多いのですが、諦めないでほしいと思います。

Dr.IにCTの写真を見せてもらいました。
少しずつ脳のハレが引いてきているようです。
しかし血腫が吸収されてしまわないと脳のダメージの程度は分からないそうです。
これから6か月がリハビリも最重要なので、しっかり
励むべし…そんな話でした。
また脳出血には前兆はなく、脳外の医師でも脳出血に当たる人がいる・・との話を聞きました。
数日前、shinの前兆を私が気がつかなかったのではないか…と義母から言われた事がずっと刺さっていましたが、ちょっとだけ気持ちが楽になりました。


*****


*入院16日目* 2003 6/29(日)   -ホットタオルー



次女と病院へ行きました。
途中食事用の滑り止めマットを購入しました。
左手でスプーンを持って食事をしていますが、食器がスルスル動きます。かと言って右手で押さえる事はできません。
(これは高い買い物でした。100均で売っている滑り止めで
十分だった事が後日分かりました)

昨日ハイだった分、今日はちょっとお疲れモードです。
でも次女と会えたのは嬉しかったらしく、涙ぐんでました。
ベットの上のshinを次女がスケッチしました。
(H病院にいる間、ベットサイドに貼ってましたが、今は電話横のコルクボードにピンで留めてあります)
ちょっと虚ろな目がshinの状態を物語っています。

夕食は毎日デイルームで摂っていますが、ここには自販機の他にオーブントースターや電子レンジ、水道もあります。
夕食を待つ間、タオルを絞って電子レンジでホットタオルにし、右手を暖めるのが日課になりました。
今日はホットタオルを渡すと自分で右手を包んでいました。
新しい記憶も少しは残っているのでしょうか。

新しい滑り止めマットを使って今日の夕食は完食でした。
やはり食器が動かないので、食べやすかったようです。
マットの説明をしましたが、分かったかどうか。


*****

*入院17日目* 2003 6/30(月)   -デジカメー


6/30

月曜日のファックスを送信しました。
会社からは、診断書の提出と7/2の面会申し込みの連絡がありました。「いよいよ来たか」という感じです。

shinの様子を家族に、家族の様子をshinに伝えるためにデジカメを買いました。
リハビリ室では他の患者さんを写さなければOKと言われました。

PTでは平行バーにつかまって立つ練習です。重心が左に傾くので、右に体重をかけるように先生からアドバイスを受けていました。
リハビリが終わり、「ありがとうございました」と挨拶をしながら、S先生と右手で握手をしていました。

リハ科のDr.Mに7/2の対応について相談しました。
本人とはまだあわせない方がよい、情報は小出しにする、傷病手当金については質問してよいのでは・・・とアドバイスを受けました。
やはり何でも専門家に聞いてみるものだと思いました。

毎日何回も「今日は何日?」と聞きます。
最初は根気良く教えていましたが、だんだん私の対応も雑になってきているのが分かります。反省。
今日は6/30だと教えると
「そうか、もう半分過ぎたな」「明日はイッピか」と言いました。
「何月の?」と尋ねると「7月だろ」。
へー分かってるんだ・・こんな時がちょっと嬉しい瞬間です。

夕食後私が「ちょっとキツイな」と言うと「早く帰っていいよ」と言ってくれました。
帰るタイミングはいつも難しく、さながら私は小児病棟のお母さんのようでしたが、今日は人の事も考える余裕も出てきたのでしょうか。
気が変わらないうちに、早く帰りました。


*****



*入院18日目* 2003 7/1(火)  -イライラー

 
明日の面会も気になるところですが、脳外のDr.Kに診断書についても一言お願いをしました。
「ありのままを書くだけですから」と事務的な返事です。
家族としては「大丈夫ですよ」くらい言って欲しかったのですが、(何が大丈夫なのかって?)こんなものなのでしょうか。
10g位のブンドウが胸の中をゴロゴロ動き回っているような
気分です。

リハビリの前にちょっとしたトイレトラブルがあったためか
なかなか調子が出ず、リハビリ中ずっとトロトロしていました。shinのリハビリは大体2時スタートになっているので、
昼食後の過し方が大事なのでしょうか。
子供のように宥めたり賺したりする事も出来ず、ちょっと考えます。

