(9) 2004年 9月(9) まえへ(8) つぎへ(10) 2004 9/1(水) 子供たちは今日から弁当を持って学校へ。 shinは午前中はPCで午後から地区リハなので一日外出。 やっと静かな日中の復活だ。やれやれ。 久々に天気も良く、洗濯機を何回も回し掃除をして布団も干して…と主婦のフルコース。 やっと皆出かけたのだからノンビリしようと思っていたのだが、お天気には勝てなかった。悲しい?主婦のさが…。 先日実技を合格したYさんが今日学科も合格したそうで、丸4ヶ月で免許証get。 実技も学科も1回ずつ練習があったが、すぐに傾向と対策の分析が出来るところがYさんのすごいところだ。 これから、駐車禁止区域除外申請と下肢等障害者自動車運転訓練費助成事業実績報告をしなければいけないらしい。 お役所は何でもまず申請なのだ。 試験場は月曜日が混む日で問題も難しいとか。 我が県の試験場はバリアフリーどころか車イス用の段差解消板すら買えないビンボーらしい。 またYさんの自宅からだと県の試験場より都の試験場が近いらしいが、受験は自宅がある県と決まっているようで、この辺も規制緩和で選択できるようになれば…と言われていた。 2004 9/2(木) 木曜日はスポーツ講座の日だが、今日は陶芸のプログラムだとか。 デニムのエプロンをバッグに入れたshinは「芸術の秋だ~」等と言いながら出かけた。 ノンキなおじさん、ノーテンキなお父さん…そんな風に写るshinだけど深い所ではどうなのだろうか。 見た目と変わらないのか、実は悩んだりもしているのか・・・ 17年一緒に暮らしていても分からない部分だ。 午後からまたTさんの所へ行ったshinは、またまた1リットルのビンを2本貰って帰って来た。 Tさんの実家はりんご園で、ビンの中身は美味しいりんご ジュース。 Tさんはリハビリの一環でPCを勉強し始めたようで、shinの掲示板にも病院のPCから投稿してくれた。 shinはそれが嬉しかったようで、Tさんにお礼を言いに行ったようだ。 この前のようにカチャカチャいわせることも無く、バッグの中にうまくパッキングして帰ってきたので先日のようにヘロヘロに疲れてはいなかった。 一度経験した事は何とか活かせるようになってきている。 2004 9/3(金) 昨日健保より書類が届いた。 会社とは縁が切れているが、健康保険は任意継続の形にしたので健保には毎月払い込みや書類の提出がある。 その書類に不備でもあったのかと問い合わせをしたところ、 「傷病手当金を支給し始めて一年が経過しましたので、一応現状確認と思っていただければ・・」との答えだった。 何となく腑に落ちない問い合わせだとは思いながらも、提出しない訳にもいかないのでF病院のSWに相談に乗ってもらう事にした。 明日のアポが取れたので、私も久々に病院へ行く事にする。 午前中はPTのT先生の訪問日だったので、先生にも相談してみようかと言っていたのだが、両親の時間が長引いてしまった。 shinの介護保険の利用の件もあり、来週の面談の予約を入れてもらう。 午後は定例の払い込みでshinは銀行へ。 3時前には入れたらしいが、「月初めの金曜日で混んでたよ」と汗ビッショリになって帰って来た。 2004 9/4(土) SWのUさんと面談。 健保からきた書類を見てもらう。 専門家のUさんもこの様な問い合わせはあまり聞かないと言われたが…。 考えてみれば、休職中であれば定期的に報告もするのだろうが、会社とは切れているので現状報告を求められるのも当然かもしれない。 ・・・・shinはまだ気持ちの整理もつかない様子だったが、Uさんとじっくり面談してもらっているうちにそう考えられるようになった。 Uさんと面談するといつも思うのだが、人の話をじっくり聞くと言うのはとても大切でとても難しい。 Uさんはまずじっくり聞いてくれるので、こちらも考えをまとめながら話が出来る。 