夕食の時間になっても機嫌が悪くイライラしています。何とか気分を紛らわせようとしますが、「オレは負けだ」等と口走ります。あ~、こんな時はどうすればよいのでしょうか。


*****

*入院19日目* 2003 7/2 (水) -先送りー


7/2


朝からお風呂に入ったらしく、気のせいかサッパリして見えます。

今日はOTはお休みですがPTの調子も良く、大き目のボールの上に両脚を乗せたり、輪投げを右手でしたり、ベンチ上を横に移動していました。
先日から気になっていた足の裏の感覚は、有る日と無い日が
あるのだそうです。右足の裏をコチョコチョしても反応しない時もあるし、モゾモゾと足をすくめる時もあったのですが。でも感じる日もあるのだから、やはり刺激は与えたほうがよいのでしょう。

5時に会社の方と玄関ホールで待ち合わせをしましたが、shinには興奮するといけないので、教えませんでした。
なんとなく私が時間を気にしてソワソワしていると、「どうかしたの?」と聞かれてしまいました。

会社のFさんはお一人でした。
9階の食堂でコーヒーを飲みながら、お話をしました。
特に会社の方針が決定した訳ではなく、診断書を見てから・・との事のようです。
健保の関係で高額医療費と付加給付金、傷病手当金についての質問をしましたが、これも後日回答という事になりました。
仕事上の事はshinもあまり話す方ではなかったのですが、特にトラブル等もない様子なので一安心です。
「今日の面会については、ドクターストップがかかっているので本人はまだ会うことが出来ない」と説明したところ、残念そうでした。やはり本人の状況を見たいと思っているのでしょう。

問題点は先送り…の面会でした。
休業期間は(転職後半年なので)3か月との事。
1年以上でも大した差はないらしく、複雑な気持ちです。
でも「Kさんとも善処しようと言っておりますので」との言葉もあり、少し期待が持てそうな予感。

*****


*入院20日目* 2003 7/3(木)  ー必要な時間ー

 重たい右手


デジカメで両親や娘達を撮り、shinに見せます。
新しい写真を見るとshinも喜びます。
両親はまだ面会するとは言いません。
娘達は土日でないと会えないので、家族の様子は私の話とデジカメを利用して伝えます。
またリハビリの様子は、他の患者さんが被らないようにして
shinの様子を撮ります。
帰宅後はデジカメを見せながら説明です。
私はデジカメの運搬人?

今日は気持ちも落ち着いているようです。
デイルームで夕食を待つ間
「オレにはこのゆっくりした時間が必要なんだなぁ…」とshinがしみじみと言いました。
この二十日間いろんな事がめまぐるしく起きましたが、少し状況を考えられる余裕が出来たのでしょうか。
私もまったくその通りだと思います。
今の時をそのように感じているのなら上等です。
こんな時、もしかしたらこの人は病気のフリをしているだけなのではないか…と思うのです。

たまにポロリといい事を言うのですが、悲しいことに明日になると忘れています。
やはりフリではなく現実なのです。

*****

*入院21日目* 2003 7/4(金)  -リクエストー


ケアマネージャーのUさんから月曜日のアポの電話がありました。両親の介護保険については着々と進んでいるようです。

PTは昨日に続いて平行バーを使っての歩行訓練です。
shinはS先生に「昨日は1往復だったので、今日は2往復させて
下さい」とリクエストしていました。
昨日の記憶がある事、リハビリに意欲が出てきた事に嬉しく思いました。

「起立」の状態で両足にバランス良く体重をかけるのがshinは苦手のようで、S先生もしっかり体を触ってよい時のタイミングを出してくれます。
後は本人の自覚と学習ですが、体で覚えてくれるでしょうか。

OTもPTもリハビリをしながら先生は雑談のように、いろいろな質問をします。
「○さん、生年月日は」 「○さん、住所は」 「○さん、昼ごはん何食べた」 等など。
今日はS先生が私の名前を聞いていましたが、なかなか思い出せず「先生、本人に聞いてくださいよ」とかわしていました。

OTは肩から腕にかけてよくマッサージをした後、バスタオルやキャスター着きボードに右腕を乗せて、車のワイパーのように左右に動かす運動からスタートします。
最初はなかなか右手だけでは動かすことができず、左手の介助が必要でした。

空き箱に入った片手で握れるくらいのボールを1こずつ持っては、隣の空き箱に入れる…そんな何でも無い事もマヒした右手を使うとなると大変です。
ボールを握る事はできても、持ち上げて移す事が難しいのです。自分の右手を支えられない、そんな感じでしょうか。
I先生がshinの右手を上から持ってくれたり、自分の左手で支えたりしながらのリハビリです。
(後日リハビリ病院で、ある家族の方が、…マヒした手足は本当に重く、私は絶対にバラバラ殺人なんかできないワ…と言っていました。バラバラ殺人はちょっと・・ですが感覚を失った肢体は寝たときの赤ちゃんのようにとても重たいと思いました)

廊下やリハビリ室で時々会うYさんと挨拶をするようになりました。私と年齢的には変わらないくらいでしょうか。
移動も車イスでリハビリはPTだけのようですが、歩行が難しいようです。
でもとても明るい方で「お互いがんばりましょうね」と爽やかな笑顔で言われます。
リハビリ室以外でも廊下の手すりにつかまって、立つ練習をしている所を何回も見かけました。
彼女の歩くことへの気持ちの強さを見た思いでした。

夕食や歯磨きを済ませると、だいたい7時くらいです。
病室を出ると渡り廊下の辺りが、少し照明も落としてあり
仮眠には最適な場所です。
30分程度寝るとスッキリして帰れるので、よくひと休みします。

今日は近くのスーパーで買い物もして帰りました。
大きなスーパーで9時まで開いているので、なかなか便利ですが、閉店間際の時間でも小さい子供づれのお母さんをよく見かけます。

夜の方が涼しかったり、商品も値引きになったりするからでしょうか。
中には保育園の帰りかなと思われるような親子もいますが、
これから家に帰って食事をしてお風呂に入って…と余計な心配をしてしまいました。私も典型的なオバサンです。

でもやはり8時9時って普通は子供は家に居る時間じゃないかと私は思うのです。
多様化するライフスタイルの中で、子供を取り巻く時間も変わって来ていると言うことでしょう。


*****


*入院22日目* 2003 7/5(土)   -たんざくー


3時ごろ病室に着くと、険悪なムードです。
「オレはもう帰るからな…」とかなりいらついた様子で、入院生活に「アキタ!」と言います。

看護師とも相談して、1Fホールまで散歩に出てみました。
売店で車イスのレンタルの更新をした後、ヨーグルトとゼリーを買って会計フロアーのイスで食べました。
「どっちを食べる?」と聞くと「両方」と答えました。
土曜日の午後は外来もなく、フロアーも落ち着いています。
両親の事、子供たちの事、shinの事…いろんな話をして、もう少しリハビリを頑張ってみようと話しました。

夕食前、自宅に電話をしてみました。
各階の電話ブースは個室になっていて、電話の高さも車イスのまま掛けられるように作ってあります。
二人の娘と話をし、本人も納得したのか、夕食の時間は落ち着いていたので一安心です。

数日前からスケッチブックとマジックで字の練習を始めていましたが、病室のオーバーテーブルに七夕の短冊が配ってあったので、書いてみることにしました。
暫く考えて「オレはがんばるぞ」「負けない」と左手で書きました。

夕食後5Fの笹につるしましたが、どの短冊にも「早く元気になりたい」「早く歩けるようになりたい」「早く退院したい」と
患者さんたちの思いが書かれていました。

ちょうどS 先生も通りかかり、shinの文字を見て「また来週もがんばりましょうね」と声をかけてくれました。
何気ない事ですが、医療スタッフとのちょっとした交流が患者や家族をホッとさせるとこの時も思いました。
「S先生ありがとう」

私が用意した夕食を子供たちと両親が先に済ませ、後片付は子供たちが交代でやってくれています。
長女の期末試験が近いので、後片付はちょっと可哀相かなと思いshinに相談してみました。

「明日の日曜日は、疲れたからちょっと休もうかな」ともちかけると、なかなかウンと言いません。
「高校の期末試験があるから、じゃあ来週1週間は早く帰ってもいい?」と聞くと
「じゃあ次の週は遅くいてね」とネゴされました。
交渉成立です。
駆け引きができるのはスゴイと思いました。