そうやって話しているうちに、こちらの気持ちも落ち着いてくるから不思議だ。 これは家族との関係で私も気をつけないといけない事だ。 提出書類についてもアドバイスを受け、落ち着いた気持ちで帰れた。 2004 9/5(日) shinは入院仲間のYさんYYさんTさん達と同室だったYTさんのお見舞いに長野県へ行った。 浅間山の近くの温泉病院なのだが、長野県側は大きな影響も無いようで予定通りにTさんの車に同乗し出かけた。 皆さんには段取りや連絡、車の手配などお世話になってしまった。 自分に出来る事は何かと考えたshinはカメラを持っていく事にしたのだが、うまく撮れただろうか。 2004 9/6(月) 天気も思ったより良くなった。 昨日はshinはいなかったが、エアコンの工事があり慌ただしかった。 ヒマな主婦のようでなかなかまとまった時間が取れない。 夕方6時ごろTelがありshinが帰宅。 帰りもTさんの車に乗せてもらって帰ってきた。 関越道を通ってきたようで、お土産は横川の「○の釜飯」。 いくら車に乗せてもらったとは言え、家族分6個は買うだけでも重かっただろう。 有名なだけあって釜飯は味もよく、普段は少食な義母も殆ど食べられた。 いつもは「うまい」等と言わない義父も喜んで食べていたが、 人と団体行動を取りながら一泊旅行に出かけたshinの回復を、両親はキチンと認識しているのだろうかとフト思ったのだが、こんな風に考えるから私は必要以上に疲れるのかもしれない。 2004 9/7(火) shinも夕べはかなり疲れた様子だったが一晩休んだら回復していた。 体力だけなら私より元気かもしれない。 予定通りでOKと言うので、午前中は訪問PTのT先生との面談。 shinが近況と今後の予定(求職活動)を話し、先日の健保の書類を見てもらう。 両親の状態も分かってもらっているので、私も日常の話もしやすくちょっとグチっぽくなってしまった。反省。 先生は「いいのよお」といつも明るく対応してくれるので、つい甘えていろいろと話してしまう。 でもこんな風に病気の事から家族の事までじっくり話を聞いてもらえるのは、とてもとても有り難い。 午後からはshinはPCへ。 私は買い物を済ませて先に帰る。 台風18号はすごい被害を残しながら北上している。 前回も日本海側を通ったが、今年は台風も多い。 2004 9/8(水) 外出が続くが午前中はPC、午後は地区のリハビリ教室でバスの乗降訓練があり、shinは朝から出かけた。 PCについてはどの程度定着しているのか…。 スタート当初は復習などをやっていたようだが、最近は見ない。 次女は体調不良で休み。 体がきつく頭が痛いと言う。私も小さい頃は夏が苦手で、夏休み中ボーッとして過していた。 次女も体質が似ているのかも知れない。部活も結構ハードだったので疲れも出る頃だろうか。 2004 9/9(木) shinは午前中スポーツ講座で水泳、午後からPT。 私も久々に見学する事にしてF病院で待ち合わせ。 予約の時間にPT室へ入ると、すでにO先生とストレッチを行っていた。 水泳の後なので疲れも心配していたが、いつもと同じペースでメニューもこなしていたので安心。 先日のお見舞い旅行の話などもしていたようだ。 リハビリの最後は「チャリこぎ10分」といつも言っているのだが、shinがバイクの方へ行くとO先生のshinの日常について質問があった。 いろいろと答えているうちに「論理的思考とそれを会話で表現する事が課題のようです。突然に話が始まったり飛んだりする事もありますね。また同じ話がグルグルまわる事もあります」とスルドイ指摘。 以前にT先生からも言われた事があったので、対策を聞いてみたら「やはり家族との会話の中でフィードバックしていくのがいいでしょう。文章にするのもひとつですね」とアドバイスを貰った。 入院中からO先生は歩行以外の点ではあまり指摘されなかったのだが、今日は私が久々に行ったからだろうか。 ありがたいと思った。 もともと話し方の癖はあったものの、今後の社会復帰を考えれば自分でも意識して改善して欲しい点だ。 先生から指摘されたと言う事は、shinにも改善の余地があると思っていいのだろう…と解釈する。 帰りの車の中でshinにも先生の話をする。 本人も気付いている点もあるようで、私のサポートも頼んだので言葉を選んでなるべくケンカにならないように指摘しよう。 2004 9/10(金) 旅行から帰ってきて毎日外出だったのでちょっとお疲れモードのようだけど、まぁshinの今の体力だと心配は無いと思う。 今日は健保提出書類の作成。一応作っていた文案と昨日貰った主治医のアドバイスを基に新たな文章を作る…shinの苦手な分野だがまず本人にさせてみる事にした。 昼をはさんで2時ごろにはコピーまで出来たので、これから郵便局へ行くと言う。 雨も降りそうな気配だったが本人もその気になっているので行ってもらうことにする。 郵便局や銀行などには最近殆どshinが行くようになり、私は助かっている。 先週健保から書類が届いた時には戸惑いが大きく少し感情的にもなったりしたが、SWや主治医のアドバイスもあり書類も納得できるものが書けた。 また、この事がshinも現在の自分の状態を客観的に見る機会となり、これから求職活動を始めようと予定している来年1月までの時間の使い方を考え直す機会ともなった。 昨日のO先生の指摘も踏まえて、これからの課題を丁寧にクリアーして行きたいと思う。 2004 9/11(土) 午前中、shinは旅行の写真の焼き増し枚数を確認していた。 私はこんな作業が苦手なのだが、shinは苦でもないようだ。 こんな事なら病前からshinに頼めば良かったと思ったりする。 それからSTの作文。やはり旅行について書くらしい。 印象に残る旅行が出来て良かったと思う。 今日は暑くはあるが、湿度は低く爽やかな天気。 昨夜、義父は眠剤を飲まなかったため眠れなかったらしい。 眠れたのはやっと3時半頃から…と起きてはきたもののボーッとして不調の様子。 食事もあまり摂らず、一日部屋にこもっていた。 長い間お薬を服用していたのに、昨夜はどうして飲まなかったのだろう。やはり睡眠は健康の基だと思う。用心用心。 2004 9/12(日) 昨日不調だった義父は早くから起きている。 どうやら復活らしい。 そのまま放っておくとまた不機嫌になるので、子供達も気を使って「おじいちゃん大丈夫?」と声をかけたりしている。 早めの昼食を済ませて買い物に出る。 日曜日はあまり出かけたくないのだが、ずっとサボっていたので冷蔵庫には6人分の食材はもう無い。 ダイ○ー系のスーパーへ行くと駐車場が一杯だった。 どうやらパ・リーグのプレイオフ決定の売り出しらしい。 これから日本シリーズまで賑やかになるのだろう。 100均でポケットアルバムを買う。 旅行の準備では何も貢献出来なかったので、写真を撮ったshinは焼き増しをして皆さんに送ると言う。 「お手紙もメモ程度でいいから添えてね」と私がオーダーしたのでPCに向かって頭をひねっていたが、どうやら形になったようだ。 「火曜日のPCでレイアウトのアドバイスをしてもらう」と言っていた。 PC一つにしてもこうやって日常の生活にも活用できるようになればshinも気持ちよいだろうし、欲も出てくるかもしれない。 年末の年賀状作りも今年はshinにシフトしよう。 2004 9/13(月) ST・OTの日なのでshinは朝から外出。 最近は外出前に掲示板の書き込みも出来るようになった。 少しは段取り力(って言うのだろうか)も向上してきたのだろうか。 先日の健保関係の書類も担当の先生達に見てもらう事が出来たようだ。退院した患者でもリハビリだけでなく社会復帰に向けての様々な事に関わってもらえるのはとても心強い。 