少しずつですが、考える事ができるようになってきています。
入院生活がイヤと感じるようになったのも、その表れではないでしょうか。

夜、母から電話がありました。
「夏休みは、またお見舞いに行くから、子供たちをどこかに連れて行こうと思っている」と言ってくれました。

母からの連絡はファックスか夜の電話ですが、夜は私も疲れており、うまく対応できない事も多いのです。
今夜はうまくコミュニケーションでき、私もいい気持ちでした。母に感謝です。


*****


*入院23日目* 2003 7/6(日)   -ひげそりー


朝から、溜まっていた家事を片づけました。
shinのYシャツもそのままになっていたので、アイロンがけもします。いつの日かこのYシャツを着てネクタイを締める時がまた来るのでしょうか。

5Fのナースセンターはとても広く、カウンターがアールになっていて患者も家族も自然に近寄れるよに出来ています。
今日はshinはそこにいました。
よく手こずるおばあちゃんがナースセンターに座っているのを見かけましたが、shinも勝手にベットから起きようとしたらしく、監視下に置かれていました。
体の機能も少しずつ思い出してきているので、いくらテレビがあるとは言え、ずっと寝たままでは退屈なのかもしれません。

ICUでは剃って貰っていた髭も、一般病棟では自分で剃らなくてはいけません。交流式の髭剃りしかなかったので、電池タイプの物を買ってはいたのですが、まだ自分で気がついて使うところまではいかないようです。

私が病室へ行ってまずする事は髭剃りでしたが、そろそろ
自分でさせようと思い、扱いも教えてみます。
結構うまく左手で使えるので、デジカメで写真も撮りました。
男性は化粧こそしませんが、髭を剃るだけでサッパリ見えるものです。

今日も1Fロビーへ降りました。
売店でプリンを買い、会計前のイスへ。
昨日座った場所を覚えており、またそこがいい と言うので
車イスからソファーに移ります。
日曜のロビーも静かで、所々に患者さんと面会の人がいる位です。
1Fフロアーは天井も高くとても明るく広く作ってあるので、
ゆっくり話もできます。

今日はICUでの様子を話しましたが、全然憶えていないようです。私の話を聞きながら涙を流していました。
入院から23日が過ぎましたが、車イスの乗り降りをはじめ髭剃り、食事と出来る事も少しずつ増えてきているので
明日からもリハビリがんばろうね・・と励ましました。

デジカメでshinを撮ったり、私を撮ってもらったりしました。カメラのシャッターは右にあるので逆さにしてシャッターを左下から押すようにするとなんとかできました。
こんな事でも出来ると嬉しいようです。

今日から夏場所が始まりました。
スポーツは勿論、相撲も大好きなので夕食までの時間が助かりそうです。熱心に見てました。

昨夜「早く帰る約束」をした事は忘れていましたが、事情を話すと納得したので、早めに帰ることができました。


*****


*入院24日目* 2003 7/7(月)   -七夕ディナーー

午前中ケアマネージャーのUさんとの面談。
先日の区役所の聞き取り調査と違って、両親の介護度もかなり固く見ている様子でした。

リハビリの前にサッパリしたいようなので、まず髭剃りです。ICUでは午前中に髭剃りなど看護師さんが気がついて済ませてくれていましたが、一般病棟はそうはいきません。
髭剃りそのものはできますが、カバーを外したりスイッチを入れたり水洗い等はまだできません。

リハビリが4時からに変更になったので、私は会計へいきました。6月後半分の請求がきたのですが、30万近い金額なのに明細が記載されていません。
15日のうち1週間はICUにいたとしても(すでに15日のシメで2日分は支払い済み)明細を知りたいので、説明を求めました。
かなり待たされた挙句に4~5日のペンディングになりました。

OT.PTが終わり、shinに提案をしてみました。
「私も弁当を買ってきて一緒に食べてもいい?」「OK」
売店の弁当でしたが、20数日ぶりに一緒に食事をしました。
何か欲しがるかな・・と思いましたが、チラリと覗いただけで
shinは病院の食事を食べました。
こんな事でも何だか嬉しいのです。
「七夕ディナーだね」と言うと「そうだな」と答えました。

帰宅後、利用している生協のFPから電話がありました。
申し込んでいた「保証の見直し」は申込者が多く、8/5に変更して欲しいとの事。私もまだ保険について何もまとめてなかったので、OKしました。
shinに関しては保険も薄かったので、今後の事も心配です。