でも書類も出して安心…ではなく、もしもの時の対策も考えておくべきだろうか。 とは言え、どのような対応をして良いのか皆目分からない。 2004 9/14(火) shinと墓参り。 以前は両親のタイミングに合わせていたが、shinが家にいる間は二人でサッと出かける事にして時間も楽になった。 朝は曇っていたのだが鎌倉に着くと、暑いくらいの日差し。 それでもお彼岸が近いので墓参の人も多く、駐車場も一杯だった。 お墓は遠くにあった方がよいのかも…。 昼食を済ませてshinはそのままPCへ。 私は敬老の日用に体温計を購入。 義父はいつも大騒ぎをして体温計を捜すので(自室に置いてあるのに)。 ユニバーサルデザインで数字部分の表示が大きく、電子音ではなくメロディーで(メリさんの羊!)知らせてくれるタイプにした。(補聴器を着けていても体温計の電子音は聞いたことが無いと言う義父。目覚ましも聞こえないようなので仕方ないか) 2004 9/15(水) 以前は「敬老の日」だったけれど、ハッピーホリデーとかで今年は来週の月曜日らしい。(去年はたまたま15日の月曜日) 月曜日が休みになる事が多くてレギュラーの約束は時々飛んでしまう。 shinは午前中PC、午後から地区リハ。 最近は意識して午前午後と予定を入れる事も多くなったようだ。 場所が違うと移動もあるし、途中で昼食も摂らないといけない。また集中力も必要だし、体力もいる。 こんな事の一つ一つが社会復帰のための積み重ねかもしれない。 2004 9/16(木) 今日はスポーツ講座最後の日で、メニューは水中ウォーキング。 お昼を皆さんと食べて散会だったらしい。 7月の半ばから始まった講座だが、もともと人見知りをしない性格なので結構楽しく通えたようだ。 ボッチャ、卓球、グラウンドゴルフ、水中ウォーキングと陶芸のメニューだったが一度PCと重なり休んだだけだった。 今年の夏はことのほか暑く体調面で心配もあったが、終わってみれば仲間も出来、また掲示板にも来て下さる方も増えてshinにとって充実の2ヶ月間だったと私は思う。 午後からはPTで遅い予約にしていたので帰宅は6時を過ぎていた。以前は帰宅するまで何かと心配な事もあったが、いつの間にかそんな不安も薄くなっている。本人も一人の外出に慣れ、家族も安心できるようになってきたのだろう。 2004 9/17(金) 午前中はPTのT先生の訪問日。 両親のリハビリをいつものようにやってもらう。 リハビリをしながらの会話の中で両親の気持ちを解してもらっているので、本当に感謝している。 以前にも書いたがPTやOTの先生方の観察眼はとてもスルドくかつ細やか。 ちょっとした変化も見落とさないのはサスガ。 これは職業的に訓練されたものなのか、それとも素質がある人がこの職業につくのか…ナゾ。 shinは昨夜Tさんからお誘い電話があり、フィットネスへ出かける。今週は毎日出たので今日はお休みにしていたようだが。 帰宅後も大して疲れた様子も無く、体力の回復を感じる。 2004 9/18(土) 朝から家事を済ませ、買い物へ。 9月も半分過ぎたのに、まだまだ暑い毎日。 長女は明日からの文化祭の準備、次女は午後から部活。 私も土日二日ぐらいで仕事を探しているのだが、なかなか見つからない。 2004 9/19(日) 今日は長女の文化祭でshinと朝から出かける。 次女は昨日と明日が試合で今日は学校で練習。とても残念がっていたが練習を優先した。 今年は天気も良く、恒例の2年生の模擬店では炎天下クラス毎に焼きソバ、お好み焼き、たこ焼き、ピザ…と汗だくで作っていた。 長女はお好み焼きのキャベツ切りが担当で家庭科室に籠もり、ひたすらキャベツと格闘していたらしい。 昨夜の義母は我が身の腰の痛さも忘れ「お姉ちゃん大丈夫かね。私も手伝いに行こうか…」なんて冗談とも本気ともつかない言葉。思わず笑ってしまった。 ステージでは吹奏楽とチア、ハンドベルを聞くことが出来た。特にハンドベルは繊細な音を出す小さなベルから片手では持ち上げられないほどの大きなベルまでがあり、ただ手で振るだけではなくわざと振動を止めて音を出したりする奏法などもあり興味深かった。 いずれにしても今年のあの暑かった夏休みにどれだけ練習したのだろう…と思うと拍手にも力がこもった。 若くないと出来ない事って沢山ある。 2004 9/20(月) ハッピーホリデーとやらで今日が今年の敬老の日。 長女は文化祭二日目。次女は部活の試合。 大人4人の休日となった。 町内会からご案内が来ていたので両親の敬老の日のお菓子を貰いに出かける。 毎年の事だが殆どの人は、自力で貰いに来ているようだ。 我家は自分で行こうとはせず、かといってお菓子は要らないとも言わない。 昨夜のうちに子供達には敬老の日の挨拶もさせていたのに(同居していれば毎日が敬老かもしれないが)やはり夕食の時になって「なんで子供達がいないのだ」と義父は聞く。 もう覚えられないのだろうか。 2004 9/21(火) 今日は皆出かける予定があるので、私も代休で家にいる長女と外出する事にした。 以前は二人の子供の予定が合わないと出かけなかったが、子供が大きくなるとそうもいかないのでそれぞれのタイミングを大事にすることにした。 たまたま高校の同級生が版画の個展の案内を送ってくれていたので東京まで出かける。 初めての場所だったが、再開発で出来たらしいビル群の中に画材屋さんがありそのギャラリースペースに展示してあった。 彼女は美大を卒業後ずっと造形の創作を続けており、3年ぶりぐらいでの個展だ。 本人はいなかったが彼女らしい個性が溢れる作品ばかりで 来てよかった…と思った。 近くに「六義園」という庭園があり娘と見学する。 もともと柳沢吉保が作った庭園だそうだが今は東京都が管理する有料の庭園となり、中も美しく手入れされていた。 今が盛の萩があちこちに咲いていたが、大きな枝垂れ桜の木や紅葉も沢山植えられておりもう少し落ち着いた季節に来たいねと長女と話した。 帰りに娘の洋服を見るため若者の街で途中下車。 もともと長女はこれが目的だったようで、熱心に見てまわるのだが若者向きの店は音楽も大きく何だか圧倒されてしまう。おばさんはついていけませ~ん。 2004 9/22(水) 8月末からPCへ通うようになり朝からの外出が増えた。 そのため朝の日課だった「音読」と「計算」を殆どやらないで半月が過ぎてしまった。 やっている時は気がつかなかったが、止めると見えてくるものがある。 歴然と記憶力・判断力が落ちている。 文章を作ったり段取りを立てたりするのも益々苦手になっている。 昨日「午後からでよいから問い合わせのTelを1件しておいてね」と頼んで私は娘と外出したのだが、帰宅後聞いてみると一番重要だった事は聞いていない。 いつも習慣になっているメモも取れていなかった。 私も感情的にもなったが、一方で「音読」「計算」の効果を確信した。 この日記を読んでくれているTちゃんの日記にも脳外の先生が患者の子供に「勉強したら頭の血流が増えるからがんばろう」(表現は少し違うかも知れない)と言う場面があった。 巷でも話題になっている「大人のための~」シリーズをやり始めたのは昨年の12月ごろからだったが、新聞広告で見つけたとき「これだ」と直感した。 今shinに必要なものはこれだ、そう思ってブックサービスをしている宅配業者に電話注文をした。 著者も前書きで「音読や計算を続ける事により前頭部の血流が増える…」と述べている。 最初は半信半疑だったが、ワンクルーやったところで一時中断した時があった。 その時もいろいろと問題行動を起こし、慌てて再開したのだ。 今回は私もうっかりしていたが、「音読」「計算」が今のshinにいかに必要かがはっきり分かるきっかけと捉えよう。 電車のつり広告に「脳を鍛える人たち」とか言う見出しで 会社や役所の始業前に「音読」「計算」のトレーニングをする人が増えていると書いてあった。 