*****


*入院25日目* 2003 7/8(火)    -高次脳機能障害ー
7/8




「先が読めない」「もう出る」 「帰る」 そんな言葉が増えてきました。一つの変化とみるべきでしょうか。
その都度説明をして、本人もある程度納得するのですが、翌日は忘れています。こんな時どうしたらよいのでしょうか。

リハビリの段階表を作って本人に見せてみようかとも思います。口だけの説明より目で見ての納得が有効かもしれません。

リハビリ室にリハ科のDr.Mがいたので、様子を聞いてみました。
7/2にはMRIも撮ったようですが脳外からは何の説明もありませんでした。すでに脳外は外れたと言う事でしょうか。
思ったよりも運動機能のダメージは少ないが「高次脳機能障害」が問題と言われました。

聞きなれない言葉なので一語一語漢字を確かめながらノートしました。交通事故や脳血管障害で起こる後遺症で、いろいろな症状があるらしいのですが一般的な認知度が低く、外見上も普通に見えるため理解されにくいそうです。
各種診断書でも障害として通用しづらいとの事でした。

気持ちの用意がないまま先生の話を聞いたのでズドーンと胸が重くなりました。
今日のは10gのブンドウ3個分くらいでしょうか。
ただ転院の希望を出しているF病院は「高次脳」の患者さんも多く、STの先生もいるので運動機能と共にリハビリが出来る
病院である事が、今の私には小さな光です。

今日のshinは天気のせいかリハビリもあまりのりません。その後私が買い物に出て待たせたのも気に障ったらしく、ずっと不機嫌でした。


*****


*入院26日目* 2003 7/9(水)   -切れるー


昨日の様子が気になったので、早めに行きました。
ナースステーションにいましたが機嫌も良く、数日「お呼ばれ」が無いらしく看護師さんとカンチョウに行きました。
ちょっと気が抜けます。

リハビリ前にshinの担当看護師のKさんよりF病院への転院が
7/16と聞かされました。
昨日のリハ科の先生はもう少し先のようなニュアンスでお話をしていたので、ちょっとびっくりです。
しかしベットの空きは重要ですし、なかなか空かないと言う事も聞いているので、F病院のリハについて行けるか不安もありますが準備を進めるしかないでしょう。

PTのS先生はまだ転院のタイミングを知らされてなかったようで少々驚いていました。
もう少し課題も消化したかったようですが。
その思いもあったのか、今日のリハは靴の着脱・寝返り・4点杖(接地点が4点あり安定感はありますが真上から降ろすように使わないとバランスが難しいそうです)での歩行(6m位)等
盛りだくさんでした。

先日からのshinの様子をS先生に相談したところ、「リハビリは計画書がすべてです」と言われました。
リハのスタート時にリハビリ計画書が渡された事を思い出しました。
トイレへの歩行や座位保持・ベッド起き上がり・食事・排尿・整容・更衣・・など日常生活の中の活動項目が自立から非実施まで5段階に評価されており、いずれもshinの現在の能力は極めて低いものでした。
これを分かりやすくスケッチブックにでも書いて事あるごとに説明してみよう・・そう思いました。

夕食前にまた「帰る」です。
まだ項目を書き出してなかったので、リハの計画書を見ながら説明しましたが、ゴネます。
今日は何回説明しても納得しません。
「分かった!」 私も切れました。
「そんなに帰りたいのなら、今すぐ帰ろう。そのかわり2階までおんぶも出来ないから自力で上がってね。ベッドもないからお布団で寝て頂戴。あなたは重たすぎるから私の力では寝返りもさせてあげられないので、床ずれも出来るかもね。
車イスもないからトイレも行けないし・・・大変ね。」と一息で言いました。
shinは目が点になっています。話の内容を理解したと言うより私の様子に驚いて「ちょっとマズイぞ」と思ったのかもしれません。
ちょっと可哀相かなと思いましたが、私も溜まっていたのでしょう。とうとう切れてしまったのでした。

今週は長女の試験期間中なので早く帰るね・・・と毎日説明して
いつもより早く帰宅します。
家では両親に「早かったね」と言われ、毎日説明です。
3人ともほぼ同じレベル!です。フー。

夜インターネットで「高次脳」についてのサイトを見つけました。交通事故後の若い人も多いそうです。
大きくて重たい問題です。



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