レベルの維持のためにも朝から時間を作ってこのトレーニングは続けようね…と改めてshinと話した。 2004 9/23(木) 朝から少し肌寒い。 今日は次女が世界陸上の応援に行くだけで、他の家族は外出の予定は無い。 私は買い物に出かけようかとも思ったが、家にあるもので間に合わせる事にした。 銀行日(今は給料日ではないので)前は意外な組み合わせの料理を作ったりするのが好きで、家族にはあえて言わないがゲーム感覚で楽しんでいる。 午後からTVでも世界陸上の中継をやっていたが、さすがにオリンピック直後とあってスタンドも一杯だった。 市内の小中学生の希望者には一番上の方の席のチケットが配られていて次女の部活でも全員参加の応援だったようだ。 世界のトップアスリートの競技が目の前で見られるのだからこれは素晴らしい事だ。 ハンマー投げの室伏選手も良い成績を出したようだし、お預けになっていた金メダルの授与も沢山の観客の前で行われたのは、感動的だった。 2004 9/24(金) 今日は診察日なのだが私の体調もイマイチなのでshin一人で病院へ。 退院直後のリハビリでは「○さん早く一人で来れるようになってね」とどの先生も口揃えて言うものだから、何回も練習して一人でリハビリに通えるようになった。 でも診察は4~6週に一回だしその都度先生に相談する事があったりして私も同行していたので、今回は初めてshin一人の受診となった。 今回も健保の書類のお礼をK先生に言いたかったのだが、全部shinに任せる事にした。 shinはK先生に伝える事をメモし資料の書類をコピーして、昼食後出かけた。 時間は余裕を持って出たのだが、私鉄は急行に乗ってしまい一駅戻ったらしい。 まぁ普通でもうっかり乗ってしまう事はあるのだが、今のshinはやはり血流が足りてないのかもしれない。 意識してトレーニングを開始したので、しばらく時間をかけるしかないだろう 2004 9/25(土) 午前中次女の授業参観。土曜日だが月曜の時間割で行われ、いつどこを見てもOK。 前回は4校時の英語を見たので、今日は2校時の音楽にする。 11月に文化祭と一緒にある合唱コンクールの練習風景を参観できた。 1年生は合唱コンクールのイメージも湧かないらしく、着席のままダラダラと練習していた。 かなりキーの高い曲だったのでソプラノはつらそうだし、指揮者は未経験の男の子だったが特に何のレクチャーも無く、今どきの音楽の授業ってこんなものかと思う。 隣のもう一つの音楽室は3年生が使っていたが、全員ピアノの周りに集まり練習にも熱が入っていた。教師より子供達が主になって進めている様子。 1年生は一度合唱コンを経験しないと目覚めないのだろう。 去年までの合唱コンは公立高校の入試が終わってから行われていたので、卒業間近かという事もありすごく盛り上がる学校行事だった。 学校によっては合唱コンのステージに上がっても歌わない生徒や後ろ向きに座り込む生徒もいるとか。 何でも皆と一緒に…とは言わないが行事を楽しむ気持ち、盛り上がりを感じる心…を一人でも多くの子供に味わって欲しいと思うのは贅沢なのだろうか。 2004 9/26(日) 肌寒い日曜日。 長女は模試、次女は久々に部活がないのでユルユルしている。 午後からshinの仲間のKさんが来られ、明日のグランドゴルフの話や昨日自宅の台所のコンセントから出火した話などをして帰られた。(コワイですね~) 幸いだいじには至らなかったので良かったが、台所のコンセントは油などが付着してその上に埃が溜まるから危ないらしい。 急に心配になったので私もコンセント回りの片づけをした。 2004 9/27(月) 今日は昨日のKさん主催のグランドゴルフ大会がある予定だったが雨のため延期になった。 代わりに近くの集会所でミーティングがある事になり、入院仲間のYさんも奥さんと来られるので私も遅れて参加した。 肌寒かったのでshinは長袖のシャツを着て雨よけのパーカーも着ていたのだが、そのままの格好で室内にいた。 暑くないのか、脱ぐのが面倒なのか。 こんな時がどう考えているのか分からない。 今日の参加者は雨のため少なく10人程度。 それにボランティアの女性が2人。 今後の予定や11月にある日帰り旅行についての話があった。 終わりの時間になっても雨は止まず、車イスの人は大変だった。 スロープは後付けで出来たもののようで、勾配もカーブもきびしくYさんの奥さんは車イスを押すというより、後ろに引っ張り気味に持ちながら降りていかれた。 車イスだけでも十分大変なのに、天候が悪かったり駐車場が無かったりすると障害のある人の外出は本当にきびしくなる。あれこれ考えて出るのが億劫になる人は多いと聞くが分かる気がする。 それでもYさんは10月より会社復帰が決まっており、職場に恵まれた…と話しておられた。 ただ運転免許は取得したものの恐くてなかなか運転できないんですよ…と奥さんは笑っていたが。 ここまでの道のりはYさんも奥さんも本当に大変だったろうと思う。 それだけに再発に気をつけてゆっくり確実に復帰を果たして欲しいと思う。 2004 9/28(火) ケアマネージャーKさんの訪問日。 前回は暑い盛りの8月だったがさすがにかなり涼しくなっていいる。 両親と面談の後、shinと1時間ばかり話してもらった。 どんな時も静かな語り口は変わらず、話をしていて安心感のある人だと思う。 先日からの健保組合の照会についてと求職活動のスタート時期についても話をする。 shinと私が仕事を始めると両親の事が問題になると思うが介護保険でカバーできる事もあると思うので一緒に考えていきましょうね…と励ましてもらった。 ありがたいと思う。 今夜は中秋のお月様が見られた。 少し輪郭がぼやけていたが,きれいな月だった。 お団子もお饅頭も用意しなかったのでそれはまた明日。 2004 9/29(水) 一日中台風情報が流れていた。 南九州、四国、近畿とくまなくカバーして北上した台風21号。今年は台風の当たり年なのか、それにしても多すぎるようだ。 10年前につけたソーラーがダメになり、見積を取ったところ10年ではペイ出来ない事が分かった。 冬でもお天気だと昼間は給湯器は要らないくらいなのだが、コストと使い勝手(両親が対応できていない)などを考えて普通の給湯器だけに変える事になった。 工事の人が出入りするので、何となく慌ただしい一日だった。お天気も昼から雨が降り出して、工事もやりにくかったようだが、夕方にはお湯が出る状態になり一安心。 機械が変わり水圧も変化しているので、もしかしたら不具合が起きるかもしれない。 2004 9/30(木) 台風一過の晴れ。とても気持ちの良い天気。 次女は月曜日に駅伝の試走で雨の中を走ったせいかダウン。 自分の体力と練習量、回復力のバランスが取れずにいるのがちょっと可哀相な気もするが…。 先日からshinの掲示板で職場復帰についての書き込みが沢山あった。 復帰を果たした人は「周りの理解が少ない」と言い、これから復帰する人は「ノンビリやります」と書いている。 経験した人でないと分からない辛さ、悔しさ、また中途障害のため本人も周囲も戸惑う事ばかり…と条件は必ずしも良くないのだが、私としては障害はすべて違うものの障害を受け入れられる土壌が少しずつでも出来てくれば、お互いに歩み寄れるのでは…と人間の「善」を信じたい気がする。 これから求職活動を始めるshinの道のりを考えると、復帰する職場があるという事は大きな支えだと思うのだが。 やはり水道は不都合が起きた。 台所の水栓が水漏れを起こし、シンク下のキャビネットはビショビショ。 結局取り替えと言う事になり、普通に水が使えるようになるには暫くかかりそうだ。 まえへ(8) つぎへ